裁判傍聴(その5) | じぃのヒトリゴト

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博多ストーカー殺人事件の判決を傍聴してきました。

結局全6回のうち4回傍聴しました。

検察側の30年の求刑に対して、弁護側は17年が妥当としてきたのですが、結局20年の判決でした。

争点は、待ち伏せした上の犯行という検察側の主張と偶然に出くわした後の犯行だったという弁護側の意見の違いでした。被告本人も待ち伏せしていたのではないということに終始一貫してこだわっていました、それだけは認めてくれという、切実なものすら感じました。

私自身、検察側の待ち伏せ説は根拠が弱いような気がしていましたから、刑期の長さはよくわかりませんが、待ち伏せ説を全面的に否定した判決は納得できるものでした。おそらく、多くの裁判員も同じ反応だったのだと思います。

気になるのは、実際の被告の表情を見、弁護側や検察側の説明を聞いた私や裁判員の印象と、ネットで出てくる意見との違いです。ネットでは、

「刑務所から出たら、必ず同じことを繰り返すから」

という意見が圧倒的に多くて、おそらくそれは、ネットやテレビでは必ず出てくるかなりインパクトの強い彼の写真と、人目をはばからない場所での残虐な犯行に対するイメージの問題なのでしょう。私もそれはよくわかりますが、実際に見た印象とは異なります。確かに、目はくぼんでいて怖いのですが、彼の身体中から感じたのは、とんでもない事件を起こしてしまった戸惑いです。

 

4回出席しながら、これとは全く異なる2つのケースを思い出していました。

一つは戦時中ニューギニアにいた義父の話です。

酒を飲むとよく彼は言っていました。

「弾が後ろから飛んで来るんだよ」

つまり、どさくさに紛れて、日本人が日本人を殺すことがあるんだということを彼は言いたかったのだと思います。

それは、戦争とは別の殺人です。その殺人者は、もし生きて日本に戻ってきていたら、どう考えていたのだろうか。やはり、ずっと戸惑い続けていたのだろうか。会ったこともない、その殺人者のことを考えてしまいました。

 

あるいはまた、自分自身のちょっとした見栄っ張りな言い訳によって、意に添わない書類の改ざんをさせることになり、自殺の遠因になったことをどのように考えていたのだろうか。戸惑いはあったのだろうか。

 

裁判長の最後の言葉。

「あなたの反省の言葉は表面的なものでした。どうして罪をおかしたのかという考えが十分に至っているとは思いませんでした。生涯をかけて事件に向き合い被害者へ償いをしてください」