初盆 〜お盆とは〜 | バレーノ備忘録

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母が亡くなって初めてのお盆だ 

天候が心配されたが、朝から晴れ太陽 

9時過ぎにお寺に行くと激混みで駐車する事が出来ず、近くの空き地を拝借てへぺろ

お墓にはお供花とお供物を並べ、お盆らしく飾る。

そして、母親の初盆なので、お墓で住職に読経してもらった。 

お経を聞きながら、母親には伝わらないだろうなぁと疑問に思いながら手を合わせ、線香を上げる。 

約10分程度でお墓参りは終了だ。  


その後、年に2回、お寺に会費を納める必要があるため、1回目の会費を納めに住職とその奥さんと面会する。 

初めて知ったのだが、会費の他に「お届け」(自由に金額を入れて納める(届ける))が必要となる。 

これまでは母親が全てやっていたので、いくらお届けしてたか分からなず、適当にやっておいた。

これはお寺の維持費的なものだろうが、「ふーん」って感じだ。  


さて、お盆とは何ぞや?

この時期じゃないと考えないテーマ

ググってみると、お盆の正式名称は「盂蘭盆会(うらぼんえ)」、仏教の「盂蘭盆経(うらぼんきょう)」というお経に由来しているとのこと。 

そして、『亡くなった人の魂が現世に戻ってくる期間』とある。 なるほど🤔


お家(宗派)によっては、キュウリなどに割りばしを刺して馬や牛を作って仏壇に飾っている。

これに乗って戻ってくこいよーってことだろう。 

我が家は『浄土真宗』だが、これまでそんな風習はなかったので、今でもそんなことは行っていない。  


最近思うことがある。 

お墓や仏壇に手を合わせるのは「誰に対して」、「誰のため」なのだろうか 

ご先祖様?うちのおっかぁ?生きている人? 


お墓参りや法要といった故人に対しての行動(善い行い)である追善供養(ついぜんくよう)という考えはそもそも『浄土真宗』にはないらしいびっくり

『浄土真宗』では亡くなるとその身のまま浄土に救われ仏になる「死即往生」という考え方であるため、遺族が故人のために祈る(お墓参りや法要など)必要がない。

そういう意味では一般的に考えられている「お盆」(=「亡くなった人の魂が現世に戻ってくる期間」)は行う必要はないのでは…

…であれば法要とかを行う必要ないじゃんと思いきや『浄土真宗』でも法要などの仏事はあるみたい。(後付けのような気がするが…キョロキョロ

それは、故人のためではなく、成仏に導いてくれる「阿弥陀仏」への信心をささげるためのものとのこと。 

要は故人にではなく、自身の信心のため、「阿弥陀仏」への感謝を伝えるためらしい。 

ということは、究極的には心の中で「阿弥陀仏」へ感謝していれば、お墓(物理的に散骨する場所がないと困るけど)も仏事も行う必要がないことになる。 

ご先祖様、うちの母親でもなく、「阿弥陀仏」のため、生きている人のためという事である。


この辺は年齢を重ねると考え方が変わるものと思われるが、現時点の私の理解力はこんな感じだ。


決して、どこかの宗教に入りたいわけでもないので、勧誘はお断りなので悪しからず爆笑