農学部4年の鍋島笑です。
時の流れは足を緩めない
今年もまた一つ年を重ねた
20代はすぐに終わるらしい
無駄な事などないと今日も言い聞かせる
ここ福岡が生んだヒーロー、ある3人組ロックバンドの歌の一節です。
「20代はあっという間に終わる」。そんな言葉を、最近やけに実感するようになりました。振り返ってみると、その20代の始まりの2年間を、野球部に捧げてしまいました。いや、トータルでは一体どれだけの年月を野球に費やしてきたのでしょうか。
普段は、「9割嘘をついている」とか、「口から出まかせだ」とか、そのように言われることもある自分ですが、できるだけ本音で向き合いたいと思うので、最後までお付き合いよろしくお願いします。
「千葉ジェッツふなばしを取り巻く全ての人たちと共にハッピーになる」これは地元船橋のバスケチーム、千葉ジェッツが掲げるクラブ理念です。チームとしての魅力ももちろん、この信念を大切にしている所が好きです。なので、キャプテンとなり、自分の中で大事にしようと思ったことは、「この野球部に関わる全ての人がハッピーになる」ことでした。スポーツには勝敗があります。必ず、勝ち負けがつきます。だからこそ、勝敗があるなかでも、どうすれば最終的に全員が笑顔でいられるかを考えてきたつもりです。負けないチームはありません、どんな強いチームでも、いつかは負けます。だから大切なのは負けた時に何を感じるか。「これだけやった」と胸を張れるのか、それとも「あの時ああしていれば」と後悔が残るのか。自分は、「これはできるんだ」と思えるものを一つでも多く積み重ね、それらを出し切った上で負けることが一番美しいと思っています。そして、それを実現するように、日々努力することが強くなるための一番の近道であるとも信じています。もし、去年の1年間がみんなにとって、少しでも幸せで、ハッピーであったならば、自分がキャプテンを務めて良かったのかな、と思います。自分が自分なりに野球を頑張れた理由はとても単純です。試合に勝った瞬間に皆と喜び合いたくて、喜ぶ顔を見たくて、そしてあの時間・空間が好きだったから。それは、九大が中々勝ててないなかったからこそ、勝利というあの何にも代えられない経験をもっと味わってほしいなって(上からですいません)思っていたから。
そして、皆にハッピーになってほしいなと思う理由がもう一つあります。それは、高校時代に他人の明るさに自分が救われたから。投手をしていた高一の秋、肩を壊してちっとも投げられなくなった時期がありました。投げられない、頑張ったらクソ痛い、一向に良くなる気配もない、そんな日々で野球が心底嫌になり、学校すらも楽しくなくなり、授業は寝ているだけ、お弁当も半分以上残す(お母さんごめんなさい)、昼休みは1人で携帯いじっているだけ、午後の授業は部活が近づくから鬱、何のために生きているのだろうか、と考えるばかりでした。先生にも病んでいたってバレてましたね。そんな自分を救ってくれたのは厚かましいある同級生でした。特に深い話はした記憶ないけど、横からでっけえ声で喋ってくるし、笑い声もうるさいし。彼には周りを明るくする謎の力があって、そのおかげで少しずつ明るく、何にも解決してなくても、何にも変わっていなくても笑える瞬間が増えていったことを覚えています。そんな彼もたまたま、自分と同じく途中で投手を辞めた人間でした。ポジションが野手に変わっても頑張る彼の姿が、かっこよく見えていた(のかもしれません)。野球を頑張ろうと思えたのは、間違いなくあなたのおかげだよ。ありがとう。
高校の卒業式の日に、コーチから言われた言葉があります。
「皆はここで当たり前の野球をしっかり学んだと思う、でも他にはそうじゃない所もある、この先野球を続けるならば、ここで学んだ当たり前の野球を広めてほしい」
大学野球を始めた理由はこれだけです。これだけというと軽く聞こえるかもしれませんが、尊敬するコーチ(もちろん皆さんしてます)から言われたその言葉で、自分には十分でした。毎日毎日遅い時間まで、シャドーピッチングをしたり、ネットスローをしたり、キャッチボールをしたり、、、こんな自分に寄り添って下さったあの日々は生涯忘れることはありません。
九大野球部に入部してから約4年、少しでも近づくことはできたかな。未だに中にいる自分にはわかりません。これからの野球部の行く先できっと答えが少しずつ見えてくるのかな、と思っています。
九大野球部に入って一番楽しかった試合は、最後の春の九国戦の1試合目です。
前週の久留米戦では2試合とも一度もリードを奪われることなく勝ち切り(結構すごいよ?)、その勢いのままに初回に先制、その後もチャンスを作り続けて、得点にならなくても、「次!次取ればいいから!まずちゃんと守ろうぜ!」っていう雰囲気が染み付いて、相手のミスにつけ込んで追加点が取れた時、泣きそうになるくらい嬉しかった。「そうそうこれだよ、やりたいのはこういうのなんだ」って。でも、試合中にそう思ってしまう人がキャプテンだったから、あの結末になってしまったのかな。もし1つたらればが許されるなら、あそこから最終戦をやり直させてほしいなと思っています。4年間で唯一ある心残りかな。。
反対に、一番楽しくなかった試合はその春の最初のオープン戦です。試合中に、守備についている最中に横で守っている人と喧嘩を始めたのは、あの時が最初で最後だね。多分、知っている人は少ないと思っているけど??無様な内容を繰り返す自分達と、何もかもやりたいようにできて楽しそうに騒いでいる相手。そんな相手を1番目の前で見させられ続ける地獄の時間、最後のシーズンにこんな試合になってしまうのかという焦りと苛立ちは抑えきれませんでした。ごめんね。でも、あの試合のおかげで、絶対にあっち側にいってやるんだと思い直す事もできました。二度とやり直したくない試合ランキング第一位です。
多くの人に支えてもらいながら、多くの人に迷惑をかけながら、多くの人に悪口を言われながら、何とか最後までやり切ることができました。人にはそれぞれ好き嫌いがあり、合う・合わないがあることは、当然のことです。自分が発した言葉に対して、「そうだよね」って思ってくれる人がいる一方で、「何を言っているんだ、こいつは」って思う人がいる。その両方の人がいる事自体が大事なのだ、と思っています。それは、自分自身もこれまで両方の立場に立ってきたから。だからこそ、何より大切なのは、「正解を言うこと」や「正解を求める事」ではなくて、自分なりの“本当”を追い求めて、その思いを表現することだと思っています。これだけ多くの人が携わるチームスポーツでは、それぞれにそれぞれを創ったバックグラウンドや価値観があり、それを一つにしよう、なんて事は並大抵の事ではありません。大学生ともなれば、一人ひとりにそれぞれの生き方や考え方があって当然です。でも自分は、そんなめんどくさくて、難しい、チームスポーツが好きです。家族でもなく、血も繋がってない、たまたま同じ場所に集まっただけの人たちと多くの時間を共に過ごし、酸いも甘いも味わい、時にはぶつかり、時には涙を流す、そしたらなんとなく同じ方向を向いて、喜びあえる瞬間を目指している。そんな経験ができたことが、自分にとっての答えだったんだと思います。
他の誰が何と言おうが、自分達の学年の強みは「本音を言い合える関係」であった事です。だからこそ、自分の気持ちを隠す事なく、モヤモヤを抱える事なく、思い切って野球に向き合うことができたよ。でも、ほんとうは、もっともっと勝てるチームにしようって思っていたはずなのに、もっともっと強いチームになろうって皆で語り合っていたはずなのに、全然思い描いたビジョンにはならなかったね。。せっかく信頼できる力強い同級生が揃っていたのに、ごめんね。それでも、皆がいたから自分は頑張れたよ。「笑がキャプテンでよかった」、「自由にできた」って(たまに)言ってくれるけれど、それはこっちのセリフだよ。皆が同級生だったからこっちが思いっきりできたんだよって、もしこれを見ているなら伝えておくね。
そして、こんな学年のわがままな旅に1年間付き合わせてしまった後輩のみんなへ。下級生の時に見えていた世界、学年が上がるにつれて見えてくる世界、上級生なると見える世界、色んな世界があると思うけど、それは全部、本当の世界です。迷惑かけるもよし、迷走するもよし、引っ張っていくもよし。自分が思ったことを、感じたことを、全力で表現することがあなたのためにも、チームのためにもなるはず。そんなあなたがいて、今チームは成り立っているよ。自分に嘘つかず、カッコつけず、真っ直ぐ進んでください。ただ、キャプテンを経験した身から1つだけ言わせてもらうと、暗い顔ではなく明るい顔でいてくれるととても嬉しかったな。
1年生の時から何かとお世話になった作田監督へ。自分は普通に好きでしたよ、嘘がつけない性格であるが故の、試合後の率直な批評。あのコメントから気付かされることが沢山ありました。そして、石橋先生。4年間の集大成として、最後は思い描いていたチームに近づくことはできていましたか?毎週のように、教授室に押しかけて、「時間ねえよ〜」と言いつつも長々と話していたあの頃が懐かしいですね。作田監督と対照的に中々腹の内を見せないタイプで、苦労しました。。
長かった野球人生もここで一区切りです。思い返せば、週末になると小学校に連れて行かれ、二人で野球をしたところから全ては始まっていました。あんなに二人で野球をしていたのに、少年野球に入ってから一年以上、バットに当たらなかったことも今では良い思い出です。野球に出会わせてくれて、ありがとう、お父さん。練習では毎日朝から永遠と投げ続け、試合では7回で150球も投げなければいけなかった小学校6年生。ずーっと付き添ってくれた監督、あのバッチバチな感じが、今でも自分の原点です。人生をやり直せるならここしかない、と思えるほど、仲の良さでは一番だった中学校の野球部。引っ越しなんてしないで、最後まで一緒に野球したかったな。
数え切れないほどの人と出会い、忘れられない思い出が沢山できました。この先、また、どこかで出会えたら嬉しいな。
冒頭で紹介した歌には続きがあります。
時の流れよ 今を切り取って
ずっと先で僕に見せておくれよ
20代よ 永遠に輝くように
大切なものを見失わぬように
思い出せるように
大学野球を通して、一生、いつになっても失せることのない大切なものを見つけることができました。これからの人生でも、この4年間で抱いた希望を手放すことなく、大切な人や価値観、信念を忘れずに生きていきます。たとえ迷うことがあっても、また立ち返ることのできる記憶として、そして未来への道標として、心に刻んで。
本当にありがとうございました。
さようなら。
