丸ノ内線を銀座駅で降りる。
池袋ゆきの進行方向一番前の車両。
そういえば、「先頭車両は危ないから、なるべく乗らない方がいいよ。」と大きな列車事故のときに忠告されたことをふっと思い出す。
乗り継ぎ位置優先で、やさしいその言葉を忘れていた。
「そんなこと気にしていたらこの現代社会生きていけないよ。」
そんな意見も間違ってはいない。
でも学習しなければいけないこと、肝に銘じなければいけないこと
ぼくたちは、身をもって直接的に、周囲で起こる間接的な出来事で経験したことを
簡単に記憶の隅に追いやってしまいがちだったりする。
よく考えてみれば、二両目に乗ろうが、三両目に乗ろうが、降りてからの距離と時間はたいしたことがない。
もちろんお客様や同行者をアテンドしているときはほとんど無意識に乗り継ぎ場所最短最速を基本としていて移動におけるストレス軽減をはかっている。が、安全面を考えたらこれすら微妙かもしれない。
乗り継ぎすら、きれいにというか、エレガントに演出したかったりする。全てのことには意味があるということにこだわっているのだから。
そんなことを考えながら短いエスカレーターを昇り、改札口を出る。
30mくらいの地下通路を歩いてもう一度階段を昇る。
地上は、もうすぐだ。
今朝も階段をお掃除してくれているおじさんがいる。
すっかり寒くなった朝
白いドレッドヘアーみたいなモップをドラム缶に入れた水で濡らして
丁寧に一段ずつ、端からは端まで丹念に。
今年70歳になる母のことを思い出す。
8年前に連れ合いである父を亡くしてからその後の7年間田舎で一人暮らしをしていたときのこと。
ぼくは東京で仕事をし、家庭を持ち、母をこちらに迎え入れられずにいた。
実家は自営業だったが、父の死でその幕を閉じた。
働くことの大好きな母はその7年間、田舎のシルバー人材派遣に登録し、その町で一番大きな市民病院でお掃除のおばさんをしていた。
ちなみにいまは、東京でいっしょに暮らしている。それでも働きたい意欲が強くて、杉並区のシルバー人材派遣に登録し、朝早くから緑のおばさんをしている。近くの小学生のために。
生活費を稼いで入れてもらう必要がないので、体調と相談しながらとたまに話しをするのだが
仕事を辞めることイコール自らのアイデンティティー否定になるのが嫌なんだと思う。
そんなイメージがオーバーラップしてきたりするので
「ごくろうさまです。」って言葉が口をついて出る。
自宅の掃除をする。
フローリングの床を拭くのだけれど、よく妻に注意を受ける。ぼくも娘も。
「ぞうきんの同じ面でずっと拭いていたら、汚れを塗りつけることになるでしょう。だから頻繁に拭く面を変えて、そして頻繁に水で濯いで。」
掃除をいっしょにやると
普段見えなかった部分が垣間見えたりするのでおもしろい。
ときには、「ああ、やっぱりね。」って確認させられたりもする。
例えば年末のオフィスの大掃除みたいなとき。
「18時からスタートね、もちろんお客様最優先だから時間になっても対応はして。」と話しをする。
やがて指定の時間がくる。
みんな掃除に取りかかる。当然ぼくもいっしょにやる。
見るからに適当に済まそうとしていたり、気がついていない場合は、教育的指導が容赦なく飛ぶ。
さて、ここでだ。
掃除に参加していないスタッフがいる。
理由は明確ではないが、お客様対応をしているのだろう。悪くはない。
でも
このタイムマネジメントができないのがその人の仕事のやりかたそのものだったりするケースが、本当に多い。
基本的に掃除とかがキライだったりということもあるかもしれないが、その言い訳はどこのコミュニティーにいっても通用しない。
あと、掃除をしない経営層。
「経営側は、ほかにやることがあるのだから。」ごもっともだと思う。
妻が言う。
「あなたたちは、掃除をしないからわからないんでしょ。」
そういうことだと思う。
現場を知らなければ、知ろうとしなければ
何もわからない。
地上に出た。
今朝は一段と冷え込んでいる。
コートの襟を立てて
歩き出す。