精神疾患と生活保護受給について | kyupinの日記 気が向けば更新

精神疾患と生活保護受給について

最近、お笑いタレントの次長課長の次長の母親が長期に渡り、生活保護を受給していたことが明らかになり批判されている。

このブログは、基本的に時事に関連することは記事にしないことにしている。

これは結構気を遣っていることで、そのためにボツ原稿になるもの多数。過去にはそういう記事もわずかにあるが、長期間ブログを続けているわりにかなり少ないのではないかと思う。それはそういう風にならないように注意しているからである。

数ヶ月前、京都でてんかん治療中の人が通りを暴走し、多数の死亡者や怪我人が出た事件があった。当時、ちょうどジョイ・ディヴィジョンのイアン・カーティスの記事を準備しており、まさにアップする直前だったが、そのままお蔵入りになった。

彼のてんかん発病後の精神状態の変化や、彼の特異な楽曲についての内容であったが、あのような事件の最中には、死亡した人の家族や怪我をした人の心情を考慮すると到底アップできない。もちろん、イアン・カーティスが自殺で短い生涯を終えていることもある。

京都の事件についてだが、過去ログにヒントになる記事がいくつか出てくる(参考)。あの事件は精神科的にも精神鑑定的にも難解な事件だと思う。てんかん発作のあり方と言うか、てんかんには色々な精神症状があることを意味している。ただ、当事者のてんかんの若者は死亡しているので全貌を解明するのは難しい。

今回の「次長」の母親の生活保護の事件?は、犯罪ではないし、この機会に生活保護の現場的なものを紹介する機会になると思ったので、特別に記事にすることにした。

普通、精神科の患者さんは精神病などで働けないような際、生活保護を決定する前に障害年金の受給が可能かどうか生活保護課のケースワーカーから病院に問い合わせがある。保護課の人はその人の精神疾患の種類や重さをあまり考慮していないため、全く障害年金に該当しないような精神疾患の患者さんにも申請書類を渡すこともある。そのため、患者さんは、

自分は障害年金を受けられるのに長い間放置されていた。

と誤解することがある。精神科医は障害年金に相当するほど重篤であれば、普通はこちらから言う。過去ログには、それでも障害年金を受けないと言う人が少なからずいるという記事をアップしている。(それどころか、家族が本人に障害年金のことを言わないでほしいと頼まれることもある)

障害年金を受けることは例えば両親が億万長者であっても可能だが、辞退する自由はある。

上の文章の前半は生活保護のルールとの大きな相違でもある。

一般に、単にパニック障害だけとか、摂食障害やボーダーラインの人は障害年金に該当しない。それはそういうルールになっているからである。

ただ、ボーダーラインの人でも社会適応が相当に悪く、しかも家族の介助がかなり必要で、しかも双極性障害の精神所見が見えるケースでは、「躁うつ病」の診断で障害年金の受給は可能な人もいると思われる。

過去ログで摂食障害で障害年金を受給できた話がアップされているが、あの患者さんは実質的に統合失調症と変わりがないほどの「器質性荒廃」がみられたからである。あの時代は「神経性食思不振症」の主病名で良かったが、今はそれでは難しいかもしれない。統合失調症でないものを統合失調症と書くことはできない。それはもちろん不正である。

明確に精神科障害年金を受給できる精神疾患、例えば「統合失調症」でさえ、国民年金ないし厚生年金などの公的年金を十分な期間納めていない時期に初診した人は、障害年金を受給できない。それどころか医師の診断書も提出できないため、門前払いと言える。この点で、公的な障害年金は民間の生命保険に似ている。

真に精神障害で働けない状況で、しかも金融資産もない人は明日の食費すらないため、生活保護に頼らざるを得ない。

このような状況の人は、たとえ統合失調症ではなくても条件を満たせば生活保護は受けられる。

その面では、生活保護の受給条件は精神の障害年金ほど精神疾患の種類を問われない。ただし、保護課のケースワーカーも同じ人間なので、心情的に共感できない理由で生活保護申請に至った人はけっこう渋るものである。(結局は生活保護になるが・・)

例えば、かなりの金融資産を持っていたのに(数億とか)、躁状態で短い期間に想像を絶する浪費の末に破産状態になったような人である。

これは一般人の感覚では自業自得だが、精神科医はそうは思わない。これこそ、躁うつ病の疾患性でもある。

このような患者さんは、保護課の人に病院まで来てもらって説明し、なんとか生活保護を受けられるように努力する。

生活保護を受ける際、保護課の人はその当事者の親族に援助できる人がいるかどうかを調査する。今回の次長の話でも出てきたが、親族はどのくらい援助できるかわかりにくいことがあるのである。

ある時、慢性期で重い統合失調症だが、障害年金の受給資格がないため障害年金が受けられず、生活保護を受給している人がいた。その人はきちんと国保でも納めていれば、おそらく1級が可能であった。

重い精神障害のために長期入院している人は、障害年金の受給資格がない場合、生活保護を受けているのが普通である。生活保護の制度がないと、入院治療すらできない。入院を継続せざるを得ないほどの精神病の場合、金融資産の条件を満たせば、十分な受給資格になる。

しかし、その場合でも保護課の人は家族に援助できる人がいるかどうかを調査する。その入院患者さんの姉に当たる人はそれほど裕福とは言えなかったが、毎月5000円だけ援助していた。それでも毎月5000円援助があれば、保護課の支給は減額できる。

彼の姉は毎月、お菓子を買ってきて面会室で一緒に話をしていた。僕はたまに面会室まで行き、彼女に挨拶し彼の姉との会話などを見ていた。

過去ログに、健康な人は「あたかも統合失調症のようには振る舞えない」と言う話が出てくる。(例えばこの記事など)

彼女は、ひょっとしたら1万円くらい援助できたかもしれない。

しかし、保護課の担当ケースワーカーからすると、さほど裕福でもない姉が5000円だけ援助する気持ちを確認するだけで十分というか、それ以上は言いにくい心情は働く。彼女は、彼の母親ではなく姉なのである。姉であるということは、彼女の夫の気持ちやその家族の気持ちを考えるに、あまり多くを出させるのは難しいと思うのが普通だ。彼女にも家族があるから。

このようなことは、なんだかドラマみたいだが、人間模様の世界なのである。

精神科患者さんの生活保護の家族の援助の可否を調査する際に、一般でもそうかもしれないが、家族関係に制約がある場合がある。

例えば、ある患者さんが精神症状が活発な時の武勇伝のため、家族に多大な迷惑をかけていて勘当されているケースなど。

この場合、家族は「彼(彼女)は他人だからどうなっても良い」とか、「援助なんて到底できない。こちらがお金を返してほしいくらい」くらいは言う。このような家族は援助できるほどであっても、強制的に援助をさせることは難しい。これは法的な強制力がないから。結局、保護課で話し合われ、結局は援助してもらうのは諦めるのではないかと思う。

精神科病院の入院患者で生活保護の人で、なんらかの毎月の援助ができる家族は限られている。その理由だが、精神疾患は統合失調症に限らず、だんだん貧乏になる疾患だからである。それは就労ができないか、できたとしても制約が大きくなることと関係している。

精神疾患で生活保護の良い点は、次第に精神疾患が回復した場合、働けるようになり、生活保護を終了できる人もいるし、部分的に働けて、生活保護の受給額を減らすこともできることである。(段階を踏めるのが良い)

過去ログに出てくるある患者さんは、ある病院で今後退院できそうにないと言われたが、今は月に20日くらい5~6時間ほどだがコンビニで働いている。その人の場合、働けるようになるまで6年くらいかかった。

今、5~6時間ほど働いても、6~7万円ほどにしかならない上、生保を減額されるためそこまで使えるお金が増えるわけでもない。しかし、入院している時期を考えると大変な回復である。本人は、少しでも「働くこと」に価値があることがわかっているのである。(過去ログのこの男性も同様)

今回の次長の話だが、今朝、実は次長課長ではなく、かつて次長課長社長のトリオだったことを初めて知った。(東京03のように)。

その社長は既に芸能界を引退しており今は美容師をしているという。彼がテレビでインタビューに答え、いかに駆け出しの頃、貧しかったかを語っていた。

彼の話の範囲では、お笑いの業界は往々にして人気と収入が短命に終わることがあることに触れていたが、次長を擁護するつもりはないが、彼にはそういう心理も働いていたと思われる。

実際、母親を放っていたわけではなく、いくらかは援助を続けており、この1月から保護課との話し合いで増額していたらしい(辞退していないのは謎)。

次長の年収5000万円が事実だとすると、相当な額の税金を納めていると思われる。だから、このくらい納めていれば、母親が多少援助を受けていても問題ないと思ったのかもしれない。彼の税金の額から考えると、母親の受給額は彼が援助をしているのなら誤差範囲である。実際、受給をされているのは正しいと語っているし。(わけはないか・・)。

この問題が大きくなったのは、彼自身が母親が生活保護を受けていたのをいろいろな人に話していたからである。彼はそういうことを公的な場で言ってしまうと、このような問題が生じることに考えが及ばなかったのではないかと思った。

僕は、次長はボケッとしていただけで、おそらく悪意はなかったのではないか?と言う考え方をしている。真の悪意があるのであれば、そういうことを他人には言わないし、部分援助もしていないと思う。

個人的に、親がお金で困っているのなら、自分に金銭的余裕があるのであれば援助するのは当然だと思う。