バニラ・ジェンダー仮説 | 臨床心理士の今日の一言

臨床心理士の今日の一言

~パークサイド広尾レディスクリニックのカウンセラーより~

昨日から1冊の面白い本を読んでいます。
スーザン・ピンカーという発達心理学と臨床心理学の専門家が書いた「なぜ女は昇進を拒むのか」という本です。



この本では、高学歴で専門職や大学教授についたり経営者として非常に出世した女性たちが、あるときそれ以上の昇進を拒むこと、
家族の介護をしたい、子どもや夫たちと一緒の時間を長く過ごしたい、もしくは教育や医療、看護や社会福祉の仕事など人とより触れ合う
仕事がしたいということを望むようになる、という現象について説明しています。
一方で、男性は長時間仕事をし、人と触れ合うことよりも人と競争して相手を蹴落とすことを求めるというのです。



先進国では、男女機会均等法などができて、女性だからという理由で仕事上の差別が起きないように、対応がされています。
しかし、この昇進を拒む女性たちは、たとえ待遇が悪くなったとしても男性が望むようなCEOになるとか、終身大学教授になるといった仕事は望まないというのです。



男女機会均等法の出来た背景には、今日のコラムのテーマである、バニラ・ジェンダー仮説というのがあるといいます。
ここでいう「バニラ」とは普通の、一般的なという意味です。
アイスクリームのバニラ味の普通さから来ているそうです。



男女機会均等法の背景には男性は人間の標準で、女性は機会さえ与えられれば、男性と同等の能力が発揮できる、という考えがあるといいます。
しかし、実際に調べてみると、小さい時からの知能指数、大学進学率、大学院での学位取得率など、男性より女性の方が優秀であることがわかっています。
このままでは大学が女子大化してしまうと危惧した大学当局が、男子学生に下駄をはかせて入学させているというのです。

こうした優秀な女性たちがなぜ有望なキャリアを離脱するのでしょうか?


筆者は、遺伝子、脳の構造、ホルモンの分泌などといった要因から明快に答えてくれます。

女性はX染色体を2つ持っています。
X染色体は、脳の形成をつかさどる情報が書かれています。
2つX染色体があれば、1つに欠損があっても、スペアで必要な情報
を補うことができるというのです。


一方、男性はX染色体を1つしかもっていません。
注意欠陥他動性障害やアスペルガー障害、自閉性障害など脳の器質的な問題に起因する傾向が男性により起こりやすいのも、X染色体のスペアがないことで説明できるというのです。
1つしかないX染色体に問題があると、スペアで必要な情報を補うことができず、問題が残ってしまうというのです。

しかし、男性の脳は、持っている障害を克服しようと、持続的でさまざまな努力を続ける傾向があるといいます。
そのため、特異な分野で目覚しい成果をあげるのは男性が多いのであると説明されています。



男性の脳では、言語は主に左脳のみで処理されます。
しかし女性の脳では、左脳のみならず右脳も使って言語が処理されるのです。
このため、女性はコミュニケーション能力が男性よりも高く、仕事の上でも出世しやすいのです。

しかし、このコミュニケーション能力の高さが、女性に昇進を拒ませるといいます。
私がしたいことは、毎日コンピュータとにらめっこすることや、大建築物の図面を引くこと、化学薬品の調合をすることではない。
この持っているコミュニケーション能力の高さを活かしたい、と思うというのです。



そこには、オキトシトシンというホルモンが関わるといいます。
ストレスや脅威を感じたとき、人はアドレナリンが上昇し、「闘争-逃走」反応が生じます。
しかし、女性ではこの「闘争-逃走」反応のほかに、本能的に近しい人たちと接触しようとする、「友好」反応が生じると言うのです。

この「友好」反応をつかさどっているのが、オキシトシンというホルモンだということ。


オキシトシンは女性の月経周期や対人関係における重要なタイミングで分泌されます。
そして、女性をリラックスさせて子どもの世話に当たれるようにする効果があるというのです。
何かの問題が生じると、女性は本能的に他者と接触を求めて落ち着き、この落ち着く感じが「ごほうび」となってまた他者に接触する行動を強化するというのです。



こうした脳の構造や内分泌系といった生物学的特徴から説明されると女性はみな昇進を拒むと思ってしまいがちですが、私は違うと思います。
人によっては、女性でもお金を儲けて社会的地位が高くなることを一直線に望む人もいるでしょう。
人とのふれあいを大切にすることと、仕事や物との関係を追究するというスケールの連続体のどこかに私たちは位置しているのだと思います。


男性は平均的には仕事や物よりで、女性は平均的には人とのふれあいを好むという程度のことだと思います。
性差よりもずっと個人差が強いものと私は考えます。

以前勤めていた会社の女性の上司は課長職でバリバリ働いていて、旦那さまは専業主夫をされていました。
先日、現役復帰したテニスのクルム伊達公子選手は、惜しくも負けてしまいましたが、第一セットは見事な試合をしていました。
相手としたら本当に嫌に思うだろうなというような打ち返せないようなところにストロークを出して、どうみても男性的な競争心にあふれた
試合をされていました。



この本の面白いところは、男性・女性を対比して分り易く説明したところです。
しかし、同じ男性でも平均的女性より人とのふれあいをずっと強く求める人がいます。
その反対もしかりです。
男女差への興味にとどまらず、個人差の理解にまで踏み込んで書いていただけたら、もしかしたら「なぜある人は昇進を拒むのか」という題名になったと思います。
その方が、現実にも、ジェンダーフリーの現代社会にも合っているように思うのは私だけでしょうか?


手紙パークサイド広尾レディスクリニック内音譜

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