愛が利他的な自己犠牲なら、殺人は利己的な他者犠牲。
自殺は利己的な自己犠牲。
愛は異物との融合であり、受精、妊娠。
それは種であり、やがて芽吹き、次世代に未来を繋ぐ。
種は可能性であり、希望だ。
それがあるから前を向いて生きられる。
種は花咲き、やがて枯れるが、それを悲観し自殺する者もいる。
若者の絶頂での自殺はそれが多い。
決して種がないわけではない。
種の内包する老醜を嫌悪する若気の至り、わがままだ。
人が本当に死にたくなるのは種が枯れた時だ。
花が枯れるのではない。
種の時点で咲かぬと知るのだ。
愛の妊娠の対極、不妊の絶望。
未来の希望は宿らず、花は咲かない。
老人の晩年の自殺はそれが多い。
かつて種はあり、見事花咲くこともあった。
しかし、それはもう無い。
老木に花は咲かず、種は実らない。
我が身が老木である限り。
童心。
インナーチャイルド。
若かりし魂。
希望の種。
我が身を不妊の種と独断し、不要の異物として排泄するなら、それはあまりに母心を挫く。
幼少のみぎり、世界は母体だった。
童心は何の疑問もなく種であった。
種が咲かぬ道理はない。
なぜ疑う?
老心が見失うのは希望ではない。
童心だよ。
老いて尚、限界を越えた葛飾北斎。
死ぬまでペンを離さなかった手塚治虫。
「死は祭り」と天命を果たした岡本太郎。
彼らはなぜ終生、種であり続けたか?
花咲くそばから種を蒔き続けたか?
老いぬ木に枯れる種はない。
我が心が童心である限り。