京都へ行ってきました。まず二年坂で評判のぜんざいを食べて、京都霊山護国神社(れいざんではなく、りょうぜんと読みます)の坂本龍馬と中岡慎太郎、桂小五郎・幾松のお墓にお参りした。300円を改札口に入れると、仕切りが開いてお墓に入れる仕組み。

 

それから、霊山歴史館へ。

目玉は、「龍馬を切った刀(脇差)」(42.1センチ)。

刀身には、無数の傷があり、黒く錆びている。

説明によると、阪本龍馬を切った刀の持ち主は、京都見廻組の桂早之助で近江屋の2階に突入した一人。天井の低い室内での戦闘を予想し、小太刀の名手が起用された。桂早之助は龍馬暗殺の1ヶ月半後に「鳥羽伏見の戦い」で戦死。同時に近江屋の2階に突入した見廻組の今井信郎や渡辺篤にように龍馬暗殺を語ることができず、その名はあまり知られていないと。

 

襲撃したのは京都見廻組なのは間違いなさそうだ。そのうちの一人、今井信郎の自供によれば、見廻組与頭・佐々木只三郎の指図で、佐々木只三郎、渡辺吉太郎、高橋安次郎、桂早之助、土肥仲蔵、桜井大三郎、私(今井信郎)の計七人で襲撃、渡辺吉太郎、高橋安次郎、桂早之助は二階へ踏み込み、その他は台所で見張りをしていたと。この自供が正しければ、「渡辺吉太郎、高橋安次郎、桂早之助」のうちの誰かということになる。自供した今井以外の6人は鳥羽伏見の戦いで全員戦死している。ただ、30年後に今井は自分がやりましたと証言している。

今井信郎か、あるいは渡辺吉太郎、高橋安次郎、桂早之助のうちの一人か。

それぞれの自供、遺書、残された刀等を検討しても、結局わからないというのが実情であろう。

 

他に新選組説、紀州藩説、薩摩藩説、土佐藩説などもある。。真犯人はだれか? 歴史の謎である。

 

 

上が「龍馬を切った刀(脇差)」とされる。下は桂早之助所持の佩刀。(霊山歴史館展示)