前回の続きです。
まず前置きとして、
陰陽六行を検索すると陰陽師を自称する人のサイトが出ますが、私の説とは無関係です。
真贋の評価はあえて伏せるとして、6つ目を精神を司る月としたのは、六星占術の天王星を連想させますが、6つ目を冥府の冥とする私の理論とは別物です。
六行説で検索するといくつか考察らしきものがありますが、検索上位のブログを見ると、考察の入り口に入っただけで結論は「古代中国ではかつて六行説なるものがあったらしいが今は廃れたそうです」であり、殆ど形になっていません。
5ちゃんねるでは「五行理論があるなら六行理論があってもよくね?」と言うスレッドがありますが、これも御託を並べるだけで6つ目のエレメントも決まらず、何も進展していません。
と言うことで、改めて私の六行理論、六行数理術は、オリジナルの東洋思想と言って良いようです。
続いて本題の愛憎と攻防です。
木の生殖本能、性欲は好意や愛情となり、価値を認めた相手と一体になりたいと願い、それを行動に移します。
相手に危機が降り掛かれば身を挺して守り、それが防御として表れます。
それで自分が死んでも本望であり、この犠牲的・利他的精神が愛です。
一方、冥の生存本能、排泄欲は生存を脅かす毒物や異物、病原菌に対して恐怖し、憎悪する感情ですが、相手との一体性を解除し、分離して追い出したい、排除したい、デトックスしたいと願い、それが行動になると攻撃となります。
それで相手が死んでも本望であり、この保身に走った私利私欲の利己的精神が憎悪です。
愛情の方は相手に気に入られるため、空気を読んで順調な状態を維持し安楽・安心させ、獲得物をプレゼントして喜ばせます。
これが人との友好の実態であり、集団化すればファミリー、ハーレムです。
一方、憎悪の方は、相手にわざと嫌われ,決別するため、相手の順調な状態を妨害し怒らせ、相手の獲得物を喪失させ、悲しませます。
これが人との不仲の実態であり、集団化すればいじめ、村八分、迫害です。
この六行が表す人の欲求と感情と行動の基本法則は、おおよそ全ての人の営みを説明できます。
逆に言えば、人の営みの全ては原始からの4大欲求、性欲と排泄欲、食欲と睡眠欲に起因すると言えます。
例えば自分が家庭や学校、職場、地域の集まりでいじめられている場合、相手がいじめにより喜びを感じる、つまりそれが食欲の充足、獲得を目的としている場合を除いて、それは相手から毒物や汚物、異物、病原菌として認識され、デトックスの排除対象になっているということです。
相手は自分の生存本能に従って健康を害する対象を排除に掛かっているだけで、生物の論理としてエラーが起こっているわけではありません。
むしろ正常です。
ここで自分を攻撃する相手が間違っている、エラーが起きているとすると、自分の中で相手が異物、汚物、毒物として認識され、こちらもデトックスの排除の論理を行動に移し、戦争状態となります。
そうなった場合、負ければ(社会的な意味も含め)自らの死ですし、勝ったとしても相手を死に追いやることになります。
最近は簡単に自殺する人が多いため、本当に自らの攻撃で悲劇を誘引してしまった場合、自殺に追いやった責任を悔い、一生悩まされることでしょう。
それを屁とも思わない人でなし、鉄面皮なら良いでしょうが、大抵の人はモラルがあり、大人になるほど神仏を信心し、過去の罪を気に病むものです。
よって自分に対して攻撃を加える相手に「目には目を」で対応すると滅びの道ですので、相手の自分に対する毒物認定を解除するよう改善を試みるのが良識ある人間による繁栄の道です。
それには自分の言動、または容姿・存在自体が相手の安楽な状態を妨害し怒らせている、もしくは相手の獲得物を喪失させ悲しませていると言う現実を直視し、認めることから始めるべきでしょう。
その問題点が言動などソフト的なものなら改善は可能です。
相手が嫌がることを把握し、意図せぬ危害を加えないよう注意し、相手が喜ぶことをする、プレゼントをすることで損失を補填するのが良いでしょう。
それで通常は毒物としての排除対象から除外されます。
これは全面的な相手への譲歩・迎合であり、弱腰に思えるかもしれませんが、根底にあるのは相手との一体化を望む愛であり、自己犠牲です。
しかし、それが容姿や出自などハード的なものの場合は改善が難しく、状況を打開するにはこちらの止むに止まれぬ事情を相手に理解してもらうより他はありません。
つまり、それは言葉による平和的攻撃であり、啓蒙活動です。
気持ちの半分は相手との和解、一体化を望む愛情を動機とし、相手の人格を尊重しますが、もう半分は相手の思想やそれに基づく言動を間違いとして異物・毒物扱いし、排除に動きます。
それは例えば人種差別撤廃運動や女性解放運動、LGBTの人権運動、反ヘイト・スピーチ運動などです。
この場合、どちらかが社会的に死ぬことはありませんが、平和的な分、決定打がなく、相手が分からず屋だったり、自らの言葉に説得力がない場合、議論や交渉の冷戦状態が長期化し、持久戦となります。
ゆえに彼我のライフ・ゲージを考え、勝算があれば愛あるデトックスとしての啓蒙活動を続行しても良いでしょうが、ない場合は早めの損切りを考えるのが理に適っています。
聞く耳を持たない相手への説得を諦め、あえて相手の望むように自分から排除対象としてデトックスされる、つまりは現場から追い出される、尻尾を巻いて逃げ出すと言う選択も有効な選択肢となります。
これは逃げるが勝ちの兵法であると共に、自らを生贄として捧げる自己犠牲、利他的行為、つまりは磔となったキリスト的な愛情でもあります。
また、捨てる神あれば拾う神あり、災い転じて福となるで、環境を変えることで良縁を掴むこともあるでしょう。
その際、新天地の選択は自らがハード的に毒物・異物扱いされない環境を選び、かつ言動などソフト的にも愛・喜び・安楽を促進するような振る舞いが重要なのは言うまでもありません。
そもそも人を愛し、愛されるよう行動していたら初めから異物・毒物としていじめられませんし、外部から異民族の襲来があっても周囲との友好関係を事前に築いていたら、ファミリーとして守られますので。
ちょっと説教臭くなりましたが、このように人の営みは愛情と憎悪、友好と対立、一体化と排除、防御と攻撃により築かれていますし、その細部は順調と妨害、獲得と損失で形成されています。
六行の六角形、または4大欲求の十字のバランスを考え、どれかが不足することにより問題が発生したら、その対極をやれば基本的に事は収まります。
これを覚えていたら、複雑な人生行路を結構快適に進むことができるのではないでしょうか。
簡単に言えば、人の妨害をせず、物心共にプレゼントをし相手の役に立ち、他者の価値を認め一体になるよう努め、それが叶わなければ潔く身を引き、次はもう少し上手くやる、と言うことです。
当たり前のことを言っているようですが、これが陰陽六行から読み取れる人生の鉄則ではないでしょうか。