長女、事故、緊急搬送(’82.7②) | 昭和に生まれた心臓病の子の母の日記

昭和に生まれた心臓病の子の母の日記

44年前に先天性心疾患(肺動脈閉鎖を伴うファロー四徴症)を持って生まれた子(きゅう)を育てたきゅうの母が記した闘病育児日記を公開。
どこかの、誰かのためになるなれば幸いです。

※これは1980年に先天性心疾患で生まれた女の子の母親が当時付けていた日記です。
時を経て、どこかの誰かの支えになると幸いです。

 

 

 

 

※きゅうの姉Nが交通事故で運ばれた時の日記。きゅうの姉にもブログに載せる許可は貰っています。

 

7月10日

PM3:35 TEL有り。

Nが自転車でころんで大ケガをし家の前でおかあさん おかあさんと泣いているとの事。

救急車も呼んでいるとの事。

保険証とサイフをもってきゅうをベビーカーに乗せて大急ぎで現場へ行く。

何としたことか。パックリと穴をあけて血のすごいこと。

服は血でよごれている。

一体どんなふうに転んだのであろうか。

Nの意識はハッキリしているが恐怖とショックで当時の記憶。

10日の記憶が全くしない。

済生会病院へ運ばれて縫合の手術をする。

四時頃に救急室に入り、5時頃にやっと終わる。

レントゲンも骨に異常がないとの事。

担任の先生もかけつけてくれる。

主人(夫)もすぐかけつける。

本人のショックが大きすぎて1日の記憶がなく訳のわからない事ばかり言う。

相当ショックが大きかったのだろう。

自分1人でケガをし、そばに私がいなかったので、本当に不安で恐かったのであろう。

手術した事も担任の先生がきてくれたことも全く覚えてない。

だから事故当時、車に当たったのか自分一人でしたのか、

どういう状態であったのか全く分からない。

 

皆がかけつけてくれてからは少し気分がおちつく。

 

 

 

 

 

この日のでき事は、きゅう家で度々話題に出る大きな出来事でした。

習い事に一人で自転車に乗って向かっていた姉。

 

子どもの泣き声が家の前でするので、玄関を出てみると女の子が「おかあさん おかあさん」と泣いていて、服が血で汚れていていた。

家の電話番号や小学校の名前を答えてくれたので救急車を呼んだあと、家に電話を下さったとのこと。

 

道路の端っこを走りなさいよ。という母のいいつけを守り走行。

車などの接触の痕跡は見られず、状況証拠で端っこを走り過ぎて、溝に落ち、溝のヘリに額をぶつけたらしい。

かけつけた母が見たのは、切れた額から骨が見え、服が血に染まっていたとのこと。

 

お母さんが一緒に行くべきだった。

まだきゅうが小さくて、退院して日が浅かったから一緒に行くのをためらったのが間違いだった。

当時を振り返ってよく言っていた母の後悔の言葉。

 

 

しばらく姉の事故についての記載が続きます。