2年ほど前にわが家の10歳児(当時)が土日に泊まりに来るたびに、短い作文を書かせたことがあります。(もちろん、多少のご褒美つきで)
今日、それを見せてくれということで、PCを開いて見せたら、それを斜め読みしつつ、
「下手だねぇ。どうでもいいことしか書いていない」
と、がっかりした声を上げていました。
そうか、私にとっても、そういう作業が必要だったんだなあ、と思い当たりました。
私が小中学生だったころ、文学少女だった母親が、私の書いたもののほとんどを原形が留めないほど直して、その結果、校内だけではなく、その周辺の地域の一等賞をとったことがあります。
なにしろ、私が書いたものではありませんので、「下手だなあ」と感じる間がありませんでした。
だから、私の作文の実力が劣悪だと知るまでにかなり長い年月がかかりましたし、作文がうまくなるための基礎的な訓練をしたこともありません。
ああ、そういうことなんだなあ、もう手遅れだけれど、そういう失敗だったんだなあ、と思いました。
ところで、あの時の作文のタイトルは「現代っ子」でした。
もちろん、母が作ったタイトルでしたが、それだけは今でも覚えています。
それにしても、いつの時代も「現代っ子」という人種がいるもんなんですね。