意図の純粋性 | ユリのふるさと創り

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ここ最近、どうしたら一族の土地がパパっと入手出来て暮らせるかな。

 

つまり、どうしたら1日も早く一族の土地での暮らしができるのかなと考えていましたが。

 

 

答えはまだ見つかっていません。

 

 

そして今日、3巻の音読をしていたら、その”答え”に当たるものが載っていました。

 

 

3巻P72「光の勢力」

 

そこに、

「こたえが見つけられないということは、あなたがたの意図が十分に純粋ではないからです。」

 

と、書かれていて。

 

 

ああ、きっと私も、意図が十分に純粋ではないから

「一族の土地に早く暮らす方法」が見つからないんだなと思いました。

 

 

 

改めて、まずは「意図の純粋性」という言葉について調べました。

 

意図とは

こうしようと考えていること。思惑(おもわく)。また、めざすこと。

 

純粋性とは…について調べると、自己一致と出てきます。

自己一致とは、「純粋性」とも呼ばれ、「自分自身のありのままの感情を体験し、受容していること」といえます。

 

「純粋性」とは、心理学用語でよく使われるのでしょうか。

 

 

単体で、「純粋」でも調べます。

まじりけがないこと。「―の水」。邪念が全くないこと。「―な若者」。ひたすら行うさま。

 

 

なんだか、前にも書いた気がしましたが…、またなんとなく理解しました。

 

 

どうしたものかなーと思います。

 

 

 

手紙を書くにしても、文面が思い浮かばないんじゃないかと…

 

…と、そういえばまだ文書いてなかったです。

 

 

書きもしないで、思い浮かばないんじゃ…と心配してもしょうがないですね。

 

 

自分の意図と純粋性を改めて整理しつつ、

とりあえず手紙は書いてみます。