生命保険の話 | kyupinの日記 気が向けば更新

生命保険の話

連続で精神医療とあまり関係のない話で申しわけない。今日も日記的な内容である。

僕が精神科に入局した当時、いつも医局を訪問していた生命保険のおばちゃんに半ば強制的に生命保険に加入させられた。

自分の基本的な考え方だが、若い頃から、生命保険会社はどうもイカサマというか、詐欺的なにおいがしていたため全く信用していなかった。

したがって積立タイプではなく掛け捨てタイプで、事故で死亡時に1億円家族が受け取れるタイプを選んだ。その理由は、まだ若かった(24歳)こともあり、月々の掛け金が1万円だったからである。

なぜ、生命保険を信用していなかったかというと、当時は将来のデフレを想定しておらず、長期的インフレのため、やがてシビックも1000万の時代が訪れるのではないかと思っていたからである。シビックが1000万なら、1億の保障でさえ、たいした意味がない。

また、いつも日経新聞や経済誌を購読していたこともあり、ありえないような生命保険会社の高い給与水準や、街の中に生命保険会社のビルが次々と建っていくのをみて、これは誰かが大損害を出していないと、辻褄が合わないと思っていたこともある。大損害を被るのはもちろんユーザーである。

生命保険の定款を精読すると、いろいろなワナというか、結局は受取額が大幅に減らされるようなメカニズムになっていることがわかる。一般に、終身タイプではない生命保険では、ある一定の年齢を過ぎると、受取額が大幅に減額される。したがって、ヒトが亡くなりやすい年齢に達したら、たいした額は受け取れないのである。

たぶん28歳か29歳頃だが、僕が遥か遠方の派遣病院で、別の会社の生命保険のおばちゃんが訪問していた。僕が掛け捨ての生命保険しか入っていないことを知ると、しきりに積立型の生命保険に入るように勧めた。

いらんことに、ボスも「あれほど訪問しているのだから、はいってやれば?」という助言もあったため、真剣に加入を考えるようになった。当時、まだ独身だったが、結婚したら、今の保険に嫁さんが納得しないという事態もありうると思ったこともある。

余談だが、病院に営業に訪れるMRさんも同じような考え方をしている。つまり、同じような薬効だったら、より訪問回数が多いMRさんの薬を使ってあげると言うスタンス。その方が、彼らも仕事のし甲斐があると思う。「○○について調べてきてください」と言ったら、そのままバックれるような不真面目なMRをよこす会社の薬は使いたくない。

今は個々の薬についての理解が深まったこともあり、薬の実力に応じて処方するため、MRさんの宣伝はほとんど処方には影響しない。その理由は、向精神薬には個性が大きい上、個々の患者さんの忍容性も多様だからである。

生命保険の話に戻るが、結局、終身型は生涯にわたり受取保険金がかわらないため、このタイプを選んだ。しかしながら、このタイプは保障額に比し掛け金が高いのである。やっと2000万(事故死は4000万か5000万)ほどの保障に変更し、それでも掛け金が倍以上になった。この保険は貯金のようなものだからというおばちゃんの話だったが、本当にそうだと思った。2000万という少額にしたのは、全くアテにしていなかったからである。

当時は、金利の高い時代で、かなりの高利回りが保証されていた。これは今でもそのままなので、保険会社からみると、この商品に限れば大幅な逆ザヤになっているはずである。

当時、妻帯者などでは、なんと1億円の保険に入る医師も稀ではなかった。1億円の終身タイプの保険はもちろん大変な掛け金になる。

僕は、あのように信頼できない(保険会社にとどまらず、日本社会そのものに)、毎月あれほど支払うのはバカ以外にありえないと思っていた。

ところが、社会が激変し日本は長期に不景気&デフレになったため、あの当時バカかと思っていた人々の選択肢はかなりの正解になるに至ったのである。(あくまで今のところだが)。

生命保険の本質がわかっていない人は、生命保険会社のおばちゃんの口車に乗せられ、当時の逆ザヤの生命保険を解約し、終身型ではない利回りの低い生命保険に掛け替えさせられている。これは生命保険会社の欺瞞と言える行為だが、ユーザーも新しい特約(成人病など)に幻惑されて、良く理解していなかった責任も多少はあると思われる。

僕は当時の病院を退職し、他の派遣病院に異動の際に、生命保険のおばちゃんが強く薦めたこともあり、その保険を下取りしてもらい、もう少し大きな額の終身型保険に入りなおした。下取りのため、少しだけ掛け金が減額されたが、保証額は3000万とあまり大きくはならなかった。月々の支払い額は33000円ほどに増額になった。

この保険は今でも継続しているが、高い利回り保証が続いているので、少なくとも損はない。失敗と思ったのは、この終身型保険に入った際に、掛け捨て型の1億の保険を解約したことである。病死5000万、事故死亡時1億で掛け金1万円は今ではありえない。

この保険は死亡時の保障額が、医師にしては少なすぎることが難点だった。独身なら良いが、結婚後、これで良いとは到底思えない。

その後、マンションを購入しこれには生命保険も付いているため、なんとなく3000万のまま放置していた。

ある日、医師で3000万の保障額の人などいないことが判明!

そのようなことから、米ドル建ての生命保険に加入することにした。まだ30歳代の頃である。僕と嫁さんと同じ額のドル建てで毎月同じドル額を積み立て、金利はほぼないが、円安が進めば為替利益が得られるタイプであった。

僕が加入した当時のドル円のレートはよく思い出せないが、100円前後だったような気がする。あるいは120円だったかもしれない。その保険はちょうど金利が保険代にあてられるタイプで、一定期間を過ぎると、その金利はもはや保険代には充当せず、解約金が劇的に増えるタイプだった。ある一定期間を過ぎると解約により生じる違約金を引いてもプラスになる計算で、ドル円が一定している限り損は出ないはずだった。

当時、まさかドル円が80円を切るなんて思ってもおらず、長い円高の時代、完全に為替で失敗した経過になった。毎月、70円台の時も80円台の時もドルを買い続けた結果になる。

僕は、ドル円が120円台以上の円安の時期にほとんど買っていないと思うので、少なくとも平均買いコストは105円未満のはずである(計算したことなし、ひょっとしたら90円台かもしれない)。

おそらく、今はいつ解約しても損はない状況になっている。このドル建て預金は、今の推移であれば、そのままで良いが、万一、再びドル円が100円を割ることがあれば解約した方が良いと言ったところである。

今、ちょっと苦痛なのは、米ドルの120円の高値を毎月買い続けねばならないこと。ひょっとしたら正解かもしれないが、そのようなことは問題ではない。今までになかったような高値を買わなくてはならないことがストレスなのである。

米ドルと日本円は根本的に異なる。その理由は、米ドルは基軸通貨なので、アメリカがお札を刷りまくったとしても、日本円のようにはならないからである。

現在、東京オリンピックの期待から、東京の不動産が外資(特にアジア)に買い漁られていると聴く。これはひょっとしたら、著しい円安の予兆かもしれない。

僕が豪ドルを買いたいものの、なかなか踏み切れないのは、オーストラリアの物価が日本に住む自分たちの感覚だと、考えられないほど高いからである。これは豪ドルが高く評価されていることに他ならない。なんとなく不自然な気がして、買い辛い心理が働いている。(注意:FXの話ではなく、実際の通貨を買うこと言っている。FXは小豆の先物取引となんら変わりはない。非常に危険な行為である)

いわゆる独眼竜のお爺ちゃん(立花証券の父、石井久氏)はずっと豪ドルを買い続けているそうである。しかし、石井氏場合、たぶん50円台とか60円台でも買い続けていた上、ずっとオーストラリアは高金利だったため、損失を出すなどありえない。高金利通貨が日本円に比べ長期にわたり大幅に上がっているのは、理屈から言うとおかしいが、たぶんおかしいのは日本円なんだと思う。それは日本自体でもある。

今の豪ドルは92円台だが、実は以前の米ドルとあまり変わらない時代もあった。(超円高時代)。ここ10年くらい、豪ドルと円の相対的位置はあまり変わっていない。しかし、1990年代前半はまだ50円台だったのである。

長期的に、オーストラリアは経済的に非常に成長したと言える。これは資源価格が高騰したことが大きい。

オーストラリアでは、出産時に一時金がポンと50万円支給されるらしい(円換算)。また子ども手当が1人3万円支給されるが、シングルマザーだとそれが増額される。従って子供が3人いるシングルマザーだと、母親は働いていなくても貯金ができるそうである。社会保障の点で、日本とは大差があると言える。また、日本の貧乏さに泣けた。

それでもなお、日本経済に対し、あるいは日本社会に対し、僕は悲観してはいない。

参考
精神疾患と生命保険について(その1)
天災、事故と生命保険
深刻な不景気とdepression
なぜアメリカは原油を輸入しているのか
ジョージ・ソロスのオヤジ(7)
アパシーと一攫千金(6)
精神症状と株価暴落が連動している人
マーガレット・サッチャーとモリッシー