zero


2001年10月11日

日本全国から集まった11人の消防士たちは、ニューヨークの現場へと向かいました。


現場に着いた彼らは自分の目を疑いました.

30メートルはあろうかという、見上げても一番上が見えないような瓦礫の巨大な山が目に飛び込んできました。

「これが世界貿易センターだったのか・・・・。」


11人の消防士はすぐに現場の中心へ、と考えました。

ところがアメリカ政府は「消防」の目的とはいえ、事件が起きた中心部への外国人の立ち入りは、きびしく規制しておりました。

各国から到着した「救助チーム」の多くも、崩落現場の外の活動に限定されていました。



規制線の張られた外側で、もどかしい思いで情報の収集を行っていると、一人の高齢の牧師と出会いました。

その牧師さんは、彼らが日本から駆け付けた消防士たちだと知ると、こんな話をし始めました。


「私が第二次世界大戦に参加したとき、沖縄に上陸して日本人に銃口を向けたことがあります。

それなのにその日本から我々を助けに来てくれている。

心から感謝いたします。

ぜひ、あなたたちに手伝っていただきたい。」


その牧師さんは、実はニューヨーク消防官のOBでもあったのです。

このやり取りは、現場の担当者の耳にも入りました。

そして、すぐに異例とも言える特別な許可が出て、牧師さんが案内するままに、立ち入りの厳しく制限された現場の中心地まで入る事が出来たのです。


彼らは日本を代表して国際競技大会に出場するほどのメンバーです。

指示を受けると「救助」と「消火」の2つの班に分かれて、焼きただれた鉄骨と瓦礫の中で、放水冷却や救助活動を手際よく行ったそうです。


その日の作業が終わって、11人の消防士たちはホテルへと引き上げることになりました。

その帰り道を歩いていると、驚くようなことが起きたのです。


道ですれ違うアメリカ人が、彼らの姿を見ると、

駆け寄ってきて口々に

「サンキュー・ベリーマッチ」

と声をかけ、時には日本語で

「ありがとう」

と話しかけて、握手を求めて、大勢のアメリカ人が集まってきたのです。


実は彼らの事を地元のテレビ局が「日本から消防士が飛んできて、私たちを助けてくれている。」と報道していたのです。


さらに驚くようなことが起きました。


地元のニューヨークの消防士たちが、今回の活動をねぎらうため、簡単な夕食会を開いてくれたときのことでした。

大きなレストランの片隅の席に着き、注文を決めていると、突然、店にいた一人の男性が立ち上がり、店内に向かって大きな声で叫んだのです。


「みんな聞いてくれ。

日本から私たちを助けにきてくれた勇敢な消防士たちがあそこに座っているんだ!!」


それまでにぎやかだった店内が一瞬静まり返ると、次にはすべてのお客さんが、ナイフやフォークを置いて立ち上がり、拍手をしたのです。

その拍手は数分間も続き、そのあと注文もしていないのに、食べきれないほどの料理が次から次へと運ばれてきたそうです。




この「11人の消防士たち」のお話については

中沢昭さんの書かれた

「9・11、Japan ニューヨーク・グラウンド・ゼロに駆けつけた日本消防士11人」

http://books.yahoo.co.jp/book_detail/31025347

に詳しく書かれております。

ボランティアのあり方を考えさせる、感動の一冊です。


sakura1


先月、やっとパソコンが直ったと思ったら、再びダウン。ガーン


とうとうハードがダメになったようで、結局パソコンを買い換えました。


そんな訳で、皆様にご挨拶ができませんでした。


まだまだビスタには慣れておりませんが、「復活」させていただきますね。アップ


よろしくお願いいたしますニコニコ

先般、ご紹介させていただきました「盲目の演歌の達人-清水博正さん 」ご本人から、コメントをいただきました。


ご紹介いたします。


清水博正です

ぼくのことを ブログに書いていただき、ありがとうございます。
ぼくは、清水博正 本人です。
これからも がんばって歌い続けて生きたいと思います。
応援よろしくお願いします。

清水博正さん、コメントをいただき、ありがとうございます。


これからも、応援いたします。('-^*)/


皆様も清水博正さんの応援、よろしくお願いいたします。(≡^∇^≡)



また素晴らしい達人を見つけました。

ご存知の方もいらっしゃるかもしれません。

何しろNHK「のど自慢 平成18年度チャンピオン大会」でグランドチャンピオンを受賞した方ですから・・・・

彼の名前は「清水博正さん」といいます。

詳しいプロフィールはこちら

幼い頃から視力を失った彼は、それでも歌が大好きでした。

「好きな歌で感動を伝えたい。」

彼は努力してとうとう、のど自慢でキングオブキングになりました・・・。

私は、彼が一日も早く「メジャー」になることを望んでいる一人です。

彼の歌声が、日本の芸能界に一石を投じてくれる気がするのです。

本多静六



頭をたれる


「貧乏を征服するには、まず貧乏をこちらから進んでやっつけなければ成らぬと考えた。

貧乏に強いられて、やむを得ず生活を切り詰めるのではなく、自発的、積極的に勤倹貯蓄をつとめて、逆に貧乏を圧倒するのでなければならぬと考えた。

そこで断然決意して実行に移ったのが、本多式「四分の一天引き貯金法」である。


苦しい苦しい生活を続けて、それでもいくらか残ったら・・・・と望みを掛けていては、金輪際(こんりんざい)余裕の出てこようはずはない。」

久々に感動した書籍に出会ったので、皆様にご紹介したいと思います。

「私の財産告白」
私の財産告白/本多 静六
¥1,050
Amazon.co.jp




著者は伝説の億万長者といわれる「本多静六」先生です。


honndaseiroku


彼は大学教授でありながら、莫大な財産を築きました。

しかしながら、定年退官を期に、全財産を匿名で寄付しました。

その後も「人生即努力、努力即幸福」をモットーに戦中戦後を通じ、働学併進の簡素生活を続け、370冊あまりの著作を残し、1952年85歳で亡くなりました。

本多静六先生が如何にして、億万長者に成られたかを御著書から、皆様と共に学んで行きたいと思います。

皆様と共に「真の億万長者」に成って行こうという決意の下に・・・・

よろしければ、これからしばらくお付き合いください(^_-)-☆

・・・・・・その1から続く・・・・・

yuuhi

いよいよ具体的な動きが始まると、二つ目の壁が現われました。

働かないで、昼寝ばかりしている現地の作業員。

食事に誘うと、仲間を10人も連れてくる現地の人。


そして三つ目の壁は、どんな話を進めるにも裏金を要求されるということでした。

つまり、一つ目の工事をするためには2倍のお金がかかるということを、初めて知りました。

けれどもそれが、土地の慣習ならば仕方がありません。

良い悪いの問題ではなく、国民性の違いだから仕方がありません。

そのため、準備していた資金はたちまち底をつきました。

けれども寄付は絶対に募らないという決心は、最後まで曲げるわけには行きません。

広岡さんは、先祖から受け継いだ山も土地も、自宅までも手放して資金を注ぎ込みました。

こうして注ぎ込んだ私財は、およそ5億円。

そうして完成したのが「サイパン法性寺」http://saipan-hoshoji.com/index.htm です。

この寺は日本人だけでなく韓国人、朝鮮人、アメリカ人など、犠牲になった全ての霊を慰める「国境なき寺」にしたいと語る広岡さん。

疲れとストレスで、何度も血尿を出しながらも、それでもあきらめなかったのは、なぜなのでしょうか?

広岡さんは語ります。

「今の平和と繁栄が、どれだけの尊い犠牲の上に成り立っているのか?
これを忘れてはいけないのです。
それを伝えていくのが、本当の仏教ではありませんか?
金なんかいらない。こんな坊主が一人くらい居てもいいでしょう。」

サイパン島の犠牲者は、日本人だけでも軍人と民間人を合わせて5万5千人。

けれども、広岡さんの手元にある犠牲者の名簿には、まだ1000人程度の名前しか記録されていません。




kurifu
「法性寺」の住職、広岡さんが、バンザイクリフに立ったのは、2004年の4月のことでした。

バンザイクリフとは、サイパン島の最北端の断崖のことです。

太平洋戦争の激化の中、サイパン島ではアメリカ軍と日本軍のすさまじい戦いがありました。

島の北へ北へ追い詰められた日本軍は、捕虜になることを恥と考え、この断崖から「バンザ~イ」と叫んで身を投げたそうです。
(参考HP http://www11.ocn.ne.jp/~mino0722/saipan10.html

しかし、こうしたバンザイクリフも今では上級者向けのダイビングスポットとして人気も高く、ツアーにも組み込まれているそうです。

およそ80メートルの崖の下で岩に砕け散る白い波を見つめたとき、広岡さんはここから身を投げたという数千人から1万人もの人々に思いを馳せました。

その日の海は、飛び降りた人の血で真っ赤に染まったといわれています。

広岡さんは最初、僧侶というよりも、ごく普通の人間として素朴に思いました。

「自分なら、こんなところから飛び降りることが出来るだろうか?」

次の瞬間、戦争を知らない世代である広岡さんの胸の中に、次から次へと湧いてきたもの、それは亡くなった人が感じたであろう「恐怖」や「無念さ」でした。

両方の目から涙をポロポロこぼしながら、広岡さんは心に誓いました。

「ここに寺を建てよう。そして海に散った御霊を供養しよう。」

けれども、いざ行動を起こしてみると、これが如何に無謀な計画であったか、すぐにわかりました。

歴史も文化も生活も慣習も違う土地柄・・・・・・。

まず最初に突き当たった壁は、どうしてここに寺が必要かを説明することでした。

広岡さんは、釈迦の教えもキリストの教えも宗教的な知識を総動員して、北マリアナ諸島政府と交渉し、現地の人々を説得して回りました。

「わかりました。いいでしょう。ここに寺を建ててください。」

広岡さんの努力で、バンザイクリフ近くの3000平方メートルの土地の無償提供が認められ、お寺の起工式が行われたのは2004年8月15日のことでした。

いよいよ具体的な動きが始まると、二つ目の壁が現われました。

・・・・・・その2に続く・・・・・・・


fuji1


やっぱり「日本一」って響きはいいですよね。\(~o~)/

壮大な富士山を仰ぎ見て、まずは「日本一」を!!



fuji2


天使の光臨

天国へ帰ったあなた自身から、今のあなたへのメッセージをご覧になることが出来ます(^.^)


信用度はイマイチですが、参考になる方もいらっしゃるかも・・・(^_-)-☆


ご興味がある方は、こちらまでどうぞ
http://www.uremon.com/heaven/