思念術とは二種類あり、
①地球の思念から生じた神仏やパワースポットの加護を得て幸福を引き寄せる、②自分の思念から生じた視覚的な未来像に現実を引き寄せる、の二つだ。
①は風水や方位術、お水取り、ご祈祷、お守りなど神道や道教よりのスピリチュアルの領分だ。
一方②は言霊やアファメーション、おまじない、ジンクス、イメージングといったオカルトよりのスピリチュアルが得意とする。
①は地球上の龍脈やパワースポットなど霊的特異点と感応する物理的行為や交渉術が求められ、
②は自分の内部にある神性がもつ実現力を顕在化するよう、あの手この手で幸福イメージを補強する視覚的な描写力が求められる。
特に②のイメージ描写力は本来なら自身の幸福な未来を描けて当たり前であり、それは料理人がメニューを選び、レシピを見ずにサッと一品作るように半ば自動的な作業のはず。
幸福の描写は雛鳥が親鳥を真似て崖から飛び立つように本能的なものだろう。
にもかかわらず一定数の人が幸福からほど遠い現状であるなら、(単純に無い物ねだりで要求が高すぎ、物理的要因で実現不可能でない限り、)本人のイメージ描写力の低さに原因がある。
それは発達障害など脳機能に先天的な問題がある場合、毒親の虐待により後天的に精神疾患を抱えた場合と理由は様々だろうが、幸福イメージの描写にロックが掛かってるのは同じと思われる。
それゆえそのようなタイプは幸福になる努力の前に自分を萎縮させる脳内ロックを解除、解呪する必要があり、それ抜きに直感力や引き寄せを発動させるのは難しいか、発動しても意図せず不幸の引き寄せを起こす危険性がある。
不幸な人間は無自覚に正規の手法とは真逆のことをやっている。
人生に攻略本はないが、あったとしても彼らはそれを読まないか、読んでも誤読する。
救世主だと思ったらカルト宗教の詐欺師だった、悪徳ホストのDV男だったなんて悲劇のような喜劇は枚挙に暇がない。
カルト宗教も悪徳ホストも発達障害や精神疾患者がちょろいカモとして食い潰されるが、彼らの不幸の引き寄せは幸福イメージの描写ロックに一因がある。
ケーキを等分に切れない囚人のように、脳内イメージを正常に描けない障害の持ち主は幸福実現へのハードルが高い。
それゆえロック解除には精神疾患の重ね着を一枚ずつ脱いでいく地道なトラウマ解消の治療が必要だが、障害ゆえにその自覚が難しい場合、治療の着手から挫折する可能性が高い。
つまり詰んでいる。
①精神疾患の重ね着を自覚し、②そこに危機感を抱き、③治療法を模索し、④正解にたどり着き、⑤長期間の苦しい治療に耐える。
無事完治にゴールするのは五つの選択を的確に選び続けた奇跡と言える。
健常者からすれば当たり前の問題解決の工程だが、それができない人間が不幸に淀み、留まっている。
歯が痛ければ歯医者に行くはずなのに、痛みを何かで忘れ、麻痺させ、なかったことにしながら呆けて生きる。
真に救うべき救いがたき弱者はその自己催眠、幼少期の刷り込みにより救いようがないのが現状だろう。
まるで岸辺露伴のヘブンズ・ドアで「不幸になる」と書き込まれたように、彼らは自らの無意識的思念により不幸を引き寄せずにはいられない。