空しき紹介状 | kyupinの日記 気が向けば更新

空しき紹介状

これは数年前のことだ。当時、僕が毎週行っている総合病院では診てほしい患者さんの紹介状は、行った当日に渡されることが多かった。それから初診になるのである。名前だけは前日か、あるいは当日に電話かファックスで連絡があった。

ある日、行ってみると、その紹介状はもういいんだという。その紹介状の患者さんは僕に初診する日の朝、病棟から飛び降り自殺のため既に亡くなっていたのである。

その日は複雑な気分だった。というのは、タッチの差で自殺されているわけで、もう少し前に診ていたら、そうならなかったかもしれないし、また僕が診ていたとしても同じような結果になったかもしれない。むしろ診ていても、同じ結果になった可能性の方が高いような気さえした。

というのは、抗うつ剤は飲んですぐその日に効くわけではないから。即効性がないことが大きい。まさか、希死念慮があるからと言って、内科病棟でECTをすることはもちろんできないというのもある。

精神科病院では、そういう希死念慮が強い患者さんも観察しやすい構造になっていて、少なくとも、一般の内科・外科よりは目が届くし、看護師もあらかじめそういう患者さんには観察を密にするのでリスクがかなり低くなっている。そもそも精神科・閉鎖病棟では、高層ではベランダから飛び降りられない構造になっていることが多い。

しかし総合病院では、簡単に飛び降りられるようになっているので、実際、そのような事故が頻繁に起っている。あまりにも事故が多いと、他の患者さんへの影響もあるし、高層から飛び降りた時に網に引っかかるとか、自殺予防の工夫がなされている病院もある。僕が大学病院に在籍していた時は、脳外科と神経内科の病棟でそういう事故が時々起っていた。もう治らない脳腫瘍や神経疾患の場合、先を悲観する患者さんが多かったためである。

精神科病棟の場合、自殺はしにくい構造とはいえ絶対ではない。予測できない難しい方法をとった自殺の場合、裁判になっても病院の責任を問われない場合すらある。縊首自殺でさえ、50cmくらいの高さでも可能なことがあるから。

それでもなお、一般病院での自殺と精神病院での自殺は、予見できるかどうかとか専門医が診ていたかどうかという点で相違があるので、精神科病院の道義的責任はいくらかあるのだろうと思われる。裁判の結果はともかく。

たぶん、僕がその日診ることができなかった患者さんは、家族も、もう仕方がないという感じだったのだろう。自殺の場合、特に一般病院で亡くなる時は、本人が決めたことだから仕方がないと思う傾向が家族にはある。

僕が診始めてから自殺で亡くなる確率は現在でもある。一昨年くらいに、ある外科的合併症のあるうつ病の男性患者さんをその内科病棟で診ていた。ある日行ってみると、その週、病状が悪くて「死ぬ」と言い窓から飛び降りようとしていたのだという。その患者さんは、3環系抗うつ剤、SSRI、SNRIなど紆余曲折の後、やっとパキシルで落ち着いた。

この患者さんの場合、旧来の抗うつ剤では尿閉などの耐えられない副作用が出てうまくいかなかったが、唯一、パキシルだけは良かった。パキシルも最初は不安感などが出て不調だったが、次第に落ち着いていったのである。不穏状態を抑えるために、一時セロクエルなども使用したがそれすら副作用が出て難渋した記憶がある。今も引き続き外来治療を行っているが、寛解状態にありパキシルも20mgだけだ。

こういうのを見てもいかに自殺が良くないかがわかるし、人生には偶然の要素がけっこうあることがわかる。

参考
なぜ自殺が良くないのか
うつ病と自殺
パキシル
往診
老年期のうつ病は
9勝1敗
開放病棟しかない病院