前回からのブログから謎なこと | 昭和に生まれた心臓病の子の母の日記

昭和に生まれた心臓病の子の母の日記

44年前に先天性心疾患(肺動脈閉鎖を伴うファロー四徴症)を持って生まれた子(きゅう)を育てたきゅうの母が記した闘病育児日記を公開。
どこかの、誰かのためになるなれば幸いです。

いつもなら

 

『※これは1980年に先天性心疾患で生まれた女の子の母親が当時付けていた日記です。
時を経て、どこかの誰かの支えになると幸いです。』

 

という注釈を入れ、下に母が記した私の幼い時の闘病日記が続くのですが、

その記された日記の内、1983年4月18日以降日付とページが飛び

急に6月14日から書かれて7月31日で83年のノートを終了している。

次に書かれているのは別のノートで83年12月28日からである。

4月19日から6月13日は別のノートに書いたのか、

また8月から12月27日までの間も別のノートに書いたのか、探しても出てこず。

 

 

現在、母は認知症です

 

 

母の症状は急速に進んでおり、

ブロクの許可を貰った2年前とは比べ、会話が成立しないことが増えてきました。

きっと日記が無い部分を聞いても、5秒後には忘れ違うことを話し出すでしょう。

 

 

日記がない部分に、弟の誕生や、三回目の手術の経緯、入園可能な幼稚園の捜索、幼稚園とのやり取りなど

重大な事が記されていたと思うのですが、どこへ行ったのでしょう。

 

 

私が大きくなって日記は書かなくなりましたが、

メモ書きは必ずする母でした。

そのメモすらない。

 

 

4月18日で止まって、急に6月14日から2か月間書かれたに日記も、

辻褄があってない所があって、83年のものか少し疑問に感じるところがあって

いったい何があったやら。

 

 

 

本人に聞いても、きっとまともな回答は得れないので

ひとまず、このままブログを書き移し、

次回の受診の時、書かれている内容が正しいのか

カルテに記載されてる日付と照らし合わせて貰おうと思います。

私のカルテは処分されることはなく、初診からすべて残ってます。

PCで日付入れたらすぐに事柄が出てくる電子カルテ化を勧めたM先生のおかげです。

 

 

 

では、明日からまた過去の闘病日記を再開します。

興味のある方は読んでいって下さい。

 

 

 

きゅう