「有名な芸術家で知っている人を上げてください。」

皆さんはいきなりこんな質問をされたら、誰の名前をあげますか?


私は、迷うことなくパブロ・ピカソをあげます。

柏倉 康夫
ピカソの祈り―名画〈ゲルニカ〉の誕生から帰郷まで

彼のフルネームが長いこと、〈パブロ、ディエーゴ、ホセー、フランシスコ・デ・パウラ、ホアン・ネポムセーノ、マリーア・デ・ロス・レメディオス、クリスピーン、クリスピアーノ、デ・ラ・サンティシマ・トリニダード〉は有名ですが、彼の生い立ちについては伝説化されていて、あまり真実味がなくなっている感は否めません。

そこで「傲慢」といわれることを承知しながら、私の「ピカソ像」を、今日はご紹介したいと思います。

(出来る限り人間「ピカソ」を強調したいと思っておりますが、かなりすごい人物であっただけにうそっぽく聞こえるかもしれません(~_~;)



ピカソが、最初に口にした言葉は「ピス」であったと言われております。

ピスとは「ラピス=鉛筆をとって。」のことだと言われています。


そして鉛筆と紙を与えられると、何時間でも「らせん模様」描き続けたと言います。

また、彼の絵は最初からスタイルが確立されており、子供っぽい絵など書いたことはなかったそうです。


ピカソの父親は、レストラン装飾が専門の画家でしたが、やがて美術学校の絵画教師となり、ピカソが10歳のとき父親のクラスに入学することになったそうです。


父は、ピカソに毎日のように鳩をデッサンさせ、あるときは鳩の足を切ってピンで止め、納得のいくまで写生させたといいます。


また、「デッサンをみれば画家の腕前が分かる。」と言うのが口癖で、デッサンが上達するまでピカソには絵の具を使わせなかったそうです。


ある日、彼の描いた鳩の絵を見た父は、自分の絵の具や絵筆をピカソに与え、それ以後二度と自分で絵を書くことは辞めたと言うことです。


その瞬間息子ピカソが、自らの才能を越えてしまったことを、芸術家でもあった父は悟ったのかもしれません。



鳩







あなたにささげる

百樹 光亮
あなたにささげる老教師アイフォス二十五の断章

前回に引き続き、「第11章  ホーム」の後半をご紹介いたします。




父親が意外とニコニコと迎えてくれた。

父親は飲んだくれだが、ちゃんと働いているということだった。

母親がお茶を出してくれた。

奥の台所の様子が目に浮かび、すぐには湯飲みに手が出せなかった。


だがそこには別人のさくらがいた。

私と話している父親の背中に何度も甘えるようにおぶさり、ちらっちらっとうれしそうにこちらを見た。

はしゃいでいる弟たちを大声で追い掛け回し、つかみかかっていた。

弟たちと、わいわいキャアキャアふざけていた。

大きな笑い声と笑顔がこぼれ、調子に乗りすぎているさくらを母親が注意していた。

のびのびしている幸せそうなさくらが居た。


父親が、さくらの小さいときあんな事があった、こんなことが有ったと、いろいろ話してくれた。

さくらが、さくらが、と嬉しそうに話す父親からは、かわいがっている温かな情が感じられた。

そんな父親の話をちょっと後ろで母親がでしゃばらず聞いていた。

三人の子供たちは、にぎやかに騒いでいた。


私は、それからさくらが休んだ日は度々訪問した。

訪問が夜になることも時々あった。

そんな時姉弟が食べるチョコレートを買っていった。

雨でぬかるんでいる地面を踏んで家に近づくと、薄明るい家の明かりも外からはずいぶん明るく感じられた。

中に入るといつも子供をかわいがるお父さんの笑顔があった。

家族の世話をする優しいお母さんのまなざしがあった。

子供たちが楽しくふざけあっていた。

私はこの家の空気に感染した。


びっくりしたこともあった。

空の浴槽でいつも亀を飼っていた。

亀には身に過ぎた住まいでも、人間はいつどうやってお風呂に入るのか?と思った。

世間から変わった家、ずれている家と内心さげすまれているさくらの家庭。

近所からの付き合いも距離を置かれている。

車がない、電化製品がない、服装が汚い、風呂も満足に入っていない、窓が割れている。

でも家庭の原点がこの家にはあった。

子供をかわいがる父親と母親。

親を慕う子供たち。

互いに寄り添う夫婦。

世間からどんなに理解されがたくとも、変わって見えても、さくらの家はそれらが備わっている正統派の家庭であった。

彼女には家庭という癒しの場、エネルギー源、活力の場が立派に用意されていた。


スピルバーグの映画「ET]で、ETが一人地球に残され、帰郷を願って「ホーム」と、かすかな声で数回つぶやく場面がある。

あの「ホーム」は、家族、家庭、ふるさとの意味であろうか。

自分が帰りたい所、心のよりどころとなっている所だろう。

心の中に、帰ることの出来るところを持っている人は幸せである。


あれから歳月が流れた。

さくらは、もう三十代半ばのきれいな婦人となっていた。

私と会ったとき、「お父さんの次に、先生が好き。」と言ってくれた。

「お父さんの次」

これは彼女からの最高の賛辞であると私は見なした。


やっぱりあの雨の日、教室に乱入した酒臭い男には勝てなかった。



夕暮れ



2月1日 にご紹介させていただきました百樹光亮さんの「あなたにささげる老教師アイフォス二十五の断章」が、私がご紹介している達人の間で、静かなブームとなっております。


またultraman1959さんのブログ でご紹介もしていただきました。

まだお読みになっておられない方は、今すぐ読んでみてください!!



あなたにささげる

百樹 光亮
あなたにささげる老教師アイフォス二十五の断章

まだお読みになっていない方のために、内容を少しだけ、ご紹介させていただきます。

著者のご了解を得て今回と次回に分けて「第11章 ホーム」を全文ご紹介させていただきます。




第11章 「ホーム」


雨で教室のガラス窓が曇っていた。

突然、男の乱入を受けた。

なにやら怒鳴っている。

私アイフォスは急いでその男の近くに行った。

とにかく状況を正確に把握しようと緊張してその男を見た。

四十代くらいの赤ら顔のがっしりした体格の男だった。

「何でさくらをいじめるんだ。小僧ら出て来い!てめえらひっぱたいてやる!」

呆然と見ている周りの子供たちに怒鳴った。

少し酒臭かった。

「さくらをいじめる奴、出て来い。殴ってやる!」

私は大体状況は呑み込めた。

男は今日欠席しているさくらの父親だ。

そのさくらが日頃いじめられていると思って、いじめっ子を制裁しようと教室に乗り込んできた。

担任が無論責任ある事柄であるが、父親の行動は今子供たちに向かっていた。


私は父親をなだめにかかった。

「すみません。子供たちにはこれから十分注意します。話もゆっくり聞きますので、下へ行きましょう。」

私はこれを繰り返した。

父親は、子供たちをにらみつけ同じ意味のことを繰り返した。

二人のやり取りを子供たちは黙って見ていた。

その内少し父親のトーンが下がってきた。

私は男にぐっと近づき背中に右手を回し、左手で出入り口の方を示し、どうぞの仕草をして退出を促した。

このくらいで勘弁してあげようと思ったのか、とりあえず気が済んだのか、階下の別室へ案内できた。

これが父親との最初の出会いだった。


教室でのさくらへのいじめというのは、隣の子が机をきちんと並べず少し開ける、同じ班になりたがらない、一緒に遊ぼうとしないなどいろいろあった。

さくらは勉強も遅れがちであった。

さくらはいつも自信無げに周囲をうかがっていた。

遠足の日、弁当を広げる一番楽しい時、皆は色とりどりの美味しそうな弁当箱を開けて楽しそうなのに、さくらはそっと隠すように自分の弁当箱を開けていた。

中には半分に切った食パンが押し込まれるように一つ入っていた。

貧しいとか勉強が出来ないとかいろいろなことが重なって、なんとなく自分たちとは違う、不潔だ汚いという差別感を子供たちは持っていた。

さくらには腕力とか泣きわめく反撃力もなく、目はいつもおどおどしていた。

さくらは雨の月曜日は休みがちだった。


その日も欠席してしまったので、仕事を終えた夕方、私は家庭を訪問した。

学区のややはずれに借家が三軒ずつ二列に並んでいるところがあり、さくらの家は奥の列の真ん中にあった。

近所の人も「ちょっと自分たちとは違う家」と距離を置いているような噂だった。

借金の督促状が玄関の引き戸やオートバイに嫌がらせのためかベタベタ張ってあった。

引き戸を開けて挨拶して畳へ上がりこんだ。

どういうわけか隣の部屋は畳を全部起こして立てて重ねてしまい、底の板が見えていた。

割れた窓ガラスが二枚そのままになっている。

奥の台所の蛍光灯が点いたり消えたりして、暗い洗い場に積まれた茶碗やなべをぼんやりと照らしていた。

外の雨が染み込んで来るはずがないのに、自分が座っている畳がなんとなくジメジメと湿っぽく感じられて嫌だった。



壊れた家


・・・・・・次回に続く



崖


四苦八苦


時は今から二千五百数十年前。

場所は北インド。

一人の王子が流れる雲を見つめている。



人は、


なぜ生まれてくるのか。

なぜ老いるのか。

なぜ病になるのか。

なぜ死ぬのか。


この疑問に答えてくれる人がいたら、私は出家を思いとどまることにしよう。



ある時、彼は賢者といわれる人たちにこの疑問をぶつけてみた。


ある修行者は、

「生まれることに理由はない。花が枯れて種が出来るように、自然と子供が宿るのだ。それが自然の摂理だ。」といい、


医者は、

「病とは、肉体の故障である。長い間使っておれば、どんなに優秀な道具でも故障ぐらいするもの。深く考えてもしょうがない。」と、はき捨てた。


父王は、

「死とは悲しきもの。人は皆永遠の生命を求めるが、しかし絶対に不死は得られない。得られないからこそ生というものにありがたみを感じることが出来るのではないか。」

と王子を説き伏せようとした。


しかし、彼らの答えは王子を満足させてはくれなかった。



彼らの答えでは、この四苦の苦しみからは逃れることは出来ない。

そればかりか、


嫌いな人と出会う苦しみ

愛するものと別れる苦しみ

求めるものが得られない苦しみ

欲望を抑えることができない苦しみ


もある。

これらの八つの苦しみから逃れるためには如何にすればよいのか。

どこに行けば答えが得られるのか。


父王は、生とはありがたいものだというが、私が生まれることで生母は亡くなった。

悲しみのうちに私は生まれてきた。

自分が生まれてこなければ母は生きていた。

何のために自分は生まれてきたのだ。

母を殺すためなのか。





・・・・次回に続く



みなさんはベンジャミン・フランクリンというと、どんなことを連想いたしますか?


ベンジャミンフランクリン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』



まずはこちらでしょうか?



100$

他には を用いた実験で、雷が電気 であることを明らかしたことでも知られていますね。雷


私は、愛知万博アメリカ館 での彼の印象がとても鮮明に残っております。

館としての出来栄えもパビリオンの中では、秀逸であったと私は思っております。




アメリカが、いまだイギリスの植民地だった頃、ベンジャミン・フランクリンはボストンに生まれました。

印刷工から身を起こし、新聞を発行し、哲学者、経済学者、科学者、政治家として生き、アメリカの独立宣言起草委員となった彼は、時には義勇軍連隊長まで勤めたそうです。

しかし、人は彼を「アメリカ資本主義の育ての親」と呼んでいます。

フランクリンの生き方を一言で言えば、「無限の向上心」を持つ人。

若い時こそ人を信用し過ぎて裏切られることもありましたが、そのたびに再起し、決して暗く落ち込むはありませんでした。

あくまでも自分に正直に、相手に誠実に、着々と人生を築きあげてゆく・・・そんな人がベンジャミン・フランクリンでした。


彼は「十三徳」といわれる道徳や戒律を自らに課した事もあるそうです。

十三徳とは、「節制」 「沈黙」 「規律」 「決断」 「節約」 「勤勉」 「誠実」 「正義」 「中庸」 「清潔」 「平静」 「純潔」 「謙譲」

です。

なにか、二宮尊徳翁の考えに似ていると考えるのは私だけでしょうか。

やはり賢人といわれる方々は、こうした精神的修養を皆やられております。


フランクリンはこうした精神的修養だけでなく、経済的修養にも力を注いだ方であったようです。

22歳で印刷組合を作ってから、彼の社会的活動は本格化していきますが、図書館や大学を作ってときも、各宗派共用の集会場を建てたときも、義勇軍を組織したときも、彼はまず「提案書」を起草しました。

そして、目的物の必要性、利便性だけでなく、その経済的分担や費用の合理性を必ず説きました。

それは、彼の経済的自立・独立を求めた苦闘の青春時代の成果であり、経済的合理性への天才的洞察力の現われでもありました。

このあたりが「資本主義の育ての親」といわれる所以でしょうか。


フランクリン, Benjamin Franklin, 渡辺 利雄
フランクリン自伝

彼はとても文章を書くことに長けていたようです。

そりゃそうですよね。

「アメリカの独立宣言起草委員」なのですから。

しかしながら、文章上達の基礎になったのが「まねる」事だったことは、あまり知られておりません。

彼は、15歳から「スペクテイター」という日刊紙の中の「立派な文章」をまねることを始めました。

一度読んだ名文の意味だけをメモしておき、何日か経ってからその再現を試みる。

原文と見比べては直し、また書く・・・・・・というやり方(原文復元法)を行っていたそうです。

その結果彼は「相当な文章家」になれただけでなく、「思想を整理する方法を学ぶことが出来た。」そうです。




 

先般、我が家の「お雛様」を1年ぶりに、出させていただきました。おひなさま


お雛様1


お飾りやお人形を全部を出し終え、完成まで1時間10分15秒


やったー 万歳 


記録更新

去年より3分35秒の短縮です。

毎年3分から5分完成までの時間を縮めていましたが、、長女の協力が得られそうもない来年はどうなることやら。ガーン


毎年家族総出のこの行事も、子供たちが大きくなるにつれ、次回のことを考えてしまうのは私だけでしょうか。



お雛様2


お雛様3


来年も家族5人で楽しくお雛様が飾れますように。


皆様にも、楽しいひな祭りがきますようにお願い



羽子板





今日は久しぶりに一倉定師をご紹介いたします。

一倉 定
社長の条件篇


部下の立場に立って顧客を無視する


ある会社の工場長は、熱心な人間関係論者だった。

企業は何よりも「人の和」が大切であり、そのためには何事も、よく部下と話し合って決めなければならないと思っていた。


私はある日、工場長と二人きりで話しをした。


工場長の人間関係論それ自体は反対ではない。

しかしそれが経営に優先してしまうのはいけない。


企業はお客様から仕事をいただいて、初めて食べていけるのだ。

ところが、お客様というものは、あなたの会社の内部事情など全然考えない。

考えるのは自分の立場だけなのだ。

「これこれの品物をいつまでに欲しい。」という要求を、あなたの会社にしてくるだけなのだ。


当然のこととして、あなたの会社の内部事情と合うはずがない。

お客様の要求と食い違う内部事情を、いかにしてお客様の要求に近づけるかを考え、実現させるのが工場長の役目なのだ。


あなたのように、部下の立場に立って、お客様の要求を二の次にしてしまうのでは、しまいにはお客様から愛想をつかされてしまう。

そうなったら会社は終わりだ。


会社を存続させるためには、いかにしてお客様の要求に、こたえるかを考えるのが第1であり、工場長の責任において、自らの意思によって、お客様に納期の返答をすべきである。


部下の意見を聞かなければ決められないようでは、工場長として失格である。


如何に無理であろうと、これだけの仕事をこなさなければやっていけないということを、よくよく部下に説明し、納得させ、部下と一緒になって、死に物狂いで努力しなければならないのだ。


「部下に無理を言ってはいけない。」というのは、遊戯の理論であって、企業戦争の理論ではない。




経営者は、企業あっての”人間関係”であることを忘れないでもらいたい。

人間関係あっての”企業”ではないのである


一倉 定


今日ご紹介する達人は、トライアスロンの達人でありながら、酒米にも日本酒にも詳しいかねやんです。


かねやん

酒好きのかねやんと飲んでいるところをパチリ。

かねやんは「花の○」を飲んでいます。

何十年かぶりの静岡だそうです。


ところでかねやんは、そこらへんにいる、ただのノンベーと違います。

彼は佐渡国際トライアスロン大会 でなんと13位になったこともある、正真正銘の鉄人なのです。!!


トライアスロンは皆様もご存知かと思いますが、改めて簡単なご説明をさせていただきます。

一般的にトライアスロンは、スイム1.5km、バイク40km、ラン10kmのトータル51.5kmで争われます。

1.5kmを泳ぐだけでも、途中で沈んでしまいそうですガーン

ただ、佐渡国際トライアスロン大会は「ロング」といわれ、全行程は180kmを超えるというのですから、驚きです。

まさにアイアンマンですね。走る人


しかも、お酒にも詳しいときている・・・・

新潟出身だからといってしまえばそれまでなんですが、新潟出身だからといってお酒に詳しいとは限らない。(もちろん分かっております)


現在はお米の育種に関するのお仕事されておりますが、人脈が広いのでたくさんの達人をご紹介いただけそうです。


かねやん、期待しておりまっせドキドキ





光葉

それでも・・・・・懸命に生きている



私の中学校時代は、「金八先生 」の時代。

学校内での暴力事件が後を絶たず、ついにわが母校も全国紙に載る始末。


でも、今の学校が抱えている問題とは、ちょっと様子が違うように感じる。

自分の頃の学校問題は、金八先生の加藤君 事件のように、親から、先生から押し付けられた型に、はまることに対する反発が、大きなエネルギーとなって、外へ(体制に対する反発)向かっていた気がする。


翻って、いじめ問題でゆれる現在の学校問題はどうであろうか。

子供たちは、表面上は親や教師の型にはまりながら(いや、はまろうと努力しながら)、閉じ込められた閉鎖感、行き場のない苦しみや怒りのエネルギーを、内面に溜め込んでいる。


溜め込んだエネルギーは、張り詰めた弓から放たれたの様に、様々な人の心を目指して飛んでいく。

その矢は、変わった格好、言動をする仲間に、

精神的肉体的に能力が劣ると、大人たちが勝手にレッテルを貼った仲間に、

自分が気に入らないと思った仲間の心に飛んでいく。


何のことはない、責任は大人にある。

子供たちに間違った価値観を与えているのは、私のような大人なんだから。


親は、仕事の忙しさを理由に、心の教育を学校の先生に押し付けた。

学校の先生は、子供たちに「正しき心」を伝えたいが、自分たち自身が学校では教えられ育ってきていない。

伝えたいけれど、何がで何がかすらわからない。

(親や周りの大人が、善悪を教えてくれて育った人は大きな救いである)

自信が持てないから、真摯な教師ほど結果(学校の目・親の目)が恐くて、子供たちに伝えられない。

伝えられない苦しみから、自分を傷つけてしまう教師もいると聞く。


何かが間違っている。

みんながそう思っている。


けれども子供たちは、アリ地獄のような環境の中で、大人たちが何とかして自分を救ってくれるのではないかと期待し、


今日も懸命に生きている。


子供



いじめから子供を守ろう!ネットワーク


The Liberty (ザ・リバティ) 2007年 02月号 [雑誌]
The Liberty (ザ・リバティ) 2007年 03月号 [雑誌]




教会



人を愛し  人を生かし  人を許せ


時は1871年。

ところは鹿児島。


あにょ(兄貴)、人を指導するのは難しいのう。


人を導こうとするから、いかん。

まずその人を愛せ。

それから、その人となりを生かせる方法を考えばよか。


あにょは、人を愛せとよくいうが、わしにはいっちょんわからんど(全然解からん)。

どうすれば、愛せるのか・・・


なあに、簡単なこと。

その人を自分と思えばよか。

自分を愛するように、その人を思えばよか。

人を生かすのも、そん人となりを愛せばよか。

そん人を信じればよか。


じゃっどん、信じて裏切られたらどうするか。


それなら許せばよか。

かんさあ(神様)がおい(私)を許してくれるように。



天はあらゆる人を同一に愛する

ゆえに我々も自分を愛するように

人を愛さなければならない


西郷 隆盛