__木
火___水土___金
__冥
木:好き・愛、性欲、生殖本能。「絶頂(絶命)」
火:怒り、睡眠欲の不足。「妨害」
土:安楽、睡眠欲の満足。「順調」
冥:恐怖・憎悪、排泄欲、生存本能。「保身」
金:喜び、食欲の満足。「獲得」
水:哀しみ、食欲の不足。「喪失」
睡眠不足も空腹も、度を越えるとどちらも怒り出しそうですが、違います。
満腹状態で睡眠不足の場合いらいらして怒り出しますが、睡眠たっぷりで飢餓級の空腹だとひもじくて怒る気力もなく哀しくなるでしょう。
また、満腹すれば眠くなりますし、たっぷり睡眠をとれば寝起きでお腹がグーグー鳴ります。
よって両者は対応関係にあり、一方が増せばもう一方が減じるゼロサムゲームです。
生殖本能と生存本能も同様にゼロサム関係にあります。
昆虫のカマキリは生殖の後メスがオスを食いますし、魚類の鮭などはオスはメスの排卵に射精すると御役御免ですぐ死にます。
人でも出産で命を落とす母親は少なくなく、性病で命を落とす男女もかつては数多いました。
つまり、生殖は死と隣り合わせです。
しかし、生殖を行わねば子孫を増やせません。
ここで生殖本能=種の保存と生存本能=個の保存が対立することが分かります。
人の感情の基本である喜怒哀楽は、全て食欲と睡眠欲に起因します。
食料を獲得できた喜びが全ての喜びの起源であり、それを喪失した哀しみが全ての哀しみの大本です。
同様に安楽も睡眠を順調に続けられる安心感が起源であり、それを外部から妨害された時の怒りが全ての怒りの大本です。
つまり喜怒哀楽とは、獲得・妨害・喪失・順調のことです。
性質の整合性を考えると食欲の喜哀、睡眠欲の楽怒から喜哀楽怒の順番が正しいでしょう。
サッカーに例えると、ボール・キープが順調なら安楽し、ファウルで妨害されたら怒り、得点したら喜び、失点したら哀しみます。
一方、生殖の絶頂には常に絶命が忍び寄り、ゆえに両サイドの哀しみと怒りが隠れています。
人は愛を獲得できない、または失った時ほど死にたくなるものです。
また、この人のためなら死んでも良い、むしろ死ぬと言うのが愛でしょう。
同様に生存の保身には生き残れて良かったと言う喜びと安楽が付随します。
人は日々を生き、明日を迎えるために食べ、眠るからです。
そして、死んでも死にたくないから命を脅かす危険に恐怖し、毒物や病原菌を憎悪します。
人が人を憎むのも、相手を毒物や病原菌と認識するからであり、生存本能のマイナスの表れでしょう。
また、保身が上手くいかず生存が危ぶまれ、死に瀕すると、途端に子孫を残そうと生殖に走るのもまた生物です。
この焦りの心理は商品が余ってる時は興味を持たなかったのが、品薄や販売停止になった途端に俄然欲しくてしょうがなくなる心理と同じです。
これらの感情は原始の生物の基本的欲求に起源を持ち、それが生物進化の過程で失われず、生物の基幹的性質として継承されたからこそ、我々人間も(少なくとも肉体的には)それに基づいて生きています。
冥の生存本能には排泄欲という欲求も含まれます。
排泄物は毒物ですから、それを外に出さねば生存できません。
恐怖の感情ともリンクしており、死の恐怖に直面することにより失禁、脱糞のお漏らしをするのは何も子供ばかりではありません。
状況次第ではそれは社会的な死を意味します。
陰陽六行を図形的に見ると、上部の三角、水・木・火は、空腹や睡眠不足により高まる性欲を意味し、下部の三角、土・冥・金は、寝起きや満腹で高まる排泄欲を意味します。
ここを排泄欲でなく生存本能、つまり死の恐怖からの抵抗とすると構図が整いません。
そもそも冥の五黄土星には排泄物の象意もあり、排泄欲を内包するのは当たり前ですね。
排泄物は食べた残りかすと思われがちですが、大半は死んだ細胞、不要な細胞の集まりですので、やはり死な訳です。
寝起きに腸が動き排泄し、腹が減ったら食べ、精力が満ちたら吐き出し、精根尽きて眠くなったら寝る、と言うシンプルな循環が生物であり、人の営みです。
また、木・冥の縦軸に着目すれば、
木の愛ゆえの生殖の絶頂は、生命の素=精を放つことで絶命に接近します。
冥の恐怖ゆえの生存の保身は、毒物=排泄物を放つこと(デトックス)で救命に接近します。
つまり両者は生のようで死であり、死のようで生であって、陽の中の陰、陰の中の陽が互いに食い込み合う太極図であり、命の循環です。
それが陰陽六行のシンプルな記号的図式にすっきり納められているというのは、まさに宇宙の神秘であり、万物が数と図式でできているということの一端です。