このブログを読んで、精神科医になりたいと思う人へ | kyupinの日記 気が向けば更新

このブログを読んで、精神科医になりたいと思う人へ

このブログは患者さんだけでなく、その家族や実際に診療をしている精神科医、他科の医師、看護師、コメディカルスタッフ、医学部在学中の学生、あるいは医学部を目指している高校生の人たちも見ていると思う。

今回のエントリでは、精神科医という職業がどのようなものなのか少し紹介したい。

いつかも書いたが、このブログは色々な人たちにもわかる内容に見えるが、一部、実際に診療している人しか理解できないと思われる記事もある。実のところ、あまり啓蒙的なものを意識せず自由に書いている記事もあるからである。

また、最近の記事はなるだけ長文を避けるようにしているが、短すぎると抽象的になり、読者の皆さんにはかえって理解できないようである。(精神科医なら概ね理解できる)どのくらいの長さにするかはいつも思案している。

自分のブログの過去ログを検索すると、全く記憶にも残っていない記事を発見する。同じ内容を書かないように注意はしているが、比較的似ている記事はある。

実は書いた後、これはアップしにくいと思うことがあり、下書きのまま放置しているものもある。何でもかまわずアップしているように見えるかもしれないが、そうでもないのである。

大学時代、もう6年生(専門の4年)の終わり頃、ある友人に精神科を専攻したいと話したことがある。

それだけはやめておけ!

そんな風に言われたのである。その理由は「精神科医は他の科に比べ、あまりに医者らしくない」と言うちょっとわかりにくい理由であった。

脳をしたいなら、脳神経外科か神経内科だ!

と具体的な意見だった。その時、彼が言う精神科医がどのような理由でダメなのか、過激な内容も含まれるのでここでは書かない。実はその友人も精神科も十分に考えていたが、結局、他の科に行くと言う。それでもなお、精神科を諦めた方が良いほどの説得力はなかった。

初めて精神科医局に入局した時、ずいぶんゆったりした医局だと思った。後年、うちの病院の女医さんに聞くと、研修医の頃の彼女の大学はずっと厳しかったという。逆に、うちの医局ののんびりぶりにびっくりしたらしい。(これには大笑い)

だから僕に限れば、医局時代は厳しさの点でちょうど良かった。まだ体調が十分ではなかったからである。

正直、精神科に入る前は、精神科医の仕事がこれほど興味深いものとは思っていなかった。過去ログのコメント欄で、うちには子供がいないので、もし精神科医の仕事が非常につまらないものだったら、ここまでのモチベーションは保てなかったであろうと書いている。

精神疾患は一般の人が考えている以上に、ずっと良くなる疾患である。

このブログでは、淡々とこんな風に良くなったなどと書いているが、実は普通にやると単純にはいかない。たぶん、精神科の経験のない医学生や高校生がもし精神科医になったなら、精神疾患の寛解・治癒過程が簡単なものではなく、その多様さに驚くに違いない。

うちの病院の女医さんは、僕の患者さんの寛解・治癒ぶりに、よく唖然としている(参考)。女医さんよれば、僕は内因性疾患から広汎性発達障害、認知症に至るまで何でもこなす万能型らしい。特に、子供は嫌いと言っているのに、皆なんとなく良くなっているのも不思議と言う。また、「あの薬は大変な失敗だった」なんて言っているのに、いつのまにかリカバーしてしまうのもよくわからないところらしい。

そりゃ、野戦病院出身ですし・・

このブログはリアリティがあるかどうか知らないが、治療過程を目撃して最も驚く人は、実は精神科医か心理療法士などの専門性の高い人たちだと思う。彼らは、ごく自然に良くなる人と、不思議な展開で良くなる人がいることに気付くと思われる。

また、なぜうまくいったのか、その考え方や手法を聞かないと理解すらできないケースもある。また、なぜなのか聞いても理解できないと思われるものもある。一方、僕がどのようなタイプの患者さんの治療に苦しんでいるかもわかると思う。

精神科で最も重要で応用が利くのは、統合失調症の診断と治療である。 統合失調症を診ることがすべてのスキルを向上させる。

たぶん、ずいぶん昔は統合失調症と進行麻痺の患者さんを診ることが、トレーニングとして非常に重要だったと思われる。統合失調症こそ内因性の代表的疾患であり、一方、進行麻痺は器質性の代表的疾患である。進行麻痺は抗生物質の進歩により、今は稀有な疾患になってしまった。

このブログの紹介には、

得意なジャンルは、平凡な統合失調症、躁うつ病、うつ病の治療。


と書いているが、実はそういう意味がある。

一般臨床では、平凡な統合失調症や躁うつ病でさえ、治療に苦しむこともある。この2つが満足に診られないなんて、精神科医とはいえない。また、統合失調症の幻覚妄想を直線的に押さえ込むことはそこまで難しくないと思うが、可能なら、存在感のない治療が優れているのである。(一方、急性期の大量療法やECTを否定していない)

精神科医は自由度の高い治療を心がけないといけないと思う。「自由度が高い」というのは、その人のバイオリズムが観察できる程度のボリュームで治療することである。(双極性障害の躁うつが残るという意味ではない)

精神科医は孤独な仕事である。

特に大学を離れて、国公立の精神病院や総合病院の精神科で仕事をするようになると特にそう感じる。研修医の頃は診ている患者さんも少ないし指導医もいる。しかし、大学を離れるとどうして良いかわからない時、即座に答えをくれる人などいない。

このような傾向は、実は精神科以外でも同じような気がしている。時々脳神経外科の友人が遊びに来るが、彼はいつも研修医や専門に入ったばかりの医師の指導をしている。彼によると、「最近の若い医師は、教えて貰うのが当然のように思っている」と嘆いていた。何かわからないことがあると、個々のことを教えなかった上のドクターのせいにすると言うのである。

実際の臨床では、典型的ではない症例の方がむしろ多いくらいである。どこかしら、他の人と違うところがあるのである。今の人は自分でなんとかしようと言う精神が乏しいと言ったところであろう。その謙虚さのなさぶりに教える気も失せるらしい。つまり、今の若い人は

プロフェッショナルではない。

という。結局、それも時代の流れなのかもしれない。その自己中心的な思考パターンは、医師の都会への偏在や、専攻科の偏りに関係しているような気がする。

今後、国は医学部の定員を増加させ、将来の医師数を増やすアナウンスをしているが、おそらく、そのような方法では医師の都会への偏在や不人気の診療科を専攻する医師の増加には繋がらないと思う。

上の脳外科の友人の話からも、そのことが予測できる。

参考
エリスロポエチン