薬の供給および社会主義的医療政策と円安 | kyupinの日記 気が向けば更新

薬の供給および社会主義的医療政策と円安

現在、向精神薬に限らず多くの医薬品の供給制限があり、処方継続が危うい状況が続いている。ごく最近もセドリーナの納入ができなくなり、幸運にもジェネリックのトリヘキシフェニジルが納入できたので、当面、約2か月間は処方継続ができるようになった。

 

アキネトンやセドリーナは神経内科ではむしろ処方を見ないような抗パーキンソン薬であるが、精神科では抗精神病薬の副作用止めとして併用されてきた歴史がある。リエゾンで神経内科医の処方に触れることがあるが、パーキンソン病の人にこれらが処方されていたのを見たことがない。もしかしたらあったかもしれないが記憶にない。

 

なんと、この2剤は僕が医師になった時に既に発売されていたような古い薬である。この2剤は特に定型精神病薬に併用されてきたが、その理由はほとんどの定型抗精神病薬は薬剤性のパーキンソン症状(副作用)を緩和する薬理作用を持たないためである。

 

ところが、非定型抗精神病薬の中でもD2遮断作用が大きいタイプは、これら抗パーキンソン病薬を併用せざるを得ないことがある。これは基本、用量が多くなるほど必要性が高まるが、忍容性の低い人であれば比較的少量でも必要なことがある。それでもなお、現代の精神医療では抗パーキンソン薬の処方量は昔に比べ激減している。それについては以下の記事を参照してほしい。

 

 
近年、よく思うのは、アキネトン、セドリーナなどの抗パーキンソン薬は高齢者向けではないこと。
 
若者と同様には高齢者に対しては処方しにくい。加齢のため腸管蠕動が落ちているので、たちまち便秘になり対応に困るからである。またこれらの薬の持つ抗コリン作用も認知症には悪影響を及ぼす。定型抗精神病薬+セドリーナのような処方は50歳代くらいまではギリギリ良いが、それを超えると耐えられなくなり、何らかの非定型抗精神病薬に変更せざるを得ないことが多くなる。
 
このようなことを思うことこそ、現代の民間精神病院の精神医療は次第に高齢者医療の色彩が大きくなっていることを示している。
 
今回、セドリーナの供給制限を受けて気付いたことは、トリヘキシフェニジルと薬価的には大差ないこと。つまり、セドリーナのような古い向精神薬は先発品でも限界まで薬価が下げられ、ジェネリックと差がなくなっている。つまり先発品でさえ、製造発売しても利益が出るか疑わしい。
アモキサンは、おそらく今後再発売されない可能性が極めて高いが、アモキサンのように利益が出ないような向精神薬は、製薬会社からすれば可能ならもう製造を中止してしまった方が良いのである。つまり有害なものが入っていたという発売中止理由は、利益追求の製薬会社からみると、渡りに船といったところであろう。
 
 
これも製薬会社が薬価を決められないと言う社会主義的な医療政策の弊害から来ている。自由競争なら人気が高い薬は高薬価でも売れると言う計算がたつが、社会主義ではそうならない。
 
国民皆保険制度と言う政策は、広く国民に医療を行きわたらせるという恩恵があったが、現在の日本の財政状況からは、大きな曲がり角に来ていると言えよう。
 
日本の金太郎飴のように、どこを切っても一様な医療を受けられるという医療制度の維持は既に難しくなっているのである。
 
海外の例を挙げると、ドイツでは腕の良い外科医に手術を受けると70万円くらいの別料金(指名料と言うべきか)が必要と聴いたことがある。一方、日本では、保険制度を利用する限り、神の手を持つ外科医と新米の外科医が行う手術料には医療保険的には差がない。もしかしたら専門医制度などの要件であるのかもしれないが、大差はないと思われる。
 
また円安も大きく関係している。向精神薬に限らないが、原薬は海外(特に中国)から輸入しており、円安のために原薬価格が値上がりし、一方、薬価が安いままなこともあり、製造すればするほど赤字になる。
 
特に外資系では、CEOが株価を下げるようなことをすれば、株主総会で糾弾される。CEOからすれば、数年後を見越した長期的なビジョンより、自らの任期の会社の決算がどうなるのかの方が重要であろう。まして製薬会社の良心などと言う無形のものにこだわり、赤字か、そうでなくても利益的に効率的でない薬を製造し続けるのは愚策と思っていてもおかしくはない。
 
もはや儲からない薬は製造しない方が良いくらいの判断になりやすくなっているのである。
 
日本の薬価も含め、医療政策そのものが社会主義的なため、その弊害がこの10年くらいで様々なところで出始めている。製薬会社が薬価についてある程度裁量が可能なら、この薬価なら発売継続しましょうくらいの判断もされるかもしれない。社会主義的施策はこれらを許さない。
 
本来、日本の向精神薬は海外より発売されている種類が多く、選択肢が多くなると言う印象があった。その理由はマニュアル的に紹介される向精神薬以外にも個人差により選択できる薬が比較的多いからである。
 
日本は新薬の発売は海外より遅いが、古い薬の選択肢が多いといった感じだった。実は、このことも社会主義的医療政策と無関係ではなく、利益が出ないか乏しい薬を薬価を下げても残していたからと思われる。これら儲からない薬は、製薬会社が国に忖度して製造し続けていたのかもしれない。それはそれで日本の製薬会社にはメリットもありそうだからである。
 
そのようなことから、ある向精神薬を国内製薬会社が製造しているか、海外の製薬会社が製造しているかは関係するように思う。レボトミンは今は50㎎錠などの大きな剤型で供給制限されているが、おそらく時間が経てば供給されるだろう。製薬会社が田辺三菱製薬だからである。
 
一方、アモキサンはファイザーなので僕は絶望視している。自由競争なので、新型コロナワクチンで儲かったのだからアモキサンは赤字でも製造しよう、にはならない。経営的に効率的ではないからである。
 
令和になった頃から、日本の医療政策は曲がり角に差し掛かってきているのは確かである。
 
参考