28歳くらいの梅毒の患者
今回の記事は、僕がまだ31歳頃遭遇したものである。驚愕すべき臨床体験。
ある28歳の男性患者さんは、梅毒に罹患後、症状が出たものの中核病院で治療を終えていた。その時は既に梅毒トレポネーマは体内にはなかった。
この患者さんの不思議なことは、まだ感染後2年くらいしか経っていない上、梅毒に対する抗生剤治療も完全に終わっているのに、精神が既に荒廃していたことである。
いつも保護室で診察していたが、いつも無苦慮にへらっとした印象で、よくポケットに大便を詰め込んでいた。おかげで指と爪の間には便がつまり悪臭を放つような状態である。
統合失調症の人にも弄便が診られることがあるが、実際にはそのレベルまで荒廃する人は稀であり、そう診られるものではない。過去ログに便だらけになる患者さんの話をアップしている。
このセンテンスの最も器質性疾患っぽい(つまり統合失調症らしくない)ポイントは、「へらっとした印象」だと思う。
とにかく、回復する見込みがなかった。
ところが、民間精神病院は自院の重症の精神病患者は、他病院に転院させにくいと言う心理が働く。
その理由は、民間精神病院は常に一定数の処遇困難な患者を持っていて、ある種の民間精神科病院全体で苦労を分かち合うという暗黙の了解のようなものがあるためである。そもそも自分の病院でここまで悪化した患者を他病院に押し付けるのは気の毒というのもあるし、心証も悪く今後の病院間の関係にも影響する。それが簡単に許されるなら、自分の病院は精神医療の楽な良いとこ取りだけしている感じになる。
そのようなこともあり、余程の理由がないと、この記事に出てくるような重症の患者さんは他病院に転院などさせられない。
当時、この男性患者は、時間的には梅毒の四期のはずはないが、何らかの免疫的な脆弱性があり、このような荒廃に至ったのかもと思っていた。それが正しいかどうかはともかく、梅毒の最終病態はこのようなイメージだったからである。
既に四期の梅毒患者はなかなか診られない年代になっていたこともある。
そして、「梅毒の四期であるはずはないのに、極めて特殊な病態を呈している」とのことで中核病院か、あるいはもう少し施設が整っている大規模な民間病院に転院させることになった。そのあたりは、僕は主治医ではなかったので経緯の詳細は知らない。
その患者さんはその後も経過は良くなかったらしい。「この良くなかったらしい」という期間は数ヶ月であり、その後の詳細は全く知らないのである。
その後、僕は毎週リエゾンをするようになった。僕は医療観察法の仕事とリエゾンは非常に縁があり、延べのリエゾンの経験年数は精神科医のキャリアから比してもかなり多いほうだと思う。そのようなこともあり、稀な症例を経験している。
その梅毒患者さんに極めて似た症例を後に数度、リエゾンの現場で経験することになったのである。例えば、この梅毒の男性患者さんに似た病態のある女性の基礎疾患はSLEであった。
今から考えると、その若い梅毒の患者さんは身体疾患に由来するカタトニアだったと思う。
カタトニアはGoogle検索すると狭い範囲の概念しか記載されていないので、それは違うだろうと思うかもしれないが、こういう病態もカタトニアと言って良いのである。ポイントはカタトニアは症候群であり、原疾患は必ずしも同じ疾患ではないことであろう。
このように考えると、当時の治療のベストの選択肢はECTであった。病状の規模的に1択と言って良かった。
しかし、当時それを見抜くことができず治療機会を逸してしまい、しかも他院に送ってしまったのである。
彼は、今も残念に思う患者さんの1人である。