テレビで、主婦3人が寿司屋でにぎりやプリンを大食いしていた。3人で寿司にぎりを370皿食べたとのこと。どれだけ多く食べられるかという番組にようだ。

世界中で飢餓に苦しむ子供や、戦争で食事もできない人がたくさんいるのに(世界では1日に4~5万人、年間で1,500万人以上の人が飢餓によって亡くなっているとされています。)、こういう企画は理解に苦しむ。このテレビ局のトップは何を考えているのだろうか。

検事長の定年延長裁判で、大阪地裁判決がでた。信じられない世の中だ。

 

「最近は、法務省まで うそをつく」

先日、喫茶店に行きました。ウエイトレスがやってきて、

「今日のパンツは…、失礼しました。今日のパスタは、クリームソース…」

(本当の話です)

 

京都へ行ってきました。まず二年坂で評判のぜんざいを食べて、京都霊山護国神社(れいざんではなく、りょうぜんと読みます)の坂本龍馬と中岡慎太郎、桂小五郎・幾松のお墓にお参りした。300円を改札口に入れると、仕切りが開いてお墓に入れる仕組み。

 

それから、霊山歴史館へ。

目玉は、「龍馬を切った刀(脇差)」(42.1センチ)。

刀身には、無数の傷があり、黒く錆びている。

説明によると、阪本龍馬を切った刀の持ち主は、京都見廻組の桂早之助で近江屋の2階に突入した一人。天井の低い室内での戦闘を予想し、小太刀の名手が起用された。桂早之助は龍馬暗殺の1ヶ月半後に「鳥羽伏見の戦い」で戦死。同時に近江屋の2階に突入した見廻組の今井信郎や渡辺篤にように龍馬暗殺を語ることができず、その名はあまり知られていないと。

 

襲撃したのは京都見廻組なのは間違いなさそうだ。そのうちの一人、今井信郎の自供によれば、見廻組与頭・佐々木只三郎の指図で、佐々木只三郎、渡辺吉太郎、高橋安次郎、桂早之助、土肥仲蔵、桜井大三郎、私(今井信郎)の計七人で襲撃、渡辺吉太郎、高橋安次郎、桂早之助は二階へ踏み込み、その他は台所で見張りをしていたと。この自供が正しければ、「渡辺吉太郎、高橋安次郎、桂早之助」のうちの誰かということになる。自供した今井以外の6人は鳥羽伏見の戦いで全員戦死している。ただ、30年後に今井は自分がやりましたと証言している。

今井信郎か、あるいは渡辺吉太郎、高橋安次郎、桂早之助のうちの一人か。

それぞれの自供、遺書、残された刀等を検討しても、結局わからないというのが実情であろう。

 

他に新選組説、紀州藩説、薩摩藩説、土佐藩説などもある。。真犯人はだれか? 歴史の謎である。

 

 

上が「龍馬を切った刀(脇差)」とされる。下は桂早之助所持の佩刀。(霊山歴史館展示)

 

 

スマホゲームとして、ポケモンgoを愛用していたが、ポケモンスリープが登場して以来、ポケモンスリープに傾斜している。

ポケモンgoは単にゲームで時間つぶしだが、ポケモンスリープは、世の健康志向に即して、ゲーム感覚で睡眠測定ができる。正確に睡眠深度を計測しているかどうか疑問は残るが、睡眠感覚には一致する。ぐっすり寝たなあと思うときは、ぐっすりタイプだし、寝苦しいときは、グラフが上下している。

また、早く寝る習慣もついた。

 

なかなか面白いゲームである。

あるスーパーの焼き芋売り場。

紙袋に入れた焼き芋が10個ほど置いてある。

中年のおばさんが(おばさんたいてい中年だが)、焼き芋の袋を手に取って、触り始めた。一つ、また一つ。

重さとか大きさとか、焼け具合(指で押してみて芯がなく柔らかかったら、ちょうどよく焼けている)を確かめているのであろう。

すべての焼き芋をチェックしたあと、何と一つも買わずに立ち去った。

残された焼き芋の運命は????

阪急うめだ本店『片岡鶴太郎作品展-生涯素人』を見てきた。入場無料だある。

片岡鶴太郎というと、まずものまね(マッチや浦辺粂子、小森和子)後、NHK大河ドラマの北条高塒の狂気じみた演技が記憶に残る。今も再放送が多い終着駅シリーズの牛尾刑事が良い。若き日の棟方志功を見事に演じ、この頃から水墨画に転倒し、NHKの絵画教室でキャンディーズのスーちゃんに教えていたのが記憶に残る。ヨガに凝ってからは仙人的風貌になった。

さて、絵画展であるが、金魚の絵が数点あり、なかなかのもの。解説に1尾描くのに1時間かかるとあった。あゆ、出生魚などの他、七福神が可愛い。絵画、陶器などが展示されている。

なお、5月19日(日)の片岡鶴太郎サイン会は、本人の体調不良により中止とのこと。お大事にしてください。
 

大阪市営地下鉄の御堂筋線に乗りました。老人と思ったのか、若い学生さんが席を譲ってくれました。

このブログでは、固有名詞はあまりのせないのですが、敢えて乗せると、その学生さんの背中には「追手門学院 陸上競技部」と書いてました。ありがとうございました。

前にもアップしたように、歌舞伎『籠釣瓶花街酔醒』が5月26日(日)21:00~23:00に、NHK・Eテレ「古典芸能への招待」で放送予定です。十八世中村勘三郎十三回忌追善として、中村勘九郎と中村七之助が主演の話題の舞台です。

ぜひご覧になって古典芸能にふれましょう。

 

『籠釣瓶花街酔醒』は、「かごつるべ さとのえいざめ」と読みます。歌舞伎の演目を外題といいますが、通常縁起を重んじ、五・七など奇数で表現されることが多いです。

例えば、五字では『義経千本桜』『曾根崎心中』、七字では『仮名手本忠臣蔵』『京鹿子娘道成寺』など。一字では『暫』、二字では『土蜘』、三字では『勧進帳』、四字では『絵島生島』、六字では『ヤマトタケル』など。

 

さて、『籠釣瓶』とは何でしょう?実はこの歌舞伎の主人公のひとつは、人間でなく、刀。銘を「籠釣瓶」という。もともとの釣瓶は井戸水を汲み上げる桶だが、通常木製(私が使っていたのはブリキ製)で、竹で作った釣瓶(籠釣瓶=非常用に竹と紙に作る)では井戸水を汲めない。すなわち、水も溜まらない。銘『籠釣瓶』の刀に水をかけても、水滴をも切り裂いて刀に付かない、水も溜まらない程の切れ味の名刀という意味である。

この名刀は、伊勢桑名の刀工 千子村正(せんご むらまさ)作で、村正は最も有名な刀工。江戸時代以降、妖刀と呼ばれる。それは、徳川家とかかわりがあり、①家康の祖父である清康が家臣に村正で殺害された ②家康の父である広忠は村正の脇差で切られた ➂家康が子供の頃、村正の小刀で手を負傷 ➃家康の長男の介錯に使われたのが村正 ➄家康の敵である真田幸村の愛刀が村正 ➅関ケ原論功行賞のとき、家康が誤ってケガをした ⑦駿河大納言忠長が切腹した刀が村正などであり、村正は徳川家にとって仇名す妖刀ということになったと言われる。

但し、これらは根拠がないとされる。徳川家は村正を二振り所蔵しており、江戸幕府終焉の時に、尾張徳川家に下賜され、現在徳川美術館に所蔵されている。徳川家にとって仇名す妖刀ならば所蔵されるはずがない。現在、あべのハルカス美術館で開催中の『徳川美術館展 尾張徳川家の至宝』で

村正が展示(刀 銘村正 徳川家康・徳川義直所持)されている(先日、見てきました)。

しかし、一般には村正は妖刀とされ、いったん鞘から抜かれれば、血を見ないとすまない妖刀とされる。

 

さて、あらすじをかんたんに解説しよう。実際に起きた事件「吉原百人切り」を元に書かれたもの。

群馬県佐野の絹商人で、あばた顔の佐野次郎左衛門が吉原で花魁の八ッ橋を見初め、通い詰め、身請け話が持ち上がりますが、しかし、八ツ橋には昔からの情夫である繁山永之丞がおり、八ツ橋に縁切りを迫ります。八ッ橋は次郎左衛門の真心に心を動かされながらも、満座のなかで、次郎左衛門に愛想尽かし(身請け話を断り)をします。

 

「花魁、そりゃァあんまり袖なかろうぜ。夜毎に変わる枕の数、浮川竹の勤めの身では、昨日にまさる今日の花と、心変りがしたかは知らぬが、もう表向き今夜にも、身請けのことを取り決めようと、ゆうべも宿で寝もやらず、秋の夜長を待ちかねて、菊見がてらに廓《さと》の露、濡れてみたさに来てみれば、案に相違の愛想尽かし。そりゃもう田舎者のその上に、ふた目と見られぬわしゆえに、断られても仕方がないが、何故初手《しょて》から言っては下されぬ。江戸へ出るたび吉原で、佐野の誰とか噂をされ、二階へくれば朋輩の、花魁方や禿にまで、言われるようになってから、指をくわえて引っ込まりょうか。そこの道理を考えて、察してくれてもよいではないか。」

 

次郎左衛門は、その場は、引き下がりますが、後日、妖刀「籠釣瓶」村正を持って、八ッ橋のもとに現れ、「恥をかかせたなあ」と村正に引きずられるように、八ッ橋を切り殺します。

籠釣瓶はよくきれるなあ!

 

キャストは

佐野次郎左衛門 中村勘九郎

八ッ橋 中村七之助

繁山永之丞 片岡仁左衛門

亀蔵、松緑、歌六、鶴松など。

シネマ歌舞伎では、勘三郎、玉三郎が演じてます。勘九郎が父の演技にどうせまるか。

 

温厚で真面目な次郎左衛門が狂気に走るさま、愛想尽かしをせざるを得ない八ッ橋の心の奥底。

さあ、歌舞伎を楽しんでください。