面会時間終了時の変化 (’83,7④) | 昭和に生まれた心臓病の子の母の日記

昭和に生まれた心臓病の子の母の日記

44年前に先天性心疾患(肺動脈閉鎖を伴うファロー四徴症)を持って生まれた子(きゅう)を育てたきゅうの母が記した闘病育児日記を公開。
どこかの、誰かのためになるなれば幸いです。

※これは1980年に先天性心疾患で生まれた女の子の母親が当時付けていた日記です。
時を経て、どこかの誰かの支えになると幸いです。

 

 

 

7月11日

風呂に入る。

シャワーだけ。

※今では感染等の理由からシャワー浴がメジャーですが、平成5年頃まで病棟の湯船に漬かることは普通のことでした。

一歩前進である。

昼間Iさん(母の同級生で、病院の看護師)がきゅうの様子を見にきたとか。

 

 

まだまだ声が出ない。

息切れが少し

これは仕方なのないことなのだろうか

 

 

あれほど家に帰りたがっていたのだが、

自分が手術をして傷口がきれいにならないと家にには帰れないとわかってからは

何も言わなくなった。

 

それだけではなく、6時30分の(面会時間終了の)放送が鳴ると

アッ‼帰って下さいと言ってる。

お母さん帰っていいよ。又明日きてネ バイバイ 

と言う。

 

 

心の奥底では帰りたいと

言う裏返しではないかと思う。

 

 

 

実はそんな安直な心理ではなかった。

入院すると親を含め、面会者は15時ならないと基本病棟には入れず、

18時半の放送が鳴ると、一斉に面会者は帰る。

度重なる入院生活で、このたった3時間半の面会は

幼い私の『家族と外の世界』の認識を完全に歪めていた。

その話は、いずれまたの機会に。