過去の怒り、さようなら | 臨床心理士の今日の一言

臨床心理士の今日の一言

~パークサイド広尾レディスクリニックのカウンセラーより~


特に何の理由もなく、イライラしたり

ちょっとしたことで怒ってしまったり

自分でもよくわからない行動をとって

しまうことありませんか?


そんな時、それは過去の怒りが

立ち上がっている可能性がある。

数分前の怒りかもしれないし、

数日前の怒りかもしれないし、

数年前の怒りかもしれないし、

随分昔の怒りかもしれない。


その時その場でリアルタイムに怒りを

感じ上手に表現することができたら、

怒り感情はこじれずそんなに残らない。


だが、多くの日本人は、その場で

感じた何かを怒りとしてそのまま

感じることができず、後になって、

ああ私は怒っていたんだと気づく

というようなところがある。

時間差のある人が多いように思う。


時に、怒りを感じちゃいけない、と

思い込んでいて、自分の気持ちより

も相手を優先させることによって、

自分の奥底で感じた怒りは沈潜させ

られることもある。子どもの時、そう

せざるをえなかった人は大人になって

から、その時から感じていた怒りに

あらためて気づく人がいる。


大人になってから気づき、自分自身の

人生で上手くいかないことが続いたり

すると、その怒りはこじれて恨みつらみ

になり悪化することも多い。そして、

それが整理できずにいると、イライラ

の素を常に持つことになる。


イライラや怒り気分に身を任せていると、

自分でもよくわからない行動をとったり、

その気分に振り回されると、通常では

考えられないような行動で、望まない

結果を招いてしまうことがある。


また、表面上には怒りを出さないように

し押し込めると、身体の病気になったり、

気分が落ち込んだりうつ状態に陥って

しまうこともある。


怒りとのおつきあいは、なかなか大変で

ある。怒りがない時は平和なのに、自分

自身に怒り気分がなくても、周囲に怒り

雰囲気をばら撒いて不機嫌でいたりする

人がいるだけで、その影響を受ける。


人の気を感じ、その雰囲気に影響を受け

やすい体質の人は、気づいたらなぜか

怒っていたという形で影響を受ける人も

いるかもしれない。


でも、もちろん、この時も、その影響を

受けた人自身の中の過去の怒りの感情

状態が、立ち上がっているのだ。


大方において、怒りには、

自分が理解されなかった怒り

自分が尊重されなかった怒り

自分の邪魔をされた怒り

自分の思うようにいかなかった怒り

理不尽なことをされた怒り

など、自己中心的なものが多く、

それも人に向かうものだと、ある価値基準

で人を判断し裁いていることが多い。


自分は理解されなくても、

人を理解する側にまわると解決する

ことも多い。


理解できなくても、理解しようという

態度があるだけで、人はやわらぐ。


ただただ怒りにまみれてそのままにして

おくと、人は次第に、自分は一体何で

怒っていたのかもわからなくなってくる。

そして、我を通すことで怒りの解消を

身につけはじめると、自分の生活空間や

人間関係の場に怒りのエネルギーが満ちる

ことになる。


怒りを、そのままただ感じてあげると、

自分を生きるエネルギーにつながって

いることがわかる。そのエネルギーを

ちゃんと感じてあげると、いい悪いでは

なく、生命力そのものが感じられるかも

しれない。


「私はこう感じている」

「私はこう思う」

「私はこう考えている」

「私はこうしたい」


と、怒りが、自分を生きる言葉に変換

されるようになってくると、そんなに

怒り感情は必要なくなってくる。自分を

生きればいいんだなあとシンプルな感じ

になる。


ふだん穏やかな人でも、いったん怒りに

振り回されてしまうと、そこまで怒らなくて

もよかったようなことが、とんでもないこと

になることがある。それこそ命沙汰もある。


怒りを感じた時は、そのままにしないで、

いったん自分が落ち着く場所に移動して、

「今私はどう思ってるのかな」

「何が起こっているのかな」

「私はどうしたいのかな」

と、まず自分に問いかけてみよう。


怒りの背景には、いろんな感情が実は

隠れているかもしれない。場合によって

は、大昔の整理されていない心的課題も。

そして、未来の生きるいろんな可能性も。


今感じている怒りは、現在のものではなく

過去のもので、もう必要のないものだったら、

さようなら、しよう。今までありがとう。と、

感謝をこめて。





虹パークサイド広尾レディスクリニック内

PS広尾レディスカウンセリングルーム星