その夜、母親と話をした。
俺に弱音を吐いたこと。死ぬという言葉を使ったこと。
母は、父親の弱音を聞いたことがなかった。やっぱり父親も母の前では男でいたかったのかもしれない。
5月に入り、大きな病院へ移動した。
個室の部屋を取り、鎮痛剤と睡眠薬を使って、極力、楽な状態を維持することに努めた。
父親の弱った姿を見られたくないし、もう少しで居なくなる、ということは父親の友人たちにも内緒にした。
父親だって友人に自分が入院していることは言わなかった。プライドが許さないのだろう。
そんな状態でも気にしていたのは我が家の将来と仕事のことだった。実際、そんな辛い状況でも仕事はしていた。
5月13日、父危篤の報を受け、会社を早退した。
平日に早退した自分を、父親は不思議に思ったのか、
「会社はどうした?」
と聞いてきた。
自分は、ウソをついた。
「今の時期は仕事忙しくないから、会社は午後休みになったんだ。」
そして続々と親戚が集まった。
すると父親は、ベッドの上半身を起こし、集まった人と話をし出した。それはもう雄弁だった。講釈をたれそうな勢いだった。
どんだけプライド高いんだこの人は。辛いはずなのに、見栄を張って元気なフリをした。
危篤状態は超えた。廊下で医者がそう伝えてくれた。