「不安」のタネを撒いているのは自分 | きゅっきゅ8のえんがわで

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人生は演劇だ。社会劇場、世間の目を観客に、何者かを演じて生きる。無限大の可能性を信じて、制服に征服されぬよう、着たい服をまとい息をする。こころの店、きゅっきゅ8(きゅっきゅや)のえんがわで、うたたねしながら感じる音や光。
ゆき過ぎる日常をたねに、うたう。




「もし、〇〇が起きたらどうしよう」
「これがうまくいかなかったらお終いだ」
「今日の服装、おかしかったかな」

「不安」のタネは自分が蒔いている。
始めは小さくて摘み取ることができたのに、時が経つにつれて、両手で引っ張っても抜けなくなってしまう。

「もし、〇〇が起きたらどうしよう」
と、先々の不安でいっぱいになり、何もできなくなってしまったり…

「これがうまくいかなかったらお終いだ」
と、念入りに準備をすればするほど失敗することへの不安が極端に大きくなったり…

「今日の服装、おかしかったかな」
と、周りの目を気にしすぎて、
出かけたものの引き返して、
その後どんなに着替えても、不安で外に出られなくなってしまったり…

不安は、周りの目を意識した時に生まれる。
そして、そのタネは自分が蒔いている。

多種多様な不安が少しずつ芽を出して、
心の庭のあちらこちらに居座る。
手入れをして、育つ前に摘み取れれば良いのだが
なかなかに根深く、摘むのを諦めてしまうこともあるだろう。

そのうちに、「不安」は、どんどん育ち、
芽がどんな形をしていたか分からなくなるまで大きな茎になり、心の庭は、キャパオーバーに。

こうなると、もう、自分一人では対処しきれなくなってくる。
ここで必要なのは、助けてもらうこと。
「大きなカブ」のように、うんとこしょ、どっこいしょ、を、一緒にやってくれる存在を探す。

うんとこしょ、どっこいしょ
それでも茎は抜けません

うんとこしょ、どっこいしょ
まだまだ茎は抜けません

うんとこしょ、どっこいしょ
ようやく茎は抜けました

もし、大事な人の心の庭が
根深い「不安」の茎で覆われていたら
迷わず一緒に
うんとこしょ、どっこいしょ
に加わる自分でありたい。