皆さま、昨年度は大変お世話になりました。前主務の江田です。前主将の小川の紹介通り春から関東の大学院に進学いたしますが、ロンダリング目的じゃないことは強調しておきます。興味のある研究があったからです。そもそもの大学院入試の出願を忘れていた小川には言われたくないものです。

 

 自分の前に主務を務めておりました、吉安さん(R5卒 福岡・修猷館)の伝説的な卒業ブログ(https://ameblo.jp/kyushubbc/entry-12788007873.html?frm=theme)から早一年が経つことに月日の流れる速さを実感しています。あの長文を最後まで読み切って理解した方はいるのでしょうか。自分は先ほど読み直したのですが、今でもよくわかりませんでした。さて、尾山から始まった卒部ブログもいよいよ自分で大トリを迎えました。文章を書くのは得意ではないですが、一生懸命書きましたので最後まで読んでいただけると幸いです。

 

 選手ではなかった自分のことを知らない方が多数だと思いますので軽く自己紹介をさせてください。このブログが数少ない表舞台です。私は地元のチームであるヤング山陽スポーツ少年団で野球人生をスタートし、中高と岡山大安寺で野球部に所属していました。小中高では選手でした。大林とは中高の同期で大学も含めて10年来の付き合いです。その後、縁あって九州大に入学し、当時流行っていたコロナの影響もあり、約一年間のニート期間を経て硬式野球部に入部しました。野球部に入部した経緯は以前書いたブログ(https://ameblo.jp/kyushubbc/entry-12677230204.html)を参照ください。九大の野球部には最初からマネージャーとして入部しました。

 

 本題に入ります。早速ですが、複数選択肢がある時に、こっちの選択をしていればどうだったのだろうかなと思ったことはありませんか。例えば、あの大学を受けていれば、別の部活動に入っていれば、等です。自分はよくそう思うのですが、この時別の選択肢を選んでいたときの世界線をパラレルワールドと呼ぶそうです。そしてこの一つ一つの選択の違いが将来的には大きな違いとなるそうです。

 

 自分は先述のブログでも書いた通り、硬式野球部にマネージャーとして入部することに非常に悩みました。これまでは選手でしたので、正直に言ってマネージャーをする人の気持ちもよくわかりませんでした。適当にサークルに入ってもいいかなという気持ちもありました。ここで適当にサークルに入っていたパラレルワールドも存在していると思います。しかし、流石の怠惰な自分も暇すぎる生活に飽き、マネージャーとして1年の3月(もしかしたら2月だったかも)に入部するという選択をしました。

 

 同期マネののんちゃんのブログ(https://ameblo.jp/kyushubbc/entry-12838695278.html)にも記述がありますが、大学野球のマネージャーは事務作業が主な仕事になります。そのため、基本的にはグランドに行かなくても仕事はできます。最初はそのことに驚きました。3年生の途中までは平日練は週1か2しか行ってなかったと思います(のんちゃんと違い、自分はグランドに行っても感謝されることはほとんどなかったです)。

 

 マネージャー生活をもう少し振り返ってみます。七大戦で感染症による参加辞退・東北での現地解散、その件で内部崩壊しかけたこと、初めてのキャンプの運営に手間取ったこと、連盟内のある仕事で少しごたごたしたこと…などしんどいなと思うことも多々ありました。また、自分は知らない大人と話すのが得意ではなかったので、特に主務になってから最初は凄く苦痛でした。主務は野球部の窓口的存在なので、外部から来た人(OP戦の相手校の人、審判さん、メーカーの方など)の対応をしないといけないからです。慣れるまでは外部の人が来たら萎えていました。その時はマネージャーになっていなかったらこういう経験をしなくて済んだのだろうなと思いました。しかしながら、楽しかったことの方がしんどかったことの何倍もありました。グランドに顔を出せば選手やマネージャーが話しかけてくれ、リーグ戦では九大だけでなく他大学の幹事と他愛のない会話で盛り上がり、練習中に悩んでいた選手がリーグ戦での活躍することを一番近くで見ることができ、それら一つ一つの日常が楽しかったです。その中でも4春にペイペイで自分が入ってから1勝もできていなかった福岡大に勝てたことは格別でした(自分のベンチスコアでの唯一の勝利です)。

 

 上記の出来事は硬式野球部に入部したからこそ経験したことです。良い悪いは別にして、硬式野球部に入部するという選択をしていないパラレルワールドの自分ではできていない経験です。

 

 このブログで何が言いたいかというと、マネージャーになるという選択をした自分は、別の選択をした自分のパラレルワールドの世界線にいます。全ての人が今いる自分は、別の選択をした自分のパラレルワールドの世界線にいると思います。その選択が正しいかどうかはその時には誰にもわからないです。しかし、その選択を少しでも正解に近づけることができるのは自分自身のその後の行動や考え方だけだと思います。私は高校野球を引退した時にはまさか大学でも野球に、しかもガチガチの硬式野球にマネージャーとして携わるとは考えてもいませんでした。それにも拘わらず、大学野球を引退した今では本当に九大の野球部に入ってよかった、この選択は正解であったと心から言えます。実際にどの選択をしても、しんどいことや辛いことはあります。しかしその中でも自分自身で選択をしたことに対して納得をして、その後の行動や考え方次第でその選択を正解に近づけることができると思います。後輩に対してになるのですが、九大の野球部に入ったという選択は正しかったどうかはわかりません。しかし、せっかくその選択をしたのですから、最後に正解だったかどうかは別にして悔いのないくらい取り組むことが大切なのではないでしょうか。もちろんこれは野球に限った話ではないですが。

 

 最後になりますが、この場をお借りして感謝の言葉を書かせてください。

 

作田監督、石橋先生、マエケンさん、迫さん、OB・OGを始めとする後援会の方々へ

 大学野球は学生主体といわれますが、周りの支援なしでは十分な活動を行うことはできません。キャンプでの金銭的及びボールなどの支援を始めとして、改めて九州大学野球部は周りの方々に支えられているのだと実感いたしました。1年間色々とご迷惑をおかけすることもありましたが、本当にありがとうございました。

 

幹事の皆様へ

 副幹事長としては何一つ仕事をしなくてすみませんでした。九大とは比べ物にならない量の仕事を簡単にこなすシゴデキなみんなをいつも尊敬していました。また幹事室でする他愛のない会話、自分は結構好きでした。それぞれの場所での今後の活躍を期待しています。

 

先輩方へ

 途中から入った自分でしたが、暖かく受け入れて頂きありがとうございました。先輩方の優しさを常に感じていました。特に、主務の直属の先輩である吉安さんには大変お世話になりました。主務になってからは、吉安さんの偉大さを改めて実感しました。またご飯誘ってください。

 

後輩へ

 自分たちは頼りないマネージャーでしたがついてきてくれてありがとう。晶加ちゃん、葵ちゃんを始めに後輩マネは自分たちよりもずっとしっかりとしているので、心配は特にないですが、頑張りすぎないようにしてください。また、選手の方々は小川を胴上げできるよう頑張ってください。特に今村には期待をしています。

 

同期へ

 いつも明るくて元気な同期に途中から入った自分は、最初は馴染めるか不安でした(まだ馴染めてないとは言わないで下さい。)。そんな中でも優しくしてくれてありがとうございました。みんなの野球に対する熱い気持ちにいつも感銘を受けていました。先述の七大戦の時などいろいろありましたが、今後の話のネタにしましょう。同期と過ごした大学野球生活は宝物です。今後は色々なところで活躍すると思いますが、年一回くらいのペースでは会いましょう。本当にこの学年で幸せでした。ありがとう。

 

両親・妹へ

 いつも経済的にも精神的にも支えてくれてありがとうございます。いつもは恥ずかしくて言えないですが、ここまで何不自由なくさせてくれて感謝してもしきれません。突然、大学野球のマネージャーになると言いましたが、応援してくれて嬉しかったです。試合にも出ないのに岡山から車で何試合も見に来てくれたことは記憶に残っています。春からは東京での生活になり、かかるお金が増えることが予想されますが、あと二年間も支援の程よろしくお願いします。

 

 拙い文章でしたが最後まで読んでいただきありがとうございました。これにて、小川世代の卒部ブログは終わりになります。

 

 そしてこれからも九州大学硬式野球部の応援の程よろしくお願いいたします。