5,500人
少なくない人数です。
都内に向かってこれだけの人が移動したら
どれくらいのコストが発生するでしょうか。
今年のゴールデンウィークの「こどもの日」に
あることに反対するという集会が都心で開催されました。
そこに集まった人たちの人数が
この5,500という数字です。
この集会はホームページが存在して
当日には紙で作った「こいのぼり」を持参して
心を一つにしようみたいな声掛けがなされていました。
大切な資源である紙を使って
電力とインクを使いプリンターでプリントアウトして
移動は電車で往復。
デモ行進などをしたのだとすれば
のどの渇くことでしょう。
おなかもすくこともあるでしょう。
このイベントに参加するのに集まるのに
ひとりひとりがどれくらいのお金と時間とエネルギーを費やしたのでしょうか。
ゴールデンウィークの気分転換という位置づけにして
一見、ソーシャルワークのような活動をしてみようとか
日頃の憂さ晴らしに、反体制運動みたいなお祭りに参加してみようとか
もちろん本来の目的である「反対すること」の趣旨を理解し、賛同し、何か行動を起こしたいという気持ちを具体化した人もいることでしょう。
連休中に暇を持て余しているよりも何かをしたという証(あかし)にもなったのかもしれませんし
多くの人と接して、お祭りの興奮状態を体感できたり
いろいろな話を聞いて、思いを新たにしたり、思いを強くしたり
自己満足も含めて
参加したすべての人が
なんらかの落としどころ、着地点を見出したことでしょう。
このパワーとコストの使い方に
なんとなく違和感を持ちます。
その違和感の根っこは
「それで?」って
とこなんです。
このことについては、この場所でも何度も書いてきました。
どんなケースやシチュエーションであっても
ぶれることなく伝えてきました。
「反対、反対」っていう意思表示は大いに結構なことなのです。
それについて黙れとは言っていません。
しかし
反対するのであれば
代替案を出す。
ある大都市の首長さんも発言されていますが
「代案も出さずに言っている限り
センチメントの域を出ない。」
これ、本質でしょう。
「だって、それ停止したって足りるんじゃないの?」
「他にできることあるはずだからそれをまず検討しろ。」
「何か隠してるんだろ、もうごまかされないぞ。」
こういうのは代案とは言いません。
自然エネルギーには限りがあります。
地球環境の維持、改善というワールドワイドなテーマも抱えています。
もっと身近で
生命維持装置が突然止まってしまったら生きることができなくなってしまう人もいます。
これからやってくる猛暑の夏に
クーラーの効いた部屋でソーシャルゲームのガチャガチャもどきに何万円も使うオトナコドモの隣で
我慢強いお年寄りが命を削りながらエアコンのコンセントを抜きます。
被災地に復興にもお金もパワーもまだまだ必要です。
5,500人が
紙で作ったこいのぼりを持って
集まってきたそうです。
こういうパワーとコストの使い方って
こういうことに使ってしまう人って
日頃、意識して節約などをしている人なのかなぁと思うわけです。
落ち着いてきているようですが
受けた衝撃のあまりの大きさに
多くに人がパニックモードに入ったままです。
不安感の持っていき場所をさがすことと
冷静な判断を下すことは同時にできるはずがないです。
これこそが
「センチメントの域」なのです。
感情、情緒だけでアクションを起こすことは
逆にとても危険なことでしょう。
代案という
目標を明確に掲げて
白黒ハッキリさせるなどという短絡的な考え方ではなくて
過渡期を迎えるにあたって
どのようにしていくのかを
話すことに
パワーとお金を使いませんか。
5,500人分のコストとパワーが被災地に向けられたとしたらと考えてしまうのは論旨のすり替えになってしまうかもしれませんが、ずれているとも言えないでしょう。
暑い夏はもうすぐそこまで来ているし
凍える冬も必ずやってくるのです。
This is HASHIMOTO☆QUALITY