次回は 11月21日(木曜日)、1時5分に開場、1時25分 開演。演目は、リムスキー=コルサコフ作曲 『金鶏(コックドール)』です。

以下、当日の解説も担当する音楽評論家、竹内貴久雄さんによる「演目紹介」です。

会場は、東急東横線「元住吉」下車の「川崎市国際交流センター」大ホールです。

 

§プーシキンの原作寓話のメルヘン世界をオペラ化した傑作
 ロシアの作曲家、リムスキー=コルサコフの最期のオペラ作品となった『金鶏(コックドール)』は、ロシアの文豪・詩人アレクサンドル・プーシキン(1799‐1837)が書いた短い寓話を原作としています。そのため、「ロシア民話」かと思われがちですが、プーシキンが参考にしたのは「ニッカーボッカー」で知られるアメリカの旅行作家ワシントン・アーヴィングのスペイン旅行記『アルハンブラ物語』(1832年・刊)に収められた「アラビアの占星術師の伝説」です。プーシキンが、それを様々な新たな登場人物を加えて自由にふくらませ、ロシア民話風に仕立て直したものです。
 リムスキー=コルサコフのオペラは、このプーシキンの書いた寓話をさらに数倍の長さに拡大したもので、1906年10月15日に作曲に着手しています。
 当時のロシアは、革命前夜の不穏な空気に覆われていました。2年前から続いていた日露戦争が前年1905年9月にロシア側の敗戦で終結しましたが、この年の1月22日にペテルブルクで皇帝ニコライ2世に対する大規模な労働者の請願デモ行進が行なわれています。この時、労働者に軍隊が発砲して3000人以上の犠牲者が発生するという「血の日曜日事件」が起きました。そうした不穏な時代に作曲された作品なのです。
 オペラ化された『金鶏』の物語は、明らかに、当時の帝政ロシアを批判した風刺的ストーリーとなっていました。そのため、なかなか初演が許可されず、紆余曲折を経て1909年9月24日にようやく行なわれた初演の日には、作曲者は既に世を去っていました。


 物語は、一見すると、以下のような、たわいないメルヘン童話です。
 架空のある国の王様であるドドンは、ふがいない二人の王子と何事にも反対する大臣ポルカンとの諍[いさか]いに挟まれ、政治を行うことにすっかり疲れていました。しかし、よその国が攻め込んでくる気配が心配になり、怪しげな占い師の言葉を信じ、国の政治の決定を、丸ごと金の鶏のお告げ通りに進めることにしてしまいます。さて、そうしてドドン王は…。
 この幻想的な物語は、ロシアのオペラの中でも、チャイコフスキー『エフゲニ・オネーギン』『スペードの女王』、ボロディン『イーゴリ公』、ムソルグスキー『ボリス・ゴドノフ』と並んで人気のある作品のひとつで、世界中のオペラハウスで何度も上演されています。

次回は 10月17日、1時5分に開場、1時25分 開演。演目は、プッチーニ作曲 『つばめ』です。

以下、当日の解説も担当する音楽評論家、竹内貴久雄さんによる「演目紹介」です。

会場は、東急東横線「元住吉」下車の「川崎市国際交流センター」大ホールです。

 

§プッチーニ晩年の隠れた名作は、ヴェルディ『椿姫』と似ている?
 最近、やっと、話題にする人が増えてきましたが、『蝶々夫人』と『トゥーランドット』という大ヒット作に挟まれ、あまり上演されることのない『つばめ』も、まちがいなくプッチーニの名作だと思っています。プッチーニという作曲家は、登場人物の感情の高揚を表現する途方もない名人で、それを、いくつもの名作で証明してきましたが、この『つばめ』では、円熟した作曲テクニックによって、さらに、複雑に折り重なる様々なメロディを織り上げて、聴く者を掴んで離しません。
 このオペラのヒロインは、いわゆる〈高級娼婦〉のような過去があるらしい存在として描かれています。ヴェルディの『椿姫』のヴィオレッタと似ています。そうした〈過去〉が、彼女の新しい〈出発〉へ踏み出そうという勇気を妨げるというストーリーです。
 ですが、最近は、「過去をとやかく言わない」という生き方が当たり前になってきていますし、事実、1970年代を学生時代で過ごした私の世代から既に、「私も、若い頃はいろいろあったのよ…」的な発言がフツーになりつつありましたから、このオペラの登場人物に対する価値観も、ずいぶん変わってきているようです。最近、久しぶりにこの演目を上演したメトロポリタン歌劇場でも、今回の演出は、明らかに、いわゆる〈高級娼婦〉という一時期の社会の風俗から生まれた職業を明確化せず、単に、裕福な男性をパトロンにして優雅に暮らしている夫人、といった程度にとどめているように見えました。


§「冒険」を夢見た青春時代を思い出す?
 それにしても、このオペラ、ヒロインが、「私は昔、パリの町の片隅で、貧しいお針子だった。でも、優しい学生たちが仲良くしてくれて楽しかった」みたいな話をして、『ラ・ボエーム』を思い出させるのは、なかなか〈憎い〉設定です。そして、「今は、堕落した女となって、恥辱と黄金に囲まれて暮らしている」などと、『椿姫』のヴィオレッタのように呟くとは……。プッチーニが、清く貧しく暮らしていた自身の学生時代を思い返しながら『ラ・ボエーム』の最後の幕を作曲していて、思わず五線紙の上に涙を落した、という逸話を思い出します。やっぱり、プッチーニは、いい! 
 このオペラは、財力のある男の庇護から自立しようとするひとりの女性の、儚い夢を描いたストーリーですが、そうした主人公の姿から、「夫婦」という「装置」に縛られているすべての男と女の、「自由になりたい!」という永遠の夢を感じ取ってしまうのは、プッチーニの名旋律の魔術かも知れません。老いてなお、青春の日々を忘れずに、時折、思い出されている人に、ぜひ、ご覧いただきたいオペラです。

 

 

2024年9月の「例会」は、19日、木曜日、1時05分開場、1時25分 開演です。

めずらしいサリエリ作曲の 『ファルスタッフ』を鑑賞します。

場所はいつもと同じ、東急東横線・目黒線「元住吉」下車、「川崎市 国際交流センター」の大ホールです。

1回鑑賞券は1200円、当日会場で受け付けます。

年間12回鑑賞できる「年会費:6000円」も、当日受付、鑑賞できます。

 

以下は、当日の解説を担当する当会代表の音楽評論家、竹内貴久雄さんによる8月例会で配布された「内容紹介」です。

 

§サリエリとモーツァルトをめぐる〈ウワサ話〉には長い歴史がある
 サリエリという作曲家は、西欧の音楽史の中で、20世紀の半ば過ぎまで、ほとんど忘れられていた人でした。その名前が急に取り沙汰されるようになったのは、イギリスの劇作家ピーター・シェーファー(1926‐2016)が1979年に戯曲『アマデウス』の主人公として登場させてからといわれています。1984年には映画化され、日本でも多くの人が見ています。
 シェーファーの描いた物語は、サリエリがモーツァルトの豊かな才能に嫉妬して、その活動を様々に妨害し、やがて死に追いやってしまうというもので、サリエリ自身は、その自責の念から精神を病んでしまったという設定でした。そのため、サリエリという作曲家は、モーツァルトの敵役としてすっかりイメージが定着してしまいました。
 ですが、じつは、この物語は、昔から広く伝わっていた話をもとにシェーファーが劇に仕立て直したもので、まったく根も葉もないというものではないのです。ロッシーニが自作の上演を観にウィーンに行った折に、直接本人に「あなたがモーツァルトを殺したんですか?」と言って激怒させたという話も残っているほど、当時から有名なウワサ話なのです。
 その背景には、当時のウィーンの音楽界での主導権争いがあって、反サリエリ派がロッシーニを持ち上げて焚きつけたからともいわれています。もともと、反サリエリ派が流したのが「サリエリによるモーツァルト毒殺疑惑」だったともいわれているくらいですから、この〈ウワサ話〉は、相当に長い歴史があるものと言えるでしょう。


§サリエリの作曲家としての〈才能〉は?
 最近は、そんなサリエリの名誉を回復させようという動きも活発になっています。
 サリエリは、当時のウィーンで「宮廷楽長」という大きな権力を持っていましたが、その力を背景に、教育者として、若い才能のある音楽家への協力を惜しまず、無名時代のベートーヴェン、シューベルト、リスト、マイアベーアなどを援助したともいわれています。
 では、サリエリは、ほんとうにモーツァルトの才能に嫉妬していたのでしょうか?
 モーツァルトは間違いなく「オペラの革命児」ですが、サリエリはそうしたモーツァルトのオペラの〈新しさ〉に、先んじて気づいていた一人でもあったと思われます。その証拠に、当時、大衆的な芝居小屋として軽んじられていた町はずれのシカネーダー一座の会場で上演されていたモーツァルトの『魔笛』を、身分違いを承知でサリエリが複数回、観劇に訪れ、高く評価しているのです。そして、その後サリエリは、数年前から筆を折っていたオペラの作曲を再開します。――こうして書き上げたひとつが『ファルスタッフ』です。そこに込められたサリエリの想いは、どのようなものだったのでしょうか? 来月をお楽しみに。