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平成31年4月14日(日)、日本と台湾を考える集い主催の『第59回集いin神戸』 に行って来ました⭐️。
今回は、3月20日に発売された台湾在住作家、片倉佳史さんによる『台北・歴史建築探訪~日本が遺した歴史遺産を歩く』の発売を記念した講演会のです。大好きな片倉さんの講演、とても楽しみにしてたんです。神戸元町商店街にある、JEC日本研修センター神戸元町というとても便利な場所で開催された講演。先着80名の枠は早々に完売。急遽、10席追加。90名の参加者の熱い視線の中、さらに熱い片倉さんの講演は始まりました。
今回学んだこと・・・、講演の内容をメモしたノートをそのままご紹介します(公演の進行内容と紹介内容の順番が前後している個所もあります)
日本統治時代の教育差別
・幼稚園には、日本人が通う幼稚園と、台湾人が日本人の小学校に通うために行く幼稚園があった。当時は、家族全員が日本語を話せないと日本人の小学校には行けなかった。
・台湾人は、台湾にある大学のうち医学部のみの入学を許された。(医学部以外は、内地の大学に進学するしかなかった)。故に李登輝元総統は、台北帝国大学(現國立臺灣大學)には現地人に対する入学制限から進学することが叶わず、内地の京都帝国大学(現京都大学)農学部農業経済学科に進学した。
建築のこと
・日本式家屋の中の台湾のオリジナリティ⇒暑さの克服
・暑さと湿度、白アリの問題
・台湾の町には「行きどまり」がない⇒日本統治時代の都市計画では、台湾の気候を考慮し、風通しを重視。
・台湾には、日本人が造った西洋建築がある。
・他の国には、西洋人以外の人が造った西洋建築はない。
台湾統治当初の目標
・治安の維持
・教育の普及
・衛生事情の改善
・調査事情(台湾がどういう国か)
総統府(旧名:総督府)
・総統府⇒東京駅に似ている。それは、東京駅を設計した明治・大正期を代表する建築家辰野金吾氏の弟子長野宇平治の設計案が採用されたから。
・辰野式建築(辰野スタイル)
・総統府建設⇒永久に使うことを考え、土地整理に1年半かけた
戦時中、総統府が破壊されなかった理由
・蒋介石は、自分たちでは造れない(壊されたら再建できない)と思った
・米軍⇒非西洋人が造った西洋建築に注目した
台湾総督府民政部殖産局附属博物館(現国立台湾博物館)
・初代館長:川上 瀧彌の人物像⇒過労死でなくなっている。台湾へ赴任し、このような形でなくなった人は多い。
・第4代総督小玉源太郎と台湾総督府民政長官後藤新平の銅像がある。小玉源太郎の銅像は、日本国内でもほとんどない。
台湾へ渡った、或いは、赴任した日本人の生き様
・自分たちが台湾でやっていることを、対内地で考える(日本でやったらどうなるか)⇒当時の建築家たちの生き様
・台湾で経験したものを日本に持ち帰る
・台湾で結果を出してこそ土木技師、建築家であるという精神
新竹駅
・昭和天皇が皇太子時代に台湾行啓された時、下車駅となった駅。現在もその姿を保ち、東京駅丸の内口駅舎と姉妹駅協定を結んでいる。
・この駅舎は直線を多用したドイツ風バロックと呼ばれるスタイル
・出口と入口を分けてある
・トイレは駅の外⇒トイレの排せつ物からくる感染性疾患(コレラ、チフス、赤痢)を拡大しないための工夫
※台湾人の感情⇒当時、日本人が行った事を客観的に受け止めている。正し事、良いことの理解と受容。
飲み水
・台湾人は水を飲むときは、その源を考える。
・主に外省人官吏の宿舎
どんな外省人が台湾に来た?
・国民党員、警察官、軍人、贅沢に暮らす富裕層⇒物を作らない人、モノを生み出さない人
・20万の内地人が去り、200万の外省人が来た。溢れかえる200万人。
近年
・日本人が残したものは国が接収⇒護られ、生まれ変わり、愛される。
台湾人の考え
・日本統治時代も自分たちの歴史
・自分たちの土地の歴史を忠実に復元⇒リノベーション
・日本統治時代の建造物を大切にするのは、決して日本人に喜んでもらうためではない。
その他面白い台湾話
・台北帝国大学(現國立臺灣大學)自慢の椰子並木⇒実がならない大大椰子。台北で暮らし始めた日本人にとって実が落ちてくるヤシの実は危険であったため、映画「KANO」にも登場した嘉義 農林学校(現在の国立嘉義大学)の農業試験場で開発。
・林森北路⇒魚の骨のような形。「林森」という清末民初の政治家の名前に由来するもの
・台湾から、年間450万人が日本へ旅行へ来ている(台湾人の6人に1人の割合)彼らの質問⇒なぜ日本の古くからの建造物は写真を撮ったり触れられないのか?台湾では、「建造物に触れること=歴史に触れる」という感覚がある
・戦時中、台湾人が住む艋舺(萬華)は、空爆から逃れた。その理由は⇒ジョージー・ヘンリー・カール(Georgie Henley Carl) という台北の小学校の教師が、日本人教師にいじめられ、アメリカに帰った後、居住区の情報を流した。
・今の台湾の若者⇒頑張ったって仕方ない。だからやりたいことをやる。そのひとつがリノベイションの活用。
・台湾語で「タンカン」という果物は、ポンカン×伊予かん
感動した言葉
・建築にはかかわった人の人生がある
・台湾史と日本史を書け放して考えることはできない
・台湾を探求することで見えてくる日本史がある
片倉さんが最後に述べられた言葉・・・
「私達は、台湾の人々に何をしてあげられるのか」
「悩んでいる人がいたらこちらから助けよう(小さいことからやろう!」
「留学生を支援しよう」
私なら何が出来る??
まずは・・・
台湾人の友人を大切にしよ。だって、一生の友だもん。
日本で頑張る台湾の人々を応援しよう!
台湾人の信頼を裏切らないように、真面目に生きてゆこう!
片倉先生の講演は、本当に楽しかったです。先生、ありがとうございました。そして、これからも、何度も関西で公演をお願いします。
皆さん、片倉先生の数ある著書は、どれをとっても、非常に面白く、勉強になります。最新の『台北・歴史建築探訪~日本が遺した歴史遺産を歩く』は、必読の台湾本、永久保存の貴重な本です。何度も読み返せるし、台湾の街歩きがもっと楽しくなります。ぜひお読みください。そして、台湾を訪れた折には、台湾の建築物に立ちどまり、そこのある歴史に興味を持っていただきたいと思います。
『台北・歴史建築探訪~日本が遺した歴史遺産を歩く』、いつかこの本のご紹介もいたしますね。