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別人マインドになったと感じる私の気づきを書いています。
潜在意識心理学®︎を学んでいる唯一美塾1期生です。

 

 

 

 

 

 


前回、母の嘘を信じて生きていたことを書きました。
 

 

 

 

野菜を食べていたにもかかわらず


母が言っていた「あなたは野菜を食べない」という言葉を信じ


そしてそう思い込んで生きていたということ。



本当の自分ではないというのは

 


母に言われた言葉を信じていて
自分でも野菜を食べていない人間と思っていて


親の期待通りじゃない
人より劣っている人間
ダメな人間
できていない人間


と、そこから作り上げた人間像で生きている状態。




本当の自分は


野菜を食べていた

 

 


だから

 


野菜を食べないという言葉を信じる必要はない
親の期待通りじゃないと思う必要がない
野菜を食べなくて人より劣っていると思う必要がない
野菜を食べないダメな人間と思う必要がない
できていない、ではなく実際はできている

 

 


それが


本当の自分の状態。
 

 

 

 

 

 

けれども

 


母の言葉を信じたまま生きている。

 


私は野菜を食べない人間で


人より劣っていると思いながら生きている。




だから

 


人より劣っている人間なのだから


自分の思いや考えは人より劣っているから
自分の思いや考えを言わないでいる、黙っている、表現しないでいる。



自分にできることがあっても


自分の方がいいアイデアを持っていても

 


人より劣っている人間だと思っているから

 


人の考えを優先してしまう
人に言われた通りに動いてしまう。




自分は人より劣っている人間なのだから

 


人から褒められたとしても

 


そんなはずはない、劣っているのだからと

 


相手の言葉を受け取らない、受け流してしまう
相手の言っていることを信じない
相手の言った通りだと全く思わないでいる。



自分が素晴らしいことをしていて認めてくれる人がいても


素晴らしいからこそマウンティングしてくる人がいると

 


自分は人より劣っている人間なのだから


せっかくの素晴らしい行動をいけないことなんだとやめてしまう。


 

 

 

 

 

自分は人より劣っているからということを前提にしているから

 


人のことを上にして
自分のことは下にして

 


人よりもできることがあっても


それは出さない表現しない振る舞ったりしない。

 

 


人よりできる人に自分からならないように


人よりも劣っている人間として自分からそう行動して


人よりも劣っている状態を保ち続けるように振る舞う。



そんな人間として生きていたのです。





自分は人より劣っている人間なのだから

 


人から劣っているという扱いを受けたり


馬鹿にされたりしても

 


相手の言う通りでそう言われても仕方ないことだと


相手に自ら同意して

 


でも心の奥で痛みを感じながらも


納得して受け入れている。

 

 

 

思い込みを自分の中でさらに確定させている。




自分は人より劣っている人間なのだから

 


できないことをできるようになって


さらに人よりもできるようになれるように

 

 


自分に向いていないこともやりたくなくても
できるようになろうとする。



向いていないからやる気も出ないし、やっていて楽しくない。

 


そしてできないから、

 

 

また、自分は劣っている人間だという思いを重ねる。

 

 


思い込みを強めている。

 


 

 

 

 

私は劣っている人間、というのは


私の思い込みでできている。

 

 


なぜなら

 

 


「あなたは野菜を食べない」という

 


母の言葉によってそこからそう感じるようになった


感じさせられてしまったもので、

 


実際には、母は「劣っている人間」という言葉を発していない。





母からの


「あなたは野菜を食べない」


という言葉が原因で思い込まされたとしても

 


私は野菜を食べていたのだから



私は劣っている人間、というのは
私にとって思い込みでしかない。



本当の私は野菜を食べていた人間。

 


これが事実で真実の私のことで、

 


「あなたは野菜を食べない」という言葉を信じて


私は劣っている人間として生きている私は

 


本当の私とは違う。

 

 


本当の私ではない嘘と偽りを基準にして

 


それに従って振る舞っている

 

嘘に合わせて生きている

 

 

それは

 

 

虚偽の私で

 

ニセの人格。




けれどそれを自分という人間として生きていた。

 

 


本当の私じゃない私でずっと生きてきた。

 

 


本当の私を全く表現せずに、

 


自分で自分を思い込みで固めている。

 

 

 


思い込んでいることに気づかず


思い込んでいると思っていない。

 

 


それを真実として生きている。

 


 

 

 

 

思い込んでいるのは私。

 

 


実際は野菜を食べていた事実を無いものとして

 


母の嘘を信じて

 


信じるのをやめないのは私。

 

 


自分の事実より


思い込みを真実として生きているのは私。





きっかけは母の嘘で


それはとてもひどい話であっても

 

 


嘘を真実とし、事実を無いものとし

 

 


思い込みを続けているのは私。

 

思い込みを貫いているのは私。
 





私がそれをやめるしかない。

 


私がしていることだから。

 


 

 

 

 


信じてた


でも嘘なら
嘘なら
信じるのやめられるんじゃないかな


嘘だから


だって嘘だから


もう信じなくていいんじゃない?


自分が信じてしまっていたものやめるって難しい


でも嘘なら
信じなくていいよね



だって嘘だから
それ嘘だから
嘘なんだもの
嘘なんだから


信じないってできるかもしれない


嘘なら
むしろ嘘だから


もう信じないで生きられるかもしれない



信じるのやめたい



嘘だから


もう信じなくていい


嘘だから
嘘だから
それ嘘だから
嘘だから


信じなくていい

 

 


 

 

 

 

 

今でも思わず


私は子供の時、野菜が苦手で今は食べるんですけど…


と言いそうになることがある。

 

 


実際は食べていたのに、


野菜を食べない人間という母の言葉によるアイデンティティで生きてきたから


野菜を食べていなかったことを事実として
それをそのまま言いそうになる。



そんなにも


思い込みってなかなか変えられないけれど

 


でも

 


本当の私で生きたいから。





本当の私はどんな私なのか自分自身と向き合っていく。


確かにある真実の私。



自分の中の嘘


自分の中の真実ではないもの


思い込んでしまっているものとは

 


さよならしていく。




そして

 

 


無いものとしてしまっていた自分の事実を拾い集めていく。


一つ一つ見つけていく。

 

 


その私で生きていく。




本当の私への道

 

 

それは

 

 

 

ここから

 

始まっていくのです。