ルーツを求めての第4章です。
 
 
なんだか、自身のメモのようになってきました。もうしわけない。

 

 

でも、意外な発見がありました。

 

 

真鍋潤さんにお連れいただいてた場所は、なんと「伊藤神社」 。そこは昔の40m四方の小さな切山小学校の跡地。

 

 

その左手の森の斜面に鳥居が1つ。

 

 

なんと伊藤神社と書かれています。

ただ、鳥居はかなり新しいものっぽい。

 

階段の踊り場の左わきに以下のような石版がありました。

 

 

なるほど。。。

 

切山伝説とこの祠をずっと守ってきた先祖に敬意を表し、伊藤一族の子孫の方が寄付で鳥居を寄贈したみたいです。

 

 

子孫の伊藤清司さんと、元川之江市長の石津さん。真鍋さんいわく、お母様がどうもこの切山の伊藤家の出だそうで。

 

 

なんと、わずか26世帯の切山地区から初代川之江市長の真鍋さん、そして前市長の石津さんが排出されているわけだ。

 

 

平家直系子孫というのも、何かわかる気がしてきた。。。ま、そういう私は、自称何の変哲もないサラリーマンですが。

 

 

階段を上って、 そして、社殿。。。というか、祠。

 

 

 
ただ、わが家の男3代には神々しい大神宮に見えました。
 
 
あと安徳天皇をお守りしていた我がご先祖様(の可能性が高い)伊藤清左衛門国久様をお祭りする祠ですから。。。
 
 
祠の右に真新しい墓誌のような石版がありました。
 
 
「元歴元年(1184年)甲辰6月、伊藤清左衛門国久が一族の守護神として祠を祀る。その後幾星霜も経て、末裔伊藤梅太郎が昭和14年にこの祠を改修するも、損傷はなはだしく、このたび伊藤家当主伊藤重信が再度建立する。」
平成十年 伊藤重信
 
ああ、そういうわけか。伊藤家愛が感じられます。
 
ともとすると観光用に作った新しいばったものかと思われそうですが、そうならないように説明を石版に刻んでます。
 
 
現在の本家当主が、重信さん、昭和14年は梅太郎さんという方だったんですね。
 
 
というか、この場所、ふらっと観光で寄れる場所ではない、切山のメインストリートから真鍋家住宅に行く道から脇道にそれ、さらに奥に入った山奥ですので。。そんなわけないことはご理解ください。(_O_)
 
左にはこれ
 
わが家親子三代で参拝してまいりました。
 
 
その後冒頭の駐車場までのぼり、真鍋さんに田辺家系譜を説明していただいていると、そばでボランティアで掃除をしてらっしゃるもうひとちの真鍋さんがいらっしゃいました。
 
真鍋潤様の弟様とのこと。
 
弟さまも気さくにお声がけいただき、同世代で山の向こうに住んでいたうちの父との昔話に話がさいてる最中に、切山の現在の伊藤家についてお伺いたところ、1件だけ、いらっしゃる。(本家筋ではないが)と教えていただき、さらに、なんとま軽トラで先導していただき、伊藤さんのおたくまでお連れいただきました。
 
もうこの切山の住人、みな家族のような関係です。
 
真鍋ご兄弟、大変お世話になりました。感謝いたします!
 
 
結果、
 
・切山から本家はもう山を下りており、金田町金川に本家の筋があること。
 
・今は養子で、本家はあるが血縁ではないこと、
 
・今金川にいらっしゃる伊藤家の筋は、関太郎さんであること、息子さんかお孫さんのおおよその家の場所などをお聞きしました。
 
 
・切山に一軒残った伊藤さん、実はいったん岡山の児島のほうに出られた筋の方だそうで、4代前まで伊藤清左衛門国久の直系子孫の方が住んでられた母屋に今は住まわれているとのこと。
 
 
・切山の伊藤さんの家紋は上り藤、正当な伊藤氏系である。残念ながらうちの家紋とはと違う。
 
 
などをお聞かせいただけました。
 
 
まあ、なんと、ここでもうちの親父が実は過去に仕事で面識があったそう、また伊藤さんが真鍋潤さんと同級生であることから父の共通の学友の話などになり、また話が弾んでいました。。。
 
 
四国中央市、世間が狭い。(というか、うちの父がその辺で育っているのであたりまえなのかもしれんが。。。。)
 
 
そんで、今度は生き木地蔵のことなんぞ聞いてみたら。。。
 
 
伊藤さん、なんとまた軽トラで、その場所の入り口まで先導してお連れ下さりました。
 
 
これが元の古いほう。
 
 
こっちが昭和53年に有名な仏師が彫り込んだ新しいほう。
 
 
ありがとうございました。。
 
 
急な訪問にもかかわらず、切山の著名なご三方のリレーで、ご案内をしていただきました。
 
※おまけ
近くに切山ベースという新しいカフェがあったのですが、自家製チョコレート売ってました。おいしい。
 
 
 
伊藤家