アメリカやヨーロッパの女性たちの生き方を見るにつけ、聞くにつけ、日本の女性たちの心も、次第にある種の「伝染病」に冒されてきているのではないかと思ってしまいます。
この伝染病は何とかして食い止めなくてはいけません。
その伝染病の根源は「男女を競わせる」という考え方です。
その前提として、「男女平等」の考え方があります。
確かに「男女はその人間性において平等である。」というのはその通りだと思います。
しかしそれは、「男女の現われ方に違いがない」ということではないと思います。
「男女が平等である」ということは「女性が男性のようになり、男性が女性のようになる」ということではないのです。
「男女があるのはおかしい。一つの性であるべきだ。一つの種類の生き物であるべきだ」と思うのならば、大変傲慢な考え方をしていることになります。
ここが実は、大きな間違いの出発点なのではないでしょうか。
アメリカという国を見てみましょう。
二組に一組は離婚し、子供は非行に走り、成人後も、まともな家庭を営めない子供が数多く出てきています。
それは親のまねをするからです。
親が、家庭破壊者なので、子供も成人してから同じ事をしています。
その根底にあるものは何でしょうか?
女性の皆さん、お金と肩書きに魂まで売ってはいませんか?
いま、男性たちが必死になってもがき苦しんでいるその中に、女性たちも入っていき、泥にまみれようとしています。
これが現実です。
そのような社会の中で、多くの男性が魂を泥まみれにして、この世的なる生き方をしているときに、それを救ってくれるのが女性たちなのではないでしょうか?
女性のすばらしさは、「調和」にあると思います。
ドイツの宗教改革家にマルチン・ルターという人がいました。
彼は既成の教会権力と戦って、独り立ち、獅子吼し、獅子奮迅の活躍をした人です。
その外見には鬼気迫るものがありましたが、彼の心の中にも優しい心がありました。
彼は言っています。
「このドイツの国をくれるといわれても、私は、それよりも、優しい妻がいる家庭を選ぶ」
と。
あのルターにして、あの激しいルターにして、家庭の人、愛の人だったのです。
家庭の安らぎこそ、最高の価値がある。
優しい妻がいるところに私は帰る。
それが、私のこの世における仕事のエネルギーの源泉である。
国をくれる、世界をくれるといわれても、私はいらない。
私には優しい妻があればよい。
その家庭がある限り、私は戦い続ける事が出来る。
彼はこのように言ったのです。
彼の妻の名を知っている方は少ないでしょう。
しかし彼女の仕事の値打ちは、どうでしょうか。
1万人の男性の兵隊の力よりも劣るでしょうか。
そんなことはありません。
あのルターを強くしたのは、妻の優しさであり、愛だったのです。
それを、全キリスト教会を変えていくエネルギーとして、ルターは戦っていたのです。
彼女の仕事はすばらしい仕事です。
一人の勇者、英雄が出て、世界を支えんとするときに、その勇者を支える女性がいるとすれば、その勇者を生み育てることが出来たのならば、その女性一人の人生は賞賛に値するのではないでしょうか。
「女性は尊い。なぜなら釈迦やイエスを産んだのも女性なのだから。」