まずいことになるという絶対的な予感が続いていて、今もそれでそわそわしている。
腫れ物は腫れ物らしく家から出ず、わざわざ触られるような場所にちかづくな、ってことを思ったのはこないだの夜だ。親戚が集まる恐怖の会食があるというのはわかっていたのでそれまでに家を出てしまおうと、この場所から消えてしまおうと思っていたのに、いつも鈍感なのにこういう計画は容易く見透かす母に釘を刺され、やむを得ず参加する事になってしまったのだけど、親戚が私に対してする質問が他愛の無い物ばかりであったことがもやもやと思い出される。就職とか、卒業とか、興味あるんだろどうせ、と私はやきもきしてたのだが、ついに終わるまでそんな野暮な質問はされなかった。ありがたい、と思わずにいられないことが、すでに神経を使うのでめんどくさい。根掘り葉掘り聞かれても聞かれなくても、不可抗力とはいえ参加自体するべきゃなかった。
気を使われること自体が好きじゃない。逆説的だが、かえって気を使ってしまうからだ。本題に入るために外堀を埋めて行く作業がうっとおしい。永遠にたどり着けないほど深い溝が、親戚と私の間にはあるイメージが、もうすでに途方も無くめんどくさい。
ところで話しは変わるけど、春の陽気に誘われたのか、ご近所のあまり見ない人たちが、今日はいっぱ い見れてうれしかった。
狂った気候に、眠気も吹っ飛ぶよね。
奥行きのある表現、つまり相手に解釈を委ねること、誤解を恐れずにそれを、できたなら楽に生きれるよ、私はきっと。
頭の中がごちゃごちゃしている。Aという考えの裏にBという全く反対の気持ちを発見してしまうと、どちらを選んでも正しくないような気がして、立ちすくんでしまう。
その結果、やりたいことはやりたくないし、やりたくないことはやっぱりやりたくないけど、やらざるをえないのかなって思って、じゃあ、やろうかなとおもっても「できない」という驚きの展開を迎えてしまう。頭打ち、袋小路、あとなんだろ。
家は居心地が悪いのに、外も居心地悪いから、結局家にいて、外に出たいなって思ってるような、ひますぎて死にたくなる夏休みみたいな生活を抜け出したくて、すこし背伸びをしてみるべきか。これが私の出せる精一杯ポジティブな結論だ。
その結果、やりたいことはやりたくないし、やりたくないことはやっぱりやりたくないけど、やらざるをえないのかなって思って、じゃあ、やろうかなとおもっても「できない」という驚きの展開を迎えてしまう。頭打ち、袋小路、あとなんだろ。
家は居心地が悪いのに、外も居心地悪いから、結局家にいて、外に出たいなって思ってるような、ひますぎて死にたくなる夏休みみたいな生活を抜け出したくて、すこし背伸びをしてみるべきか。これが私の出せる精一杯ポジティブな結論だ。
このブログは、日々思いながらも口に出さずに飲み込んでしまうような何とも言えない気持ちを出来る限りみっともない形で言語化することで、本来ならばそのまま蓄積されていくであろうストレスを少しでも霧散することを第一の目的としている。それこそ私の灰皿みたいなものなので、それを他人に公開していることこそ不思議なことであるが、なぜわざわざ公開しているのかという事については大分前に書いた気がするので省略する。
しかし、最近この前提をみたすための記事を書けている実感が無い。「錯乱」していることが原因であるが、それを整理する事に意味を見いだすべきであるが、錯乱をそのまま出してしまう事に危険を感じている。はっきり言えば面白みを感じないのだ。だから少しきついけれど、また書き方を変えて行こうと思う。
「錯乱」の原因はといえば「四月」である。つまり新学期。新学年にあがることが怖い。という話しは以前に書いた。
ああ。とにかく暗い未来しか描けないのが問題なんだ。
暗い未来を描いてしまう原因はいわゆる予期不安ってことで、これを克服しなければ。頑張ってまた病院に行こう。
しかし、最近この前提をみたすための記事を書けている実感が無い。「錯乱」していることが原因であるが、それを整理する事に意味を見いだすべきであるが、錯乱をそのまま出してしまう事に危険を感じている。はっきり言えば面白みを感じないのだ。だから少しきついけれど、また書き方を変えて行こうと思う。
「錯乱」の原因はといえば「四月」である。つまり新学期。新学年にあがることが怖い。という話しは以前に書いた。
ああ。とにかく暗い未来しか描けないのが問題なんだ。
暗い未来を描いてしまう原因はいわゆる予期不安ってことで、これを克服しなければ。頑張ってまた病院に行こう。