エキセントリックに「がんばらなくてもいいよ。」 | エキセントリックソリューションズ(株)          代表取締役社長のブログ

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人生には


人生という自分の出来事を過ごしていく中で


ふんばりどころというか


ことさら真剣に


物事に向き合わなければならないときがやってくる。


それは、望むとか望まないとかのはるか頭上を飛び越えて


突然、必然目の前にやってくる。


そんなときにひと言



「がんばれ。」



ぼくは、この「がんばれ。」という言葉が好きではない。


「死にものぐるい」「必死」という言葉も同様で使わない。




最近、娘が聞いている曲の一節がアンテナに引っかかる。


「悲しみや悩み事は

 少なからず 誰にでも

 あるみたい
 


 浮かない顔 またため息

 寂しさと孤独

 抱えては生きてる
 


 自分だけじゃないさと

 割り切ればそれまでだけど

 「頑張れ」のその一言が

 また君に無理をさせてはいないかい?」
(関ジャニ∞(エイト):曲名 ワッハッハー インペリアルレコードより抜粋引用)



「がんばること」と「無理をする」ということは全くイコールではないし、「がんばること」の延長線上に「無理をする」ことがあっては本来の意とするものでは無くなると思う。



本当に誠心誠意相手を思いやっての励ましの言葉の場合もある


傍観者の社交辞令の場合もある。


とりあえずの間つなぎのボキャブラリー不足を補う簡単で言いやすいフレーズの場合もあるだろう。




そもそも「がんばれ」の語源は何なんだろう。


 「頑張る(がんばる)

 困難に耐え、努力してやり通すこと


 頑張るの語源は二通りの説がある

 ひとつは「眼張る(がんはる)」が転じて「頑張る」になったとする説「目をつける」や「見張る」といった意味から「一定の場所から動かない」という意味に転じ、さらに転じて現在の意味になったとする説。

 もうひとつは、自分の考えを押し通す意味の「我を張る(がをはる)」が転じ、「頑張る」になったとする説。」

 (言語由来辞典さんhttp://gogen-allguide.com/ より引用)



なにげない「がんばれ。」のそのひと言がどのような効果をもたらすのだろう。


みんなで拳を振り上げて


「がんばるぞ!」「おー!」なんて盛り上げ方も方法としてはあるが


「いいか、とにかくがんばるんだ。」こんな風にワケのわからない、精神論にもなっていないチープな使い方をしている世の中の現実に嫌気がさしているというのがホンネかもしれない。




「がんばってる?」


「お前ならがんばれるはずだ。」


「がんばりが評価されない。」


「がんばれと声をかけられないので、自分は期待されていないんじゃないか。」


「いっしょうけんめいがんばっているのにこれ以上何をしろというのか。」




そして、その「がんばれ。」のひと言が


どれ程のプレッシャーを産み


ストレスとして重く重くのしかかるのか。




会社のスタッフにも「がんばれ。」と言ったことはない。


そのかわり


「各自が、お給料の3倍稼ごうね。」と言っている。


だから


がんばらなくていい。




明確な目標が数値としてあるのだから


ただただ、具体的にそれぞれが、それぞれの役割(それすら一人三役といっているけど)をプロフェッショナルにこなすだけ。


それが有機的につながってチームになっている。




積極的に


「がんばらなくていいよ。」と言ってあげよう。


その方が「がんばれ。」より百万倍


その人のためになる。




泳いでいて、息継ぎをしなければいつか沈んでいく。


マラソンの給水所、砂漠のオアシス




やる気をそいでしまえと言っているのではない。


モチベーションを下げろと言っているのではない。




目の前にいる人に合わせて


その人のことをちゃんと見て


様々な状況をふまえて


アドバイスをしたい。



ときには、ハバネロ級の辛口かもしれないけど。



そうじゃないと


発言した側の


自己満足に成り下がってしまう。




思い切って


心を込めて





 「がんばらなくていいよ。」