ちょうど受験シーズンだが受験生に限らず「頑張れ」は禁句とされる。
それは噛み砕いて考えれば良く分かる。「頑張る」とは努力のギアを上げることだ。
本気を出すことだ。「頑張れ」とは、そう言ってる方は相手に全力を出し、実力を発揮することを求めている。
しかしギアを上げ、スピードを出すのは速度制限のある一般道では違反だ。
ギアを上げるには高速道路に乗らねばならず、高速道路に乗るなら目的地が必要となる。
ギアを上げるのは目的地が定まり、そこへの最短ルートである高速道路に乗ってからだ。
だからそれらが既にクリアされてるのにギアを上げず、高速道路でもたついてる相手には「さっさとギアを上げろ」と声をかけるのは当然のことだ。
しかし相手が目的地も定まらず、一般道を迷子になってる場合、それも半ばパニックになってる場合、「さっさとギアを上げろ」と急かすのはNGとなる。
そのような相手にはまず目的地を定めさせ、効率のいい達成手段である高速道路に誘導し、その上でギアを上げるよう励ますのが助言の正しい手順だろう。
あるいは目的地が定まり、自分のペースで一般道を走ってる人に対し、高速に乗ってる感覚で「ギアを上げてスピードを出せ」と要求するのもマナー違反だ。
相手には相手の考えがあり、ゆっくり旅を楽しみたいからギアを上げない=頑張らずにやっている。
その意思を踏みにじるのはおかしい。
これらの中で問題なのは目的地が定まっていながらギアを上げるのを渋るタイプだが、その多くが目的地を周囲の強要で決めた場合だ。
本当は行きたくない、やりたくないから頑張れない。
しかし周囲はそれを知らないか、知ってて本人の意思を踏み潰してるから頑張れと言い続ける。
この悪循環になったら早晩その人は壊れる。
「頑張れ」が禁句なのはこのケースが最たるもので、目的地の設定を本人が決めたなら本当は「頑張れ」と言ったって大して影響はない。
進路を自分で決めることができるなら、外野が何を言っても跳ね返す強さがあるだろう。
しかし親の言いなりに目的地を決めた人はそれができないから病む。
メンタル崩壊の因子は目的地設定の最初の段階で既に埋め込まれている。
それを仕組んだのは親や教師、上司、配偶者といった身近な目上の存在だ。
この問題は不言実行と有言実行の相違にも関わってくる。
自分で進路を決めたなら大抵は不言実行で事を進める。
しかし親や周りから決められた場合は有言実行というアファメーションにより自己暗示をかけないと頑張れず、たとえ頑張れたとしても不自然な力の出し方のせいでやがて壊れる。
得意分野や好きなことを不言実行でこなせないなら、まず目的自体が自分の心の中から湧いてきたものかをチェックすべきだろう。
本当は苦手なのに得意にさせられた、嫌いなのに好きにさせられた場合それは洗脳であり、最悪の人権侵害だ。
頑張るべき事を頑張れない状況にあるなら、インナーマインドが抵抗している可能性を考慮すべきだ。