溟濛散歩 -5ページ目

溟濛散歩

どうにもたちゆかない日々にめぐらす心情のトロ、兼カウントダウン。

他人の存在がわずらわしく感じるときこそその場所から出て行くべきは自分ひとりなのだという事実に途方も無くどうにもならない現実の一端を見るなどといったら、どんだけ大げさなんだと思われるだろうけど、私にしてみれば不愉快な出来ごとほど連鎖する傾向にあると思っていて、それこそイライラして壁をどんとついたら突き指したなんてよく聞く話しで、不愉快のぶつけどころは結局つきつめれば自分自身なのだと言い聞かせない限りどれだけ不愉快を取り除いて身の回りをクリーンな世界に保とうしても、いつまで経ってもウジ虫が湧いてくるみたいにそれこそまとめサイトのコメント欄みたいにクソみたいな存在がわいてくるのが世の条理のようだから「所詮世界なんてそんなもん」とシニカルになって傷つく事を防がなくてはあああああ。
他人の自虐的発言をマイナスの自慢だと感じてしまうのは受け取り手の人格によるものが大きく、例えば「花粉症辛いんだよね~」というような、日常の何気ない一言も、稀に「花粉症の人って病弱な自分アピールしてきてムカつく」みたいな予想外の返答をされて、驚く。ちなみにこれは実話なのだが、、、。
話を大きくしたいわけではないが、これって社会福祉にまつわる問題に似てる気がする。
例えば子ども手当でも、生活保護でも、何らかの負担を抱えている人が受けている前提があるのに、それによって助かる人がいることを想像すらできずに一部の例を見て過剰な批判するバカがよくいる。
そういう連中(彼らは意外と多数派に属している)の歪んだ性格のせいで、私は自分の話をするのが大嫌いになってしまった。
なにを話すにしても、自慢に聞こえないようにしなければならなく、またそれによって過剰に神経を削るから、そもそも口すら聞きたくなくなる。
自分を受け入れてくれている極一部の人間にしか自分のことを話さないから、取っつきにくい秘密主義者になってしまう。
案の定、他人を攻めるバカに限って自分を客観視できないから、大声で自分のことをベラベラしゃべるし、その図々しさ故に、社会でのうのうとやっていけるから、社会には絶望だ。
以下は私の身によく起こる話し。
「最近眠れなくて」というようなことを言うと、「動かないからだよ」みたいな事を説教めかして言ってくる人が私の周りに何人かいて、そういう連中に「すごく運動した日だって眠れないんだよ」と少し苛立ったように言っても「だから何?可哀想な自分アピール?」みたいに言われてしまい、もう私は振り出しに戻って「眠れない」という隙のある軽率な発言から取り消さねばならなくなる。
私は別に「大変だね」って言ってもらいたいわけじゃない。
かといってなんといわれたら満足なの分からない。そもそも自分を満足させるために話してるわけではない。
私はただ、コミュニケーションの糸口として、ぽろっと自分の悩みを言ってしまっただけなんだ。そしてそれが他人の神経を逆撫でしてしまうのだとしたら、なんだろう「天気がいいですね」とか言えばいいのかしら。
何もせずに過ごした一日も、何かに没頭し充実してるように思えた一日も等しく無意味で、そのくせ後悔と自責の波は必ずやってくるから、死んだ方がいくらかマシになるんだろう。死にたいという言葉に言外の意味があろうが無かろうが、言葉そのものの本来の意味が失われるのだけは本当に勘弁な話しだ。生きたいという意味を逆説的に示しているとか言われるが、暗に示しているのは、この世のつまらなさと人間の愚かさで、それを声を大にして訴える事自体痛々しい行為で、中二病甚だしいと思われるから、他者を改革するよりも自分を変える方が数倍大人の発想だし、その方が世界は回ると「大人の考え」を押し付けられる。その方がはなはだうっとおしいが、それでも私はどちらにも加担できない優柔不断さがあり、どちらかに針を振り切れてしまえば、迷う事もすくなくなるのに、自分の中に確かに存在している、様々な思想を持つ他人のような存在に振り回され、結果行動を移す管制塔はパンク寸前でコミュニケーション不足の果てにくたびれて抜け殻だ。