3月18日 支援活動現地入メンバー感想 | 染物日記

染物日記

半纏、浴衣、てぬぐい、旗、風呂敷など。
染めから縫製まで自社で行っておりますので
オリジナル品の製作の際はお気軽にお問合せ下さい。

以下、3月18日に現地入した一関青年団体交流連絡協議会有志メンバーの感想です。

陸前高田に向かい、峠を越えた瞬間、津波の爪痕が。いきなり心が折れる光景。案内が居たから対策本部の場所がわかったが、個人で行ってもわからないはず。対策本部は物資の置き場状態。ガソリンがないので物資を遅れないのが現状。対策本部に勝部市長一行を発見し、現地担当者を紹介してもらい、担当者と搬送。私たちのトラックにはガソリンが充分あったことと、仕分けずみだったため、直接避難所へ搬送。今までの道路などない。民家だったところに新しい道路ができ、道と呼べるところは迷路の様だった。パンクせずにトラブルもなく運べたのが奇跡。トラック3台は別々に別れ、それぞれの避難所へ。避難所によって欲しいものが違う。人数も違えば、年齢層も違う。大きい避難所はいいが、小さい避難所になればなるほど、物資を置くスペースがないので、とにかく今欲しいものが優先。将来的に使うかもしれないものを置くような余裕なし。だからこそ、現地で救援活動をしていてどこの避難所にどういう人がいるのかわかる人が、対策本部から物資をニーズに合わせて配送することが求められるのではないだろうか。でも、それをするためのガソリンがない。そこに乗り込んだ私たちは、本当に重宝がられた。行った避難所は全部で10件。道路で座り込んでいる方にも手渡した。その人、その場所で欲しいものをトラックの中から引っ張り出す。サイレンがなり、みんなで黙祷。どんな言葉も当てはまらない思いが込み上げる。物資を受けとる被災者は無表情。手を握り、声がけすると目から涙が。感動と感謝といろんな思いで、表情にも出せず、ありがとうの言葉も発することもできず、放心状態になるのだと感じた。とにかく、涙を流しながら感謝された。屋根の上に車が突き刺さっている家を通りすぎ、案内されながら次の避難所へ。いく先々で感謝されるが、自分達だけではどうしようもない現実が突き刺さる。消防団には、ゴム手袋と長靴、着替えのパンツ、下着を。子供のいるところにはサイズのあった服とオムツを。防寒着のないところに、スキーウェア、ダウンコートを。つぎに同じ場所を訪れたときには、絶対に状況は変わっている。つぎに本当に欲しいものを欲しいところに的確に運べるかどうかの保証はない。万が一事故でも起こせば、かえって迷惑になる。帰ってきたメンバーと話し合い、運びきれなかった物資は社会福祉協議会を通して、陸前高田災害対策本部へ入れることに。とにかく、現地にガソリンを。対策本部で細やかな対応ができる状況さえできればと切に願う。皆さんからの物資はすべて喜ばれました。しかし、ニーズにあった的確な供給があればこそ。必要ないものを持っていっても、場所ふさぎ。皆さんの誠意もゴミ同然。欲しいものを欲しい場所に持っていってこそなのだと、改めて感じた。被災地では命をつなぐことで、精一杯。的確な支援が届かない小さな避難所や個人宅避難所。食料を求めて被災者が増えてしまった食料不足の避難所。今回の支援活動がそんな場所にいる人たちの命をつなぐことに役に少しでも役立ってくれていればと願う。被災地からの感謝の気持ちが応援してくださった多くの方に少しでも伝われば幸いです。
余談ですが、被災者でありながら現場で働く消防団員いわく「こんな状況だから、贅沢なことはいえないが嗜好品が欲しいと思ってしまう。でも、そんなことは、二の次、三の次なんだよ」心境がすごくわかる。まだ水が引かない冷たい瓦礫の中から軍手で遺体を引き上げ、災害直後から必死になって働く。気分転換したくもなるだろう。泥だらけになり、くたくたで避難所に戻り、着替える下着もなく・・・。今日持っていったおにぎりも消防団員は自分達はいいから、あそこに持っていってくれと言う。頭が下がる思いだ。
最後にこれだけは言わせてください。たった一日でこれだけ多くの支援物資と1013個のおにぎりが集まり、たった数時間で沢山の方々が仕分けの手伝いに集い、ほんの数分で2トントラックが3台揃い、ガソリンまで確保できました。みんな本当に凄い。思いやりの輪ってこんなにもパワーがあるんだと思いました。祈ってくれた人、おにぎりを届けてくれた人、トラックを手配できないか電話をかけまくってくれた人。物資を急いで持ってきてくれた人。みんな数秒前まで赤の他人だったのに、この一体感は何なのってくらいの力強さ。本当にありがとうございます。みんなに感謝です。そしてこれからも自分達に何ができるのか考え、支援し続けましょう!