精神科医であることのメリット | kyupinの日記 気が向けば更新

精神科医であることのメリット

精神科医であることのメリットはなったものにしかわからないと思う。そのメリットの1つに、精神科医になると精神医学、心理学的にまわりがよく見えるというのがある。

特に人との関わり。なぜ、その言葉でカチンときたかとか。あるいは、その時、自分がそんな風に言った理由だとか。その言葉にはある必然があることが多い。そういう積み重ねで人間的に成長できる。ちょっとだけね。

精神科医局では、大変な変人でも何年か他の病院で仕事をしていて戻ってくるとわりあい人間が丸くなるというか、普通に近づくというのが定説だ。

中には大学病院から出られない人がおり、その人たちは予後不良とされる。というか、知り合いのドクターがそう言っていた。何が予後不良なのかというと、他所の病院で働けないので、本人も改善できるチャンスが乏しいこと。だいたい、大学病院でしか働けないなんて、働けることにならない。

中には非常にマターリした病院もあり、かなりの低いレベルでも働ける病院もたまにある。そういう病院では普通のドクターが他人の分、余計に働かないといけないので大変なのである。

僕は大学の関連病院でもたぶんトップクラスの忙しい病院で数年働いていたことがあるが、当時、病人が来た場合こちらが死にかねないので、なるだけ戦力になる若い男性ドクターを希望していた。

なぜ男性ドクターかと言うと、リスクの分散。(参照1

ところが、贅沢も言っておれない。精神科医はわりと女医さんが多いからである。当時、女医さんはできるだけ来るのはやめてほしいと思っていた。理由はヤクザ系の人が来た時も任せられないし、深夜や明け方に出て行って診察するとかもそうはさせられないし。だいたい、剖検にしても「私はそういうのはしない」と言っていたくらいだ。(参照2

僕は、当直でも宅直でもない日、明け方4時頃救急外来に呼び出され、まさに大事故になる瞬間を経験している。車で出かけたが寝ぼけており、赤の点滅でそのまま通過しようとしたためだ。明らかに僕の方が悪かったが、間一髪、大事に至らずに済んだ。こういう仕事には無形のリスクがあるのである。

また、女医さんも精神科医なのでなにがしか変わっており、当時、たまたまだろうが、協調性がない人が立て続けに来たことも大きかった。病院はやはり女性の職場なので、同性の人たちと仲良くやれることが必須なのである。

僕はコメディカルの女の子たちに、「先生、もうあいつと喋らないで下さい」と言われたことがある。あいつとは、もちろん女医さんである。職場の人と仲良くやれないでどうすんの?と言いたい。そのコメディカルの彼女が言うには、僕がその女医さんと話しているだけで腹が立ってくるのだと言う。僕は八方美人タイプなので、どんな人とも話はするから。

そしてある日、遂にボスが切れた。彼はこの医局は「今後、女医は断ることにしよう」と言い大学医局に電話をかけ始めた。

僕は、「それは無理な話ですよ」と言った。どう考えてもそのような要望は自分の首を絞めるとしか言いようがなかった。女医さんでもいるといないでは大違いだからだ。この話には後日談があり、医局長からいったい何があったのか僕に調査のための電話が来たことがある。

精神科医のメリットについて書いているが、もちろん女医さんもそれなりに丸くなっていく。徐々に平均に近づいてくるのである。全く変われない人は本当に重い人だと思う。

僕はいかなる患者さんより精神科医の女医が断然良くなると思う。それが、たとえボーダーラインであれ。

内因性疾患の場合は、もう少し生物学的背景が大きいのでそう簡単にはいかない。これを見ると、ボーダーラインや神経症はやはり機能的なものが大きいのだと思う。

精神科女医と女性の臨床心理士とを比べると、どうみても女医さんの方がはるかに普通に近づく。若い頃、これが不思議でたまらなかった。一見、逆のように見えるからだ。

ところで、女性の臨床心理士は美人の人が多い。これはほとんど例外がない。容姿が良いと言うだけでなく化粧や服装などもとても綺麗にしている。たまに美人と言うには微妙な人もいるが、そういう人も個性的な顔立ちで、ある種の魅力があることが多い。

この謎であるが、結局は「美人であること」で本人が守られていることが大きいような気がしている。いろいろ心理療法に沿いアドバイスをする際、厳しい場面では、もしそうでなかったら、患者さんに「じゃああんたは何なんだ?」と突っ込まれかねないからだ。そういうリスクを減じているのは大きい。職業選択の際にそんなことなど意識していなかったであろうが、結果的に隙を作らない結果になっているのが非常に面白いと思う。

精神科の女医さんも、綺麗な人は綺麗だが、決してそうはいえない人たちもいる。彼女たちは、一般人口の分布とあまり変わらないと感じる。

良くなる、良くならないということに戻るが、精神を扱っている点で同じように見えても、精神科女医と臨床心理士(女性)では仕事内容にあまりにも大きな違いがあるのだろう。そう考えないと、この説明がつかない。

きっと精神科日常診療の厚みみたいなものが違うのかもしれない。ボーダーラインとしか言えないような女医さんが入局後3年くらい経ち、けっこう良くなっているのはとても不思議だ。そのような水準までは、そのスピードでは簡単には良くならない疾患だから。

その理由は僕が診ていたからではないか?と思う人がいるかもしれない。元々治療者・患者関係ではないし、実際、僕は薬すら処方していない。時々彼女の話を聞いてやって、「それはこうしたら良いかも?」くらいしか言っていないのである。あれはどうみても自然に良くなったとしか言いようがなかった。たいして変われない女医さんがいたとしたら、あまりにも重いか、あるいは仕事が足りないのだろう。そんな風に思っている。

このブログを若い女医さんで見ている人もいるかもしれない。そういう人に嫌われるよなぁと思いつつ、このエントリを書いている。僕は日常生活では、たぶん女医さんには全然嫌われていないと思うよ。なぜかというと八方美人タイプで、そんな風に思われないように振舞っているから。もちろん毒舌もない。匿名でなかったらなら、このようなブログは到底書けない。僕の性格的にも。

精神科医の女医さんたちの良いところについて。一般には女医さんはその釣り合いから考えて誰でもとは結婚できないので、ぼんやりしていると行き遅れ、運が悪いと一生独身になってしまう。優秀な女性が一生独身で子供を作らないのは日本にとっても損失が大きい。

ところが、精神科医の女医さんは一般科の女医さんたちとは、基本的に対象選択が異なっているように見える。彼女たちは、往々にして医者以外の一般人と結婚している。それは公務員だとか一般企業の会社員などだ。稀に警察官だとか、ちょっとこれはという職種の人もいる。

一般に女医さんは、結婚式で友人などを呼ぶときに相手が自分に見合っているかとか、友人の夫たちの職業をけっこう気にするのである。これは女性っぽい自己顕示性や打算を反映している。

これは僕の考えなのだが、彼女たちは精神科診療で、本当に親も子もないとか夫婦でも超絶とまでいえる悲惨な状況をたくさん診て来ているので、「いったい何が本当の幸せなのか?」考えるのだろう。きっと、そう真剣には思わなくても、そういう流れになるような気がしている。

そのような結婚をする精神科女医は、一般的な女性心理を乗り越えているようにすら見える。

うちの医局の女医さんで、同じ精神科医あるいは他科のドクターと結婚しているケースでは、容姿どうこうより本当に優しい人を選んでいるような気がする。結局、精神科女医さんの場合、一生独身か、結婚してわりあい幸せにしている人のどちらかが多い。離婚はたぶん他科に比べ少ないと思う。

精神科女医のうち離婚例は、学生時代から付き合っていた人と結婚したケースで時々みられる。その理由は、相手を精神科医の目で選んでいないことが大きい。自分が変わる前に選ぶか、変わってから選ぶかでは相手のタイプがかなり違うのかもしれない。あるいは、夫以外の問題で離婚している。それは相手の姑を含む家族である。一般に、インテリ女性はそういうしがらみから逃れて自由に生きたいと思っている人が多いことがある。

本当に精神科女医はたいしたものだと思うよ。

今日のまとめ
精神科医は、自分を治療できて、なおかつ給料もくれる。しかも他の患者さんにも役立ち感謝もされる。これほど素晴らしい職業はない。



(ボツ原稿から。このエントリは後で削除するかもしれません)