躁状態なのに小声で話す
ある時期、15年間ほど高齢の躁うつ病の患者さんを診ていた。彼女はうつ状態はないわけではないが、期間が短くその規模も大きくない。一方、躁状態はより明確で期間も相対的に長かった。その点ではあまりないタイプと言えた。
ある時、躁状態なのにいつも小声でしか話さないことに気付いた。しかし、その奇妙さに看護者は誰も注意していなかった。実際、看護記録にも記載されていない。
ある日、病棟婦長と話していた際に、「あの人は躁状態なのに、なぜか小声でしか話さないですね」と、このことについて意見を聴いた。彼女は「言われてみればそうですね」と言った感じだったが、「人に聴かれたくないからではないか?」と。確かに彼女の話はできれば聴かれたくない話の方が多かった。しかしそうでもない話もあるのである。
あれほど脱抑制しているのに、その配慮ができるというアンバランス。
躁状態の規模が小さいからという判断も可能だが、いかにもとって付けたような根拠だと思う。彼女の話は多弁で抑制を欠くが、奇妙な妄想的内容は診られなかった。また極端に食欲が亢進あるいは減退しているとか、そのような変化もないのである。
ある時、診察中、
復活するのは私とキリストだけですよ。
と元気そうに言った。ただし彼女はクリスチャンではない。自分はキリスト教ではないのでよくわからないが、自分とキリストを並列するのは、クリスチャンだと畏れ多くて言いにくいのではないかと思う。この時、更にバランスの悪さを感じたのである。
病棟婦長に、「どうも今回の躁状態はいつもとは違うようですね。」と言った話をしていた。ところが、ある日、躁うつ混合とはまた異なる流れの数日に1日だけ元気でない日が出現するようになった。これもまた奇妙な病態である。元気ではない日は食欲もない。しかし翌日には結構復活しているのである。
内科に受診させたところ、あまり異常はないようであるが、念のため大きな病院に予約しておきましょうと言う話になった。ところが、予約は2か月先くらいなのである。病状的に2か月も待てないと思ったので、精神科を併設する総合病院の内科に受診させることにした。受診する日は、躁状態どころではない元気のなさであった。
精査したところ、彼女には定期健診では発見できないタイプの癌だったのである。また、年齢的なものを考慮すると手術は困難な状況であった。その後、ホスピス系の病院に転院となった。
このような病状の流れを見ると、本来の内因性疾患にそうではないタイプの症状性の病態が混入していたという判断も可能である。
最後のエピソードに限れば、本人の内因性疾患そのものが、特別に選択した病態だったのかもしれない。
参考