東日本大震災支援活動報告 その1 | 染物日記

染物日記

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以下、hopeful実行委員会 様から頂いた報告書(佐藤恵まとめ)です。
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ご協力頂きました大切な皆様へ

H23年3月18日に皆様の大きな愛で陸前高田市に物資を届けに行くことができました。
心からの感謝をいたします。皆様本当にありがとうござまいす。

私達が歩かせて頂いた場所(ほんの一部です)や、そのときに状況(3分間ほどの会話の中ですのでご了承下さい)をご報告させて頂きます。

3月12日~15日までの連日、救援物資を現地に運んでいらした奥州市在住の菅原様から現地情報を頂き、至急必要な物資がある、孤立している場所にはガソリンが無い理由で物資が届いていない現実を知りました。対策本部に届いても孤立した場所には、またそれから時間がかかるとのことでした。

3月16日(水)私達も余震の最中ではありましたが「hopefulより心を込めて」と題しhopeful委員会で「支援物資について」のやり取りをメールにて行いました。①~⑤までの優先順位をつけ、まずは物資を集めようと決めました。夜に決定。

3月17日(木)奥州市のhopeful実行委員会からhopeful有志と一ノ関市の京屋染物店・蜂谷悠介さんと、らんたん・柳橋信行さんにメールで連絡。
時間を空けずに一関市の若者達から心良いお返事を頂きました。ここから一関、水沢とラインを分け行動開始。(一関の詳細報告は後程致します)一関の動きはとても早く、電話、メール、ツイッター、ブログ、イケメン3人一関ケーブルTV出演、報道関係など、様々手段で呼びかけをして下さいました。愛心幼稚園様のご好意で教室をお借りし、届いた物資の仕分け作業とトラックへの積み込みをして頂けました。(2tトラック 1台分)
水沢区ではCafeunma(子育て支援の店・カフェウンマー)及川麻梨絵さんがカフェをオープンしてくださり、ベビーから小学生、頑張っているママへの必須グッツが続々と集りだしました。

一関の皆さんは夜中まで打ち合わせや現場でのシュミレーションをして下さいました。
電話だけでのやり取りにも関らず、とても丁寧でわかりやすい進め方をして頂けました。トラックへの荷物の積み込み、荷物の優先順位などを何度も検討して頂きました。本当にありがとうございます。
そして、私の心の支えの水沢チーム。hopefulの女子力にとことん感動しました。ありがとうございます。


3月18日(金)
一関では、一夜のうちにトラック3台分の物資が準備されていました。(トラックも確保して下さいました!)
朝の暗いうちから、おにぎり作りをし、一人10個と呼びかけ、お家でおにぎりを作り当日の持参。その数は1000個を軽々と越えていると連絡を頂きました。
8:00  hopefulミーティングと準備を同時進行。
10:00 カフェウンマーさんにて先導車(プリウス)へ積めるだけの荷物を積み込み、一関の京屋染物店様に向かう。
11:10 愛心幼稚園様にて主要メンバーとコミュニケーションミーティング。
      ①菅原さんの現地情報を聞く②役割分担③行動計画④質問⑤物資最終確認
本部・蜂谷 隊長・菅原 副隊長・壱岐 
A車 千葉 福原 佐藤
B車 壱岐 阿部 長崎
C車 那須 小野寺 藤原
P車 菅原 佐藤 

12:00 出発 (①P ②C ③B ④A の順番で列を組む)
      山を越えてから落石あり。18日に落ちた石も多く気をつけながら走行。
      先頭車は狭い道路では対向車に声をかけ道を譲って頂く役をしました。
13:20 矢作地域に入る。津波の爪痕が見え始める。
      12日、13日の状態から比べ、道路整備がかなり進んでいる。
大きな道路が堤防となり右側に見える集落はそのままの景色。
そこを過ぎると道は・・・地図上のものとは全く違う道でした。
北海道警察、大阪警察が交通整理をしています。(場所や住所を聞いてもわかる訳がありません。)
13:44 4台、対策本部到着。B車C車は対策本部に残り、副隊長が対策本部との支援物資輸送の交渉に入る。一関市長勝部氏一行と会え、物資配給指示を頂く。
      B→高田一中 C→高田スポーツドーム へ
14:30 B車C車終了 14:46現地の皆様と一緒に黙祷を捧げる。
      P車A車と合流するため16:00まで対策本部で待つ。

13:44 隊長の案内でP車A車は広田方面に向かう。
13:46 鳴石ヶ浜公民館 物資は足りているから他をお願いとのこと。(水・JA津軽りんごの箱が並んでいました。)
13:50 高寿園(規模の小さい方)足りている。
13:50 高寿園道路向かいの消防団第六部様と、そばの避難場所へ物資を下ろす。  
消防団様が3月18日現在、作業に必要な物 
男性下着類(シャツ・パンツ・靴下など肌に身につけるもの)長靴・厚手ゴム手袋
ディスポ・補足→水のいらないシャンプーがあるとよいと思う。

      米崎町のマツミネへ物資を下ろす。  避難人数60人 他人口300人   
      今朝、冷凍ウインナー1箱 ベーコン1箱 水が届くのみ
      その後、海辺へ移動。漁港は油の臭いがしました。消防車のサイレンあり。
14:40 中沢浜公民館へ物資を下ろす。 避難4人 今朝3日分の食料が届く。
      ここで火事があり、隊長は火事に対応する消防車を誘導。即消火!
15:05 天ケ森会館へ物資を下ろす。  25人(高齢者 男10女15)
      現地男性に案内をして頂き1分先の避難所へ 物資を下ろす。 
避難30人(30家がなくなる)
      この地域は家があっても食事ができず、この避難所に100人が食事にくる。
      赤ちゃんや子供が多く、オムツ、お尻ふき、赤ちゃん衣類、園児、小学生
      中学生、成人女性の衣類をおきました。火は使えるので煮炊きをし、食事をしているとのこと。案内をして下さった男性が帰りの近道を先導して下さいました。堤防のすぐそばを走ります。(A車の皆さんに恐い思いをさせましたね。ごめんなさい。)男性は私達の顔を見ながら涙を浮かべていらっしゃいました。   
15:30 対策本部へ向かう途中、2歳の男の子を背負い歩いて帰ろうとしているご家族へ物資を。(このときにも邪魔にならない場所に車を止めています。)
16:00 対策本部を通過。P車A車は高田一中に到着。
      間もなくB車C車が到着し合流。A車の残りの物資を仕分けしB車C車へ
      積み込み開始。
16:25 積み込み後、最終打ち合わせ。A車は(レンタカー17:00戻り)一関へ。
      P車誘導のもとB車C車は再度物資輸送へ出発。
16:34 高寿園別館到着 津波発生時600人が避難。現在は半分のようだが、人数把握ができていない。食事は常に300人ほど。
水は自衛隊のけん引用水タンクで多いときは1日1t届くようです。残りの物資は全て下ろす。感動して言葉にならないとご婦人方が涙をされていらっしゃいました。この間、P車は消防団に再度物資を届ける。
17:00 任務終了。一関へ。
19:00 一関市 京屋染物店様にて報告と解散ミーティング。
19:30 本当に皆さんありがとうございました。
24時間というタイムリミットがあり、皆様のご協力をいただけたことに心から深く感謝を致します。本当に!本当にありがとうございます。この津波から学ぶことがたくさんあります。皆さんの善意を大切にしたい、しかし実状避難をされていらっしゃる方々のお気持ちは・・。善意が自己満足にならないためにも私達は心直しをしていかなくてはいけません。

一人一人が命がけで行動します。物資提供の皆様も同じ心でおります。
安全に、スムーズに実行する為には、情報を収集し、何度もの打合せが必要です。現場の状況を把握している方のアドバイスを聞く。現地の方とのコミュニケーション。そして、地元にいる私達の信頼と絆が奇跡をおこすのだと思います。

天気、道路情報は前日夜からチェックをする。物資を運ぶ時間は日が沈む前に(できれば15:00~15:30までに)終了する。
避難所にも休む時間をあたえる。天候の悪い日は作業の方々も休めるので、むやみに伺わないこと。電気のない場所では夕方の時間に女性の皆様が食事の支度をするので、大事な時間割りのペースを崩さないように配慮する。(今回の出発時間はhopefulが設定。それにあわせ本部の蜂谷さんが指示。)

今回、佐藤の手落ちで(申し訳ありません)ミーティング内容と異なる事態が発生しています。隊長に同行する人数の違い、車の離れ方(統一しませんでした)カメラ、デジカメ禁止(記録はいらない 誠意をもって物資輸送の任務につく指示無し)など、細かいところは常識の範囲と考えておりました。隊長が皆さんの命を預かるのです。(現場メンバーは隊長、副隊長の指示を仰ぐこと。避難所の代表と話すのはその時点でのリーダーにする。) わかっていても繰り返し確認するよう心がけます。本当に申し訳ありませんでした。

今回の物資は情報を入手し、優先順位をつけ限定有りでご協力を頂きました。
時間が経過すると必要なものが変わります。オンタイムで確認し続けること。
ガソリン、灯油、軽油などについては危険物となるので絶対に素人は運ばないこと。
物資内容は蜂谷さんから報告をお願い致します。
物資=愛を届けて下さいました皆さん、様々な時間を作って下さいました皆様へ感謝致します。
ありがとうございました。
                           簡単なご報告まで。

亡くなられました方々へのご冥福をお祈りすると同時に、被災地の皆様の一刻も早い救出・救援・復興を心よりお祈り申し上げます。          hopeful実行委員会一同  

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以上が、hopeful実行委員会さんからの報告内容です。
なお、一関で活動していた我々の報告については後ほどアップ致します。