ルーツ探しの話、

 

 

前後しますが、

 

 

お盆の前ごろに、切山の清左衛門さん末裔、ほんとうの本家の方から当ブログを見たとの連絡がありました。

 

 

本家HKさんとさせてください。

 

 

以前巻物を見せていただいた本家筋の伊藤家のHさん家(HOさんとします)、現在そちらと直接親戚つきあいはないとのことですが、数代くらいさかのぼれば同じ人に行き着くそうです。

 

 

そしてなんと、、HKさん本家にもHOさん家と同じ巻物があるとのこと。(当然か。。。)
 

 

写しを作ったときに近い親戚、または兄弟などで写しを分け合ったのだと思います。

 

 

やはり、自家のルーツの記憶が消えてしまわないように一族で後世に残そうとした、と考えるのが妥当です。

 

 

また、平氏の直系と言い伝わる田辺家、真鍋家、(おそらく間部家、参鍋家も)、そして伊藤家と切山の主たる家筋すべてが、100年~200年前に作ったといわれる、その”系譜の写し”を持っていること自体、切山全体でその伝承が失われないように大切にされてきた、というのが事実であることが伝わってきます。

 

 

また、他にもいくらか知らなかった情報を教えていただきました。

 

 

伊藤神社=伊藤清左衛門さんの霊廟、は切山伊藤家では”霊人様”と呼ばれているそうです。

 

 

HK様曰く、「霊人様は切山に逃れてきた際に、幼い安徳天皇と平家の武士とともに、当時は険しい山道を分け入ったと聞いている。伝承では一行が移動中に大雨に見舞われたが、霊人様が呪文(背負ってきた薬師如来像への祈祷)を唱えると雨が止み晴れてきた」と伝承されているとのこと。

 

その霊人様は今は小学校⇒切山キャンプ場と移り変わった広場の入り口から左手の山際にあり、石段の前に鳥居が設置されています。

 

 

 

その真新しい鳥居と石段は、HKさんのお父様と元市長の石津さんで建てられたそうです。

石津元市長も実は母方が切山の伊藤家出身だそうです。

 


また、祠の後ろの山桜の木は樹齢400年といわれているそうです。

 

 

2~3世代前まではそちらに住まわれていたとの事ですが、切山という平地もない山中ですし、平家の同士でもあり親戚でもある真鍋家の住宅が400年間そこにあり国の重文になっているくらいなので、伊藤家の住宅もこの山桜とともに、おそらくずっとそこに400年、いやもしかすると800年、数十世代もそこに住まわれていたのではないでしょうか。

 

また、川之江市の初代市長が切山の真鍋家から出ていますので、30軒に満たないほどしかない切山から二人も市長を輩出しているというのは、やはり平家の血統でしょうか。

 

 

今は県外にいらっしゃるとのことで、コロナでなかなか帰省もままならず、お会いするのはまた落ち着いてからになりそうです。