他人も自分と同じような人間なのだろうと漠然と思っていたが、どうもそうではないらしいことが最近になってようやく分かってきた。
あるラジオ番組でパーソナリティーが精神的にとても落ち込んでいて、その時現場に現れたリスナー数人に「落ち込んだ時どうやって持ち直すか?」というような質問をしていたのだが、全員が「僕は基本悩まないですね」とか言っていて、本当に驚いた。超人じゃねえかと。
私は基本毎日「死にたい」と思っているが、そう言う事は口に出さない。周囲も、そういう暗黙のルールで生活してるんだとなんとなく思って居たが、どうも、本当に「死にたい」って滅多に思わない人もかなりいるらしいのである。むしろその方が当たり前なのか?
もちろん全員が悩まないはずはないと思うし、悩んでないように見える人はそう言う事を乗り越えたすごい人だと尊敬するのだが、そもそも論として「悩まない人」というのは最強だなって思う。
昨日は街に行ったんだけど、文房具屋目当てにファッションビルに入ったあたりで急に緊張しはじめて、気づけば普段汗をそんなにかかない私が脇汗をびっしょりかいていた。買い物しただけなのに。
周囲の視線が急に怖くなってトイレに逃げ込んで息をととのえた。なんでこんなに外出がストレスなんだろう。
あと最近驚いた事として「女性向けの洋服屋が何故ガラス張りなのか」の理由が「おしゃれな場所で買っている私をアピールできるから」らしいということ、、、絶句だわ。考え方が対局過ぎて笑った。
もうねそりゃ奥まった目立たない雑貨屋兼古着屋とかで適当なもん買いますよ、私は。それでも一時間くらい店で悩むのだが。
街灯が凍てついたように寒々と光ると、あたりは眠くなるような静けさがたちこめた。折しも川面すれすれに飛び去ったボーイングは失速する707だった気がする。太陽はとっくに薄明を地上に投げたのに、その度に真髄を高調しているから不思議だ。刻一刻風が強さを増す中、心中を覚悟すれば、やがて土間が濡れ、ねっとりと汗がにじんだ。長椅子に倒れ込むのは、とうてい手に負える女ではない。斜面を滑落する砂につま先を食い込ませ、祈る。何故なら、自殺率が先進国の中で突出しているのは突拍子も無い連想と甲高い声以外に原因が思い当たらないからだ。私は折りに触れ口にする。そして想像して、問い直す。しかし言葉はなだれおちる。当世風の素人っぽい娘が、無様なほど悪酔いして、尻餅をつき、途方も無く地を這いずっている。あれはきっと私のことだと思う。
自らの感性で素直に感じた事を理性で散々にこねくり回したあげく、結論をうやむやにする作業を繰り返したとて、延々に空転続けるしかできない私の姿は、途方も無くみっともなくて、かっこいいが、それは滅んでいくものの美であり、到達点は死である。
「もっと楽天的に生きていきたい」と口に出す際に、心のどこかで楽天的に生きている人に対して優越感を抱いている自分がとても気持ち悪い。
刻一刻と迫ってくるのは実存的な危機で、どこかでまだかっこいい自分にしがみついていたいというみっともない、それは本当にみっともない姿を、すこしでも回転するために晒さなければならない日だ。明日は。
要約すると、明日から学校だけど、死ぬほど行きたくないぜ。
「もっと楽天的に生きていきたい」と口に出す際に、心のどこかで楽天的に生きている人に対して優越感を抱いている自分がとても気持ち悪い。
刻一刻と迫ってくるのは実存的な危機で、どこかでまだかっこいい自分にしがみついていたいというみっともない、それは本当にみっともない姿を、すこしでも回転するために晒さなければならない日だ。明日は。
要約すると、明日から学校だけど、死ぬほど行きたくないぜ。