母が遺したメッセージを
記録用としてここに記させて頂きます。
2016年
6月13日 13:05
母から「お母さん入院する事になったから」と気丈に電話がありました。
その時の電話の感じでは、
まさか危険な状態とは想像もしていませんでした。
細菌性肺炎の為両肺が真っ白になっており、
お医者様からは「かなり危険な状態です」と…
その日の夕方に、娘と病院へ向かい母に会いました。
そこで息絶え絶えに私に言ったのは…
「体には気を付けて、しっかりやりなさいよ」と。
6月14日
自発で呼吸が出来なくなり、意識も失いました。
口から人工呼吸器を挿管されて、ICUへ。
この時から人工呼吸器が口から喉を通って肺に入れているので、
痛いからとの事で鎮痛鎮静剤(モルヒネ)を点滴で打って眠らせていました。
痛いからとの事で鎮痛鎮静剤(モルヒネ)を点滴で打って眠らせていました。
それから2週間ちょっと。
眠り薬で意識もないままICUで人工呼吸器を入れていました。
6月31日
治療の効果もなく入院前の肺と全く変わらないとの事で、
口からの人工呼吸器を外して喉から挿管しましょうと
一旦口から外してモルヒネも止めました。
口からの人工呼吸器を外して喉から挿管しましょうと
一旦口から外してモルヒネも止めました。
様子を見ようとの事で一般病棟に戻り、
意識は朦朧としていましたが、
眠り薬を抜いた事で行った人が誰かが分かり、
少しだけ話す事が出来る様になりました。
眠り薬を抜いた事で行った人が誰かが分かり、
少しだけ話す事が出来る様になりました。
7月1日
娘と一緒に行った時、娘のお腹を見て
「え?2人目がもう出来たの?」と言っていました。
まだ生まれてないよ。と言うと、
「だって、女の子生まれたじゃん」って。
夢を見たのか、
時空を超えて未来へ行って来たのかは分かりませんが、
ひ孫に会いに行った様です。
ひ孫に会いに行った様です。
これは母からのメッセージで
「ひ孫にも会って来たから悔いはないよ」
と言われているかの様でした。
それに、
「○○(娘の名前)と、仲良くやるんだよ」
と言われました。
「○○(娘の名前)と、仲良くやるんだよ」
と言われました。
7月2日
息子と一緒に行った時は、
「大事にしっかり見るんだよ」と言われて。
7月3日
意識も混濁して来ていて、幻覚も見えていたりのそんな中
「家に帰りたい、家に帰りたい」と繰り返していて。
それでも最後に言い遺してくれた言葉は、
それでも最後に言い遺してくれた言葉は、
「お母さんはもうダメだけど、
後はあなた達の事は神様が守ってくれるから大丈夫よ」
後はあなた達の事は神様が守ってくれるから大丈夫よ」
と言ってくれました。
この時に、どれだけ私達家族の事を愛してくれていて、
いつも思ってくれていたのかを思い知らされました。
いつも思ってくれていたのかを思い知らされました。
その日から私も母のお葬式の画像が「視えていて」。
そろそろかな…
と、覚悟をしていました。
だんだん肺の酸素濃度が上がらずに、
呼吸も安定しなくなったので、再びICUへ。
7月4日 17:30
私が夕方に病院へ行ったら、直ぐ後に弟が来ました。
今までの3週間の間で、弟と同じ時間に病院へ行くことはなかったのですが、
今までの3週間の間で、弟と同じ時間に病院へ行くことはなかったのですが、
「兄弟2人で仲良く協力してやってね」と、
母が引き合わせたんだと思います。
母が引き合わせたんだと思います。
この時に、私は「今日かな…」と思いました。
7月4日 23:55
母方の祖母の命日に心臓が止まりました。
この日を選んだのだと思いました。
父に直ぐに来て下さいと病院から連絡があり、
父が「危ないぞ」と私と弟を呼び出しました。
父が「危ないぞ」と私と弟を呼び出しました。
私が最初に着き、心臓マッサージで延命してくれていましたが、
それを止めると「ピーーー」と0表示に…
それを止めると「ピーーー」と0表示に…
あの光景は、目に焼き付いていて。
忘れられないと思います。
もうその時点で母の意識はなかったですが、
本当に安らかで穏やかな顔をしていました。
弟が着いて、
その時点で強心剤を5本も打って
心臓マッサージをしてくれていました。
夜中だったので、
息子を連れて行ってなかったのですが、
直ぐ近くなので10分だけ待って貰って
直ぐ近くなので10分だけ待って貰って
息子を迎えに行きました。
私と息子が着いた時には、
弟が「もういいです」とお医者様に言ったらしく「ピーーー」と0表示でしたが、
息子が近くへ行ったら「ピッ、ピッ」と少しだけ心臓が動いてから0になったので、
息子が来るのを待ったんだと思います。
弟が「もういいです」とお医者様に言ったらしく「ピーーー」と0表示でしたが、
息子が近くへ行ったら「ピッ、ピッ」と少しだけ心臓が動いてから0になったので、
息子が来るのを待ったんだと思います。
7月5日 1:15
父、弟家族、私と息子に看取られて、
本当にあっけなくも安らかに天へ還って行きました。
本当にあっけなくも安らかに天へ還って行きました。
3週間という、本当にあっけない最期でしたが。
いきなりいなくなるのも私達が困るからと、
母なりの計らいで、
3週間入院してリハビリをさせて貰ったのだと思いました。
不思議な事の連続で。
想いだけで全ては動くのだと、
改めて母に教えて貰った様に思います。
父や弟に後で聞いたのですが…
2人にはあまり話さなかったとの事で、
私にだけ沢山のメッセージを遺して行ってくれました。
私にだけ沢山のメッセージを遺して行ってくれました。
本当に沢山のメッセージを遺してくれて。
多くの愛を受け取りました…
どれだけ心配かけたか分からないくらいに
迷惑も沢山掛けてきましたが…
私の事をいつもサポートしてくれて。
息子の母代わりとしても協力してくれていました。
どれだけ私達家族の為に、
自分が出来る精一杯を最期まで気丈にやり抜いたのか…
自分が出来る精一杯を最期まで気丈にやり抜いたのか…
本当に最期まで、
誰にも「辛い」と泣き言も言わずに
気丈に生き抜いて行きました。
母らしく、母の在り方が垣間見れた気がします。
改めて凄い人だったのだと気付かされ、
母の子供でいられた事を
心から感謝し、幸せに思います。
沢山の愛をありがとうございました。