エキセントリックに受け入れるということ | エキセントリックソリューションズ(株)          代表取締役社長のブログ

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何かを伝えなければならない場面がある。


それが、良い知らせだったり、そうじゃない内容だったりする。


生きていく中で、完全に利害関係の無い関係性だったら、


万が一、そんな状況が存在しうるのなら


いろいろな面でパワーをロスすることも少なくて済むのだろうが


生きていく上で、


自分以外の誰かとコミュニケーションを交わすというは


生物学上、すべてがストレスとなると聞いたことがある。


相手のために良かれと思ったことが実は


自己満足が姿を変えたものだったり。


もちろん、そんな風に理屈をこねくりかえして


何もしない理由にしていたのでは、


本末転倒というものだ。




自分が赤ちゃんだった頃のことを思い出すのはなかなか難しい


でも今度は親になって


自らの分身を育てる立場になって


薄ぼんやりと記憶の底から何かが浮かび上がってくる


忘れていたはずの、覚えていなかったはずの


親心という


無償の愛にも近い感覚。




「生まれてきてくれてありがとう。」




この子のしあわせのためにできるだけのことをしたい。


この時点では、


「そのかわりに老後の自分のことを頼むよ。」などとは思いもしない。(思っている人もいるかもしれないが)


相手を受け入れ


自分の立ち位置を受け入れる。




そして、子どもが家族の中で、主役になる。


これを受け入れられずに


いつまでも自分が主役で居続けたい人が


例えば幼児虐待や親としての責任の放棄などという行為を選択してしまったりする。


だからといって


はじめからすべてを兼ね備えている人などいない。




受け入れるということは



覚悟すること




だと思う。




会社でも、学校でも、その他のそれぞれのコミュニティーでも



受け入れられ



受け入れている。



覚悟しあっているのです。



さあ、覚悟の強さはどうでしょうか?



まず、自分の。



そこからです。