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よろず日記

イスラムの教えのなかで大切なものに「タウヒード」というものがある

タウヒードとは 一に化す、一化の思想 神の唯一性 を表すもの

この世の中にあるのは全て一つの神から出てきたもの、すべては同じ根っこから出てきたものだとする見方

精神と物質、聖と俗も分けずに同列のものとする

 

キリスト教では精神、物質、聖と俗というように縦の二分法を用いる

精神は物質よりも上で、聖は俗より上とか

イスラムでは天使も木石も等位のものとする

 

イスラムからすると、ユダヤ教における選民思想も純正な教えと考えない

同じ人間なのになぜ上下を設けるのか

民族を超えた広い射程をもつ構造でばければ大宗教とは言えないと

タウヒードの考え方からすればそうなる

 

キリスト教の三位一体説について

キリストを神の一部にしてしまう考え方を純正な教えとは考えない 

タウヒードにはならないとする

キリスト教ではキリストを神の子と考えるが

イスラム教ではキリストを預言者、あくまで人と考える

しかしキリスト教でもキリストを一預言者と考える一派があったと思う

イエスは預言者で、神の子であるが、我々も動物もみな神の子であるという考え方ですね

神の子というのは神に近いものという意味ではなくて、あくまで神が産んだもの、被創造物と解釈する立場

 

イスラムでは

基本的には、他宗の人たちをことさらに差別しない

イスラム教徒と非イスラム教徒をタウヒード的には等位とみなす

非イスラム教徒は、まだ迷いの状態にあるとする

知恵ある人間なら、タウヒードの思想に触れれば、いずれそれを理解する日も来るであろうと

それゆえ、敵対してくる異教徒を除いては、自分たちの庇護下に入った者には親しくして、特別な税金を払えば、異教徒には異教を信ずる自由も与えた(ズィンミー制度)

「宗教上のことでお前たちに戦いをしかけたり、お前たちを住処から追い出したりした者でさえなければ、いくら親切にしてやろうと。公正にしてやろうと、アッラーは少しもいけないなどとはおっしゃらない。もともとアッラーは公正な人間を好まれる。」(60章8節)

 

その一方

「汝らに戦いを挑むものがあれば、アッラーの道において堂々とこれを迎え撃つがよい。だがこちらから不義をしかけてはならない。」(2章186節) とする

専守防衛ですね

このへんがキリスト教や仏教にない現実的な部分

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

イスラムという言葉は、相手に全面降伏する、という意味だとか

全面降伏をする相手は人間ではなくて神

神に全く帰依するということ

また、それによって得るものは平和である、という意味もある

イスラムでは信徒同士の挨拶が大切で、汝らの上に平安あれ、と挨拶するらしい

 

イスラムにおける罪については、以下の2つがある

 

1:神に対する罪「ハック・アッラー」・・・・・神に裁く権利のある罪

2:人に対する罪「ハック・アーダミー」・・・人に裁く権利のある罪  

 

1には

 多神教を信ずること 姦通 姦通についての中傷 飲酒 窃盗 等がある

 姦通についての中傷というのは、浮気の証人を四人あげることなく、人妻に姦通の非難を浴びせ偽証するもの

 普通、四人も証人をそろえるのは難しいでしょうけどね

 ちなみに飲酒は鞭打ちの刑になるとか・・・

 

2は、地上における罪に対する法律の部分で、同態復讐法がベースとなる

 同態復讐法とは、いわゆる「目には目を 歯には歯を」といわれるもの

 2は、あくまで地上の法律の次元なので

  2の地上的な法をもってイスラムの世界を推し量ってはいけない  

 

1と2は重なる部分もありそうだ 窃盗の場合など

 

同態復讐法に関して、コーランでは、なるべくその権利は行使するな、ともいっている

相手を許すことで自分の罪も許されると 

このへんは宗教としてのイスラムになるのかな

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しばらくイスラム教について調べてみようかなと

日本人にとっては、特に馴染みのない宗教なので、妙な偏見も持ちやすい

そうならないようにするために

また 他を知ることで己を知るきっかけにもなれば・・・

 

ひろさちや氏によるイスラム入門書を覗いてみた

 

イスラム教は具体的な宗教である。

他の宗教はいかに生きるべきかを教えているが、イスラム教はそれとともに人間とは何かをはっきりと示している。

一人の仏教徒を例にすると、精神においては仏教で生きているけれども、現実においては世の法律を受け入れてもいる。

心の問題と、現実問題において、違った原則が適用されているわけだ。

精神の一番大切なものに専心しなさいという部分だけを見るなら、仏教もキリスト教も素晴らしいものではあるが、イスラム教は具体的、法的なものでもある。

イスラムは、精神的なモットーだけではなくて、具体的にこの世の中で生きていくときの法も射程に入れているのだ。

宗教も法も全てが入ってしまうことがその特徴。

なので、イスラム教というと、宗教の面だけが強調されてしまうので、イスラムと言ったほうがよい。

 

イスラムでは政教分離もしない。

キリスト教や仏教のように、聖俗を分ける宗教と同じ感覚で理解しようとしたら間違ってしまう。

イスラムには、牧師のような宗教の専門家はいない。聖俗を分けない教えだから。

信者一人ひとりがみな聖なるものであり、俗なるものを分かち持っているとする。

聖なるものの専門家等というものがありようがない。宗教に関する学者はいるけれども

 

さて、そうするとこういう問題も生じてしまう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

歩くことで健康に

 

親指側でなくてかかと斜め後ろに重心とるのか

 

目からうろこ

 

 


 

 

 

減っているのか

それとも 増えているのか

 

実は増えているという説が

https://ieei.or.jp/wp-content/uploads/2019/12/Corckford-Japanese.pdf

 

40年前より増えている・・・

26000頭のしろくまがいるが過去最高の数値らしい

では

温暖化の影響で北極の氷が溶けて、しろくまの生息地が狭めてられてきているという説は?

 

こちらでは

26000しかいない という言い方をする

 

 

ご支援? お商売に結びつけているのはこちらだが

 

どちらを信じたらいいものか

 

考えてみると

北極の気温は零下ですよね

氷が溶けるわけがないような気もするのだが・・・

 

さあ どうしましょう

 

 

 

 

 

仏教における空の思想では、すべてのものの究極の本質は空である、とする  色即是空

事物は、それ自身の本質から生じるのではなく、すべてのものは相互依存的な関係のなかで、全体から生じ、また全体へと回帰する

それだけで存在する固有の実体というものはない

全てのものはお互い様な関係にある

そして常々変化していく 無常

 

花も、空気がないと、土がないと、水がないと、咲かない

花だけがひとりでに勝手に咲くというわけではない

そして花はいつまでも花であるわけではなくて

いずれは枯れて土に帰っていく

 

人の心も無常に変化する世をあるがままを見るためには

一時、一事にとらわれていてはいけない

その流れを見失ってしまう

すれば本質を理解することができなくなると

 

原始仏教における、このようなものの見方において

信仰の対象といったものはありません

というかありえません

しいていうならば法が信仰の対象

しかしそれも涅槃に至るための一手段に過ぎないとします

(筏のたとえ)

 

後の仏教においては何かと信仰の対象が出てきますが

信仰の対象をとやかく言うのであれば

むしろイエスに聞いたほうが早い

どうしてユダヤ教にはじまるキリスト教、イスラム教は一神教となったのか

そこには長い歴史とそれなりの理由がある

 

 

 

 

 

 

 

 

理論もパターンも大事だけど

もっと大事なものがあるのかも

 


 

いろいろやってみるしかない・・・

万事に言えることかも

 

 

 

クリシュナムルティの言を追ってみます

 

知識は経験の蓄積である

それは経験の継続であり、すなわち記憶である

記憶は養われ、強められ、形作られ、条件付けられる

しかし知恵は記憶の延長ではない

知恵は連続性を持つところのものではない

 

蓄積した人間は賢明であり得るだろうか

理解は、知識、経験によって生まれない

知識は経験の残滓であり、過去の集積である

知識、意識は常に過去のものである

過去は理解することができない

理解は、思考の静まっている、そういう合間に生じる

その沈黙の空白を延ばしたり、あるいは蓄積しようとする努力は、理解をもたらすことができるだろうか

 

発見するには、自由がなければならない

もしあなたが束縛され、重荷を背負っていたら、あなたは遠くまで行けない

もしある種の蓄積があれば、いかにして自由がありうるだろうか

蓄積する人間は、それが金銭であれ、あるいは知識であれ、決して自由ではありえない

何らかの種類の獲得に縛りつけられた精神が、遠くまで乗り出し、そして発見できるだろうか

 

知識がないときに知恵がある

知識は、決して新たではありえない

それは、常に古いものになっていく

新たなるものがあるためには、古いものがやまねばならないのである

 

知恵があるためには思考が終わらなければならない

とはいえ思考が思考を終わらせることは出来ない

それは単にそれ自身を強めるに過ぎない

このことの真理が悟られるときにのみ思考は終わる

あるががままの真理を見ることの中にのみ自由がある

あるがままは決して静止的ではなく、そしてそれを受動的に注視するためには、あらゆる蓄積からの自由がなければならない

 

 

 

 

 

 

 

ロマン主義について、これほどわかりやすい解説を聞いたの初めてでした


 

山田五郎さんの動画は面白いですね

巨匠の作品を、いろいろな角度から考察

ちょっとディスり気味のところもあったりして笑えます

大芸術家の作品といえども、人の作ったものですので

人間臭いストーリーが隠れているのですね

それゆえに、かえって傑作なのだなと

芸術家というのは特に人間臭い生き物でもありましょうし