弱者の自力救済 | 運命ハック

運命ハック

オリジナル占術を幾つか編み出しましたので、それを用いて不定期に占っていきます。

●チャクラと老若男女+僧


1、局部。童心1。
2、丹田。父性。
3、みぞおち。童心2。
4、胸。母性。
5、喉。童心3。
6、眉間。老賢。
7、頭頂部。大悟。


●軍事と経済

軍事・・・男は兵役、女は出産(未来の兵士)。父性や母性の肯定。お国のため。<国家の利益>

経済・・・男も女も国家の役務より民間の仕事。父性や母性の否定。企業戦士、社畜。<資本家の利益>


フェミニズム・・・女性に対する軍事からの要請(出産、「産役」)への反発。胸のチャクラの去勢。

マスキュリズム・・・男性に対する軍事からの要請(兵役)への反発。丹田チャクラの去勢。



●童心

1、局部。童心1。生命力。

3、みぞおち。童心2。独立心。

5、喉。童心3。表現力。


守る義務(父性)も育む義務(母性)もない自由なモラトリアム。
ただ生命体であることに歓喜すれば良い存在。


●老僧

6、眉間。老賢。
7、頭頂部。大悟。

家族の守護も養育も果たし、世俗の義務から解放されたご隠居。
ただ生命の終わりを予感し、死の恐怖と対峙し、死を準備する存在。


●人の成長

チャクラの順番的に人は三つの童心に父性と母性が挟まれ、最後は老賢から僧侶に至る。

童心も父性も母性もなければ大悟に至れない。
人は苦労するから精神が鍛えられ、霊的に一段上に昇華する。

父性や母性を否定するマスキュリズムやフェミニズムは、いつまでも童心でいたい無政府主義だろう。


●リバタリアニズム(自由至上主義)

>他者を侵害しない範囲内で「個人の自由」を最重視し、
>国家の役割を最小限度にとどめようとする自由至上主義の思想

父性や母性の否定は詰まるところリバタリアニズムに帰結し、国家より経済を優越させる。

彼らは金さえあれば自由も買えるとし、金があっても義務を課し、自由を奪う国家を嫌う。

示談金を払えばレイプや暴行を振るっても許されると過信し、他人の尊厳を奪う捕食者。
これが強者男性の正体だろう。

彼らに弱い立場の女性や弱者男性は蹂躙され、被害を泣き寝入りする。

彼らが司法まで掌握したとき、弱者にできることはテロ(犯罪)くらいだ。
あるいは抗議の焼身自殺(殉教)。

この時、経済を拠点とする強者の支配は国家(法律)の支配と並立、または優越し、二重に弱者の自由を縛る。


●脱北(ここが北朝鮮のような地獄ならば)

法(権力)と金の支配システムに順応し、ランクを上げる(貴族化する)ことで自由を拡張するのが常識的な立身出世の物語だ。

一方、国の支配を見限り、他所の支配システムに乗り換えようとするのが「脱北」だ。
肉体的には移民であり、精神的には地球脱出。

それが天国や極楽をゴールに設定する宗教の物語であり、第7チャクラの解放(大悟)はそれを目指す。


●弱者は世俗では救われない(強者になれ)

弱者は努力鍛練し(丹田と胸)、強者になり世俗のルールに適応しない限り救われない。

弱者が弱者のままで許されるほどこの世は優しくない。
弱肉強食は人権意識が極限まで高められない限り変わらない。

ゆえに弱男マスキュリズム、弱者を弁護する思想なんてものは存在しない。

(あるいは既にあっても強者により形骸化されている。)



●丹田と胸のチャクラ


弱者が強くなるのは実はそれほど難しくない。

丹田と胸のチャクラを鍛えれば普通は人並みの強さが手に入る。


丹田は腹式呼吸や肥田春充式の鍛練法など探せばやり方は見つかる。

胸も人を愛し、家族を得て母性(男女ともに)が膨らめば自然と鍛えられる。


ただどちらも生まれや育ちの体質や愛着で成長率が変わり、弱者とはそのスタートダッシュに失敗し、その後も挽回できずにいる者を指す。


腹が弱ければ胃腸も弱く、多く食べられず体も小さい。

親に愛されねば友もできにくく、恋人も家族も得られにくい。


個体としての身体の弱さ、群れに馴染めない一匹狼の弱さ。

弱者男性にしろ弱者女性にしろ、個と集の両輪が弱ければそれらが強い者に勝てるわけがない。


例えば弱者男性はヤンキーに負けるくせに彼らを下に見るが、個としての腕力、集団としてのチーム力で彼らは優れており、むしろ学ぶ点も多い。



●弱者の意識の変性


弱者が弱者のまま虐げられ続けると意識の変性が起こる。

虐待は脳を変え、脳波を変える。


その結果、犯罪、宗教、芸術、自殺の大体4パターンの道を進み、それぞれで常人にはあり得ない結末を迎える。


彼らは常人とは異なる脳内神経回路と脳波を持ち、それゆえに天才性と異常性を発揮する。


心身が弱い状態で負荷をかけられ、意識の変性が起これば低次元の変化が起き、自責は自殺、他責は他殺に走る。


世間を騒がす通り魔は頭のおかしさばかり強調されるが、その背後の過度の社会的ストレスによる脳と脳波の変性を語らないのは原因の隠蔽だろう。



●異端の極み(神殺し)


心身がある程度鍛えられていれば芸術、宗教に発展性が生まれるが、その分負荷を強めないと単に弱者から強者に変わるだけで創造性は薄れる。

国家に取り込まれ、社会に馴染んだ工芸職人や官僚的僧侶はその類い。


一方、本物の芸術家や宗教家とは心身の強者でありながらより強大な存在(国家やアカデミー)に抗い、社会的弱者、異端として虐げられる道を自ら進む探求者であり、その原動力には高い志、理想がある。


世俗的な強者との違いは志の有無にあり、常人は伝統を重んじ、それを壊す変革を嫌う。

そこには永遠のマンネリがあり、意識の惰眠に心地よさを感じる。


本物の芸術家や宗教家はそれを嫌い、なまった社会常識に鉄槌を食らわす。

それが第6チャクラの老賢と第7チャクラの大悟が極まった人間の到達点だ。


異端が下にはみ出るか上にはみ出るかなら、軽率に自殺や犯罪に走るより自力で心身を鍛え、脳波の変性を自己の救済に使うのが最良だろう。