今回は、聖戦と訳されることの多いジハードについて
「ハディース」には、いちばん大切なジハードは自分との闘いである、とされている
自分の弱い心を乗り越える、という意味で、これを大ジハードという
武力による戦闘は小ジハードといい、「イスラムの大義のための異教徒との戦争」を意味する。また、ジハードで死ぬ事は天国への一番の近道ともされている
ムスリムであれば、同じ死ぬのなら、ジハードで死にたいと思うのが本当らしい
ジハードというと、自爆テロに結びつけて危険視する人が多いけれども、自殺することはジハードではない
死ぬことを目的とするものではなくて、あくまで死ぬまで戦うというのがジハードの定義
自爆テロでは100%の死を予め選んでいるので、そこには自殺の意図が含まれてしまう
イスラムの教えでは、自殺は永遠に火獄で焼かれるほどの大罪なのである
また、大量破壊兵器を用いるのはイスラムの倫理に反する
兵士以外の一般市民を巻き添えにするのがイスラム法の見地からは犯罪となるから
また、敵を焼き殺すことも禁じられている
現代の大量破壊兵器は、ミサイルや爆弾など、人を焼き殺すものが多いので使えない
すると9・11の実行犯のやっている事は、世界各地で起きている反米闘争のひとつに過ぎず、ジハードとは言えないことになる
「剣かコーランか」と言って、武力で異教徒に改宗を迫る宗教戦争がジハードだと思う人もいるが、これはヨーロッパのキリスト教徒が作り出したデマである
イスラム社会は他宗教に寛容で、多くの宗教、宗派が共存しているのが現実
正しくは「剣か税かクルアーンか」で、税金さえ納めれば改宗する必要はない
ムスリム指導者としてのカリフのいない現代においては、ジハードというのは異教徒の攻撃に対するやむをえない自衛としての行為に限定される
カリフというのは預言者ではなくて、預言者の伝えた神の法であるシャリーア(イスラムの法)に従う者。新たな法を作ったり、解釈を変更するしたりすることはできないので、権力を恣意的に運用することはない。独裁者ではない
イスラムでは神は一人、法は一つ、預言者も一人なので、預言者の代理人であるカリフも一人。これによって、宗教的な権威、政治的な権力の乱立が防がれる
このカリフのみがジハードを命じることができる
しかし今はいない
ここで問題が生じる
近年、悪名高い「イスラム国」ではカリフと勝手に名乗る バグダーティー という者が登場し、自分らの戦闘活動をジハードと正当化して世に混乱を招いた
しかしバグダーティーにカリフの資格がないのは言うまでもない
また、現在のイスラムの諸国では、カリフに従うように、王や大統領に従え、などという言い方をして、イスラム法を蔑ろにしているのが現実である
カリフ制はあくまでも法の支配なので、カリフという人物に中心があると思ってしまうと誤解を招いてしまう
初代カリフ アブー・バルク ( 573年-634年 ) の言葉
「私が正しければ私を助け、私が誤りを犯せば私を正して下さい」「私がアッラーフとその使徒に従う限り私に従いなさい。もし私がアッラーフとその使徒に背いたなら、あなたがたは私に従う義務はない」
参考文献 イスラーム 生と死と聖戦 中田考著
