二回目の手術直後(’83,4②) | 昭和に生まれた心臓病の子の母の日記

昭和に生まれた心臓病の子の母の日記

44年前に先天性心疾患(肺動脈閉鎖を伴うファロー四徴症)を持って生まれた子(きゅう)を育てたきゅうの母が記した闘病育児日記を公開。
どこかの、誰かのためになるなれば幸いです。

※これは1980年に先天性心疾患で生まれた女の子の母親が当時付けていた日記です。
時を経て、どこかの誰かの支えになると幸いです。


4月13日

ICUへ朝10時30分。

5分間の面会。

割りに元気で顔色も良い。

でも私の顔の区別がつかないらしい。

何の反応もなし。

プリンとジュースを差し入れて帰る。

 

 

 

4月14日

ICUから(小児病棟重症部屋に)上がる。

すわってオヤっと牛乳を飲んでいる。

私の顔を見ると「オカハン オカハン」と何やら話かける。

手術前の元気のよさでビックリ!!

 

 

 

4月15日

靴をはいて歩くと言うのでしばらくの間靴をかくす。

butとても元気で顔色も良くご飯も良く もどす事がないので安心。

よく話す。

 

 

 

4月18日

靴を出して歩かせる。

とっても元気が良い。

あまり元気が良いのであとが恐い!!

 

 

 

(記載が長い間なく)

 

 

5月連休外泊でそのまま何もなければ自動的に退院に!!

順調順調で何もなし

今までのことが嘘みたいに順調そのものだ

よく歩くようになったし、言葉の発達がすごい!!

 

 

 

ICUでは今でこそそれほど頑丈な装備で面会しないけど、

当時はキャップ、エプロン、マスクしていたから

誰か判別つかないのは当然だよ。

酸素テントの中では声も聞き取りにくい。

声での判別も厳しいのだから。