エイプリルフールに嘘をつくことのつまらなさをとうとうと語る姿は確かにカウンターが効いてるけど、誰もがシニカルな視点を標準装備しているこのご時世に、それをわざわざ語る事のつまらなさというのもある。少しばかり皮肉の利いた目線で浮ついたイベントごとを斬ったところで、ボン百で月並みな印象しかわかない。じゃあどうすればいいのさ。
語らないことに尽きる、と私は思ってしまう。それは町中で変わった格好をした人が歩いてる時に私がとる行動と同じで、目立つ存在は周囲が注目するから目立つのだし、わざわざそれを望んでいることもあるのだから、注目した事でかえって相手を気持ちよくさせる事もありえるので、そういったあらゆる可能性の芽を摘んでやるのだ。私だけはそうして世俗とかけはなれていたい。まあこのブログではそういう事を語ってるわけだ。この矛盾。
自分がきもちわるい。
私の高校生活が五年目に突入する。
ときどきやたらポエミーになったりするのは、他者からの解釈を遠ざけるためで、そういった行為は肩を揺らして歩く事で生物的な強さを主張するヤクザと、なんら変わりない、正常な人間の判断に乗っ取った行為だ。
むろん人はいつまでもポエミーでいる事は出来ない。それこそ本当に詩人になったり絵本作家にでもならない限り、あるいは女優でもアイドルでもいいのか、とにかくそういった戯言を好んで聞いてくれる人がいるという前提が無いと、続けていくたびに冷めていく自分に気づくからだ。
まれに冷めない人もいるが、それは天才と狂人は紙一重というたとえでいうなら、狂人のほうに分類されるから。
いつまでも狂人の振りをして、それで天才に思われるチャンスをうかがっている老人を見ると切なくなって、隣で「要はただの狂人だろ」と言っている父は、むしろ優しく思えて、私は口を閉ざしたり、目を伏せる事で、そういったあらゆる選択肢を放棄した。なにも思わないこと、それが私の主張でありノーコメントという重みのあるコメントを残してゴミ屋敷をあとにした。
ときどきやたらポエミーになったりするのは、他者からの解釈を遠ざけるためで、そういった行為は肩を揺らして歩く事で生物的な強さを主張するヤクザと、なんら変わりない、正常な人間の判断に乗っ取った行為だ。
むろん人はいつまでもポエミーでいる事は出来ない。それこそ本当に詩人になったり絵本作家にでもならない限り、あるいは女優でもアイドルでもいいのか、とにかくそういった戯言を好んで聞いてくれる人がいるという前提が無いと、続けていくたびに冷めていく自分に気づくからだ。
まれに冷めない人もいるが、それは天才と狂人は紙一重というたとえでいうなら、狂人のほうに分類されるから。
いつまでも狂人の振りをして、それで天才に思われるチャンスをうかがっている老人を見ると切なくなって、隣で「要はただの狂人だろ」と言っている父は、むしろ優しく思えて、私は口を閉ざしたり、目を伏せる事で、そういったあらゆる選択肢を放棄した。なにも思わないこと、それが私の主張でありノーコメントという重みのあるコメントを残してゴミ屋敷をあとにした。
時間が多すぎて、退屈な午後四時に、死ぬためだけに歩き続けようと思った。
「狂ってしまった時間の中で、死ぬためだけに歩き続ける」とは悪魔巣取金愚という曲の歌詞で、何てシュールで素敵なフレーズなんだろうと、思いながら家を出た。
理由なんてあってないような物だ。
口に出した時点で、誰かに説明しようとした時点で、その人の解釈の中でしか成立し得ない理由なんてきっと誰も誤解しかできないのだから。
自分探しをバカにする風潮が世に広まりすぎた事の弊害は、自己を超克しようともがく姿をさらす事をよしとしない。
だから、私は云いだせなくなる。
川が大きくて、越えるための橋を探していて、偶然見つけた野球場は、有名な映画のロケ地だった。
夜景モードにしたデジカメは、電池が無くなり、iPhoneも電池が切れそうだった。
最期に撮影したのは、その映画のラストシーンに出てくる一人分の小さな公衆便所で、中を見ようとしたが、匂いがつんとして、結局開ける事は無かった。
私はデジカメの電池にご冥福をお祈りした。
iPhoneの地図を頼りにしてるのだから、これが使えなくなったら、私も動けなくなるな。
そう思うとやけに大事に思えて、普段からうっとおしいと思っているものが手放せなくなる。
ポケットの中でずっと握りしめていた。
夜の川は飛び込みたくなる、、、わけなく、ぽっかり口を開けて私が飛び込むのを待ってるみたいで、「その口車には乗らないぞ」と思いながらも、川面から目が離せなかった。
県境を跨いだのは、いつの間にかだった。
地理に疎い私でもはっきり分かる、神奈川の地名をそこに見つけたのだった。
途中夜道を照らすように点在する自動販売機は、妙に喉が渇いている私の購買意欲をそそり、つぎにburnを見つけたら絶対に買うぞと決めながらも、burnはその先ずっと売っていなかった。
人間は本能的に死を予感した時に、「死にたくない」とか「生きたい」とか勝手な事を思う生き物で、それまでどんなに「死にたい」とほざいてもその瞬間にそれまでの言葉がいかに嘘であるか痛感する。
私もそうだった。
ぽっかりこちらを見つめる真っ黒な川面といい、歩道橋から見下ろすアスファルトも、深夜の高速道路の騒音も、どれも飛び込みたくなるたびにゾッとした。そして各地の深夜の生き物、ホームレスだとかヤンキーだとか、すれ違うたびに受信ボックスに母親から連絡が入ってないか、見てしまう。
鎌倉に着いたら大仏を見ようと思った。
人生に一度見るもの、なのにもう四度目か五度目だと思う。
それでも徒歩でたどり着いたなら、それこそ昔の人のように、奥行きを、他者には見えない何かが見えるんじゃないかって、冗談っぽく理由を繕った。
過酷な修行のつもりか。
たどり着いたのは翌日の早朝だった。
マックの店員は美人だった。目が合うと微笑んでくれたので好きになった。
iPhoneの電池を充電してる間に私も眠った。つっぷして一時間ぐらい。
目が覚めたら、体のあちこちが緩んできて、涙とか鼻水とかが一気に出て止まらなくなった。
花粉の薬を飲んでないからだ。「あのさあ、君が泣くわけは花粉症のせいだよ」って歌詞の歌が頭の中に流れてきた。
鎌倉は文豪の街としても有名なので文学館にも行く事にした。行ってみたら、行った事があった場所だった。それでもある作家のざっくりした住所が分かったので帰りに寄ろうと思った。
休日の観光地は車も人も多くて超うんざりだった。
こんな街にはもう文豪は住めないなと思った。
人ごみに完全に精神力を持ってかれたので、当初の目的の大仏は少しだけみて、あとは北鎌倉にある、某作家の家を探した。
お寺のある山の周りにある、という情報だけなので外周をずっと回ってみた。
北鎌倉は思ったより人が少なく住むにはいい街だと思った。
黄昏時にすれ違った女子高生集団が恐ろしすぎて、顔を伏せると、何故か爆笑が起って、ますます怖くなって顔が上げられなくなった。
結局家は見つけられず、最期の最期で体力も精神力も尽きて、帰ることにした。
行きはあんなに時間をかけたのに、帰りは一時間ほどで驚いた。
もっとも電車内でも寝てたので、実際にはもっとかかったのかもしれない。
「狂ってしまった時間の中で、死ぬためだけに歩き続ける」とは悪魔巣取金愚という曲の歌詞で、何てシュールで素敵なフレーズなんだろうと、思いながら家を出た。
理由なんてあってないような物だ。
口に出した時点で、誰かに説明しようとした時点で、その人の解釈の中でしか成立し得ない理由なんてきっと誰も誤解しかできないのだから。
自分探しをバカにする風潮が世に広まりすぎた事の弊害は、自己を超克しようともがく姿をさらす事をよしとしない。
だから、私は云いだせなくなる。
川が大きくて、越えるための橋を探していて、偶然見つけた野球場は、有名な映画のロケ地だった。
夜景モードにしたデジカメは、電池が無くなり、iPhoneも電池が切れそうだった。
最期に撮影したのは、その映画のラストシーンに出てくる一人分の小さな公衆便所で、中を見ようとしたが、匂いがつんとして、結局開ける事は無かった。
私はデジカメの電池にご冥福をお祈りした。
iPhoneの地図を頼りにしてるのだから、これが使えなくなったら、私も動けなくなるな。
そう思うとやけに大事に思えて、普段からうっとおしいと思っているものが手放せなくなる。
ポケットの中でずっと握りしめていた。
夜の川は飛び込みたくなる、、、わけなく、ぽっかり口を開けて私が飛び込むのを待ってるみたいで、「その口車には乗らないぞ」と思いながらも、川面から目が離せなかった。
県境を跨いだのは、いつの間にかだった。
地理に疎い私でもはっきり分かる、神奈川の地名をそこに見つけたのだった。
途中夜道を照らすように点在する自動販売機は、妙に喉が渇いている私の購買意欲をそそり、つぎにburnを見つけたら絶対に買うぞと決めながらも、burnはその先ずっと売っていなかった。
人間は本能的に死を予感した時に、「死にたくない」とか「生きたい」とか勝手な事を思う生き物で、それまでどんなに「死にたい」とほざいてもその瞬間にそれまでの言葉がいかに嘘であるか痛感する。
私もそうだった。
ぽっかりこちらを見つめる真っ黒な川面といい、歩道橋から見下ろすアスファルトも、深夜の高速道路の騒音も、どれも飛び込みたくなるたびにゾッとした。そして各地の深夜の生き物、ホームレスだとかヤンキーだとか、すれ違うたびに受信ボックスに母親から連絡が入ってないか、見てしまう。
鎌倉に着いたら大仏を見ようと思った。
人生に一度見るもの、なのにもう四度目か五度目だと思う。
それでも徒歩でたどり着いたなら、それこそ昔の人のように、奥行きを、他者には見えない何かが見えるんじゃないかって、冗談っぽく理由を繕った。
過酷な修行のつもりか。
たどり着いたのは翌日の早朝だった。
マックの店員は美人だった。目が合うと微笑んでくれたので好きになった。
iPhoneの電池を充電してる間に私も眠った。つっぷして一時間ぐらい。
目が覚めたら、体のあちこちが緩んできて、涙とか鼻水とかが一気に出て止まらなくなった。
花粉の薬を飲んでないからだ。「あのさあ、君が泣くわけは花粉症のせいだよ」って歌詞の歌が頭の中に流れてきた。
鎌倉は文豪の街としても有名なので文学館にも行く事にした。行ってみたら、行った事があった場所だった。それでもある作家のざっくりした住所が分かったので帰りに寄ろうと思った。
休日の観光地は車も人も多くて超うんざりだった。
こんな街にはもう文豪は住めないなと思った。
人ごみに完全に精神力を持ってかれたので、当初の目的の大仏は少しだけみて、あとは北鎌倉にある、某作家の家を探した。
お寺のある山の周りにある、という情報だけなので外周をずっと回ってみた。
北鎌倉は思ったより人が少なく住むにはいい街だと思った。
黄昏時にすれ違った女子高生集団が恐ろしすぎて、顔を伏せると、何故か爆笑が起って、ますます怖くなって顔が上げられなくなった。
結局家は見つけられず、最期の最期で体力も精神力も尽きて、帰ることにした。
行きはあんなに時間をかけたのに、帰りは一時間ほどで驚いた。
もっとも電車内でも寝てたので、実際にはもっとかかったのかもしれない。